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ナイロビという街。 – Nairobi, Kenya

ウガンダのイミグレーション・オフィスから歩けばすぐにケニアのイミグレーション・オフィスに到着する。イミグレーション・オフィス同士が近いと、身体に楽である。

ケニアのほうでも、入国のための書類とビザのための書類を記入する。オリジナルの用紙の表面だけをコピーしているものだから、必要な項目が書かれた裏面は抜けている。そんなものだ。

夜中1時の国境付近はどのようなものかと思っていたら、ケニアに入っても街が続いている。たいてい国境付近は、自然が広がり、少し行った先に小さな街があることが多いが、ここは違った。

街には青く光るクラブさえあり、大音量のりのり音楽に、人々が集まっている。まもなく、検問がある。

途中、Eldoretという町で停まると、まだ夜のあけないMubarakカフェというレストランは、お茶をすすり、揚げパンをほおばる人々で賑わっていた。

夜中、バスは停車し、がちゃがちゃと何か修理をしている。どこか故障しているらしい。

9時に到着すると聞いていたバスも、3時間ほど遅れていた。周りがどんどん都会風になるにつれ、ナイロビに入ったことを確認する。

ナイロビは、「ナイロバリー(ロバリーは強盗の意味)」と揶揄されてしまうほどの街である。ぴりりと緊張する。

洒落た服を着た女性もスーツを着た男性もたくさん歩いている。携帯電話を片手に話をしていれば、笑顔で話をしながら、街を歩いていく。

バスを降り立つと、数人のタクシー運転手から声がかかる。その中の人のよさそうな運転手にお願いをして、宿に向かってもらうことにする。

運転手の男性はナイロビ出身で、3人の子どものいるお父さんだという。子どもを学校に通わせるのはお金がかかるんだ、だから朝4時から夜の11時までこうして仕事をしているんだよ、と言った。お米は食べてもまたすぐにお腹が減ってしまうから、ウガリをよく食べている。

2年前にマラリアにかかったけれど、注射を打てば大丈夫だった。

ナイロビも新しいビルができるなど、変化を続けており、人々はそれに満足しているのだと言った。ナイロビの車は全部日本製だ、みな、日本が大好きだよ、と大口を開けて笑う。

夜は外出は勧めないけれど、昼間なら問題なく歩けるよ。

明日からマサイ・マラ国立保護区にサファリをしに行きたい、と言うと、その運転手は、サファリ会社に連れていくと言う。その会社がちょうど友人に勧められていた会社だったので、そのまま連れて行ってもらうことにする。

会社は、薄暗い裏道からビルの中に入った3階にオフィスがあった。口のうまい社長にタクシー運転手が合いの手を入れる。

2泊3日のサファリの内容を聞いていると、突然に全ての電気が消えた。停電だ。ナイロビではよく起きるのだと社長は言って、スタッフの女性が手慣れたようすでろうそくに火を灯し、机に置く。

隣の建物にある銀行に行くときもそのスタッフの女性はついてきてくれる。手厚いサービスだ。そしてこの辺りは、マフィアもいるのだと言った。

彼女は17時にその「マフィアもいる」というオフィスで仕事を終え、マタツというバスに乗り、オフィスから遠くはない自宅に帰宅する。

ほっそりとした身体にブラック・スーツを身にまとい、薄手の紺のマフラーをくるりと首にまき、つけ毛をつけ、耳には大きなピアスをつけている。洋服は、市内で買うのだと言った。

明日からのサファリをお願いすることにして、その間そわそわと口をはさんでいた運転手に再び宿へと向かってもらう。

車に乗り込むと、途端に大雨が降ってきた。そのうちに前が真っ白になり、見えないほどになる。

宿のすぐ隣に小さな売店があるので、そこでバナナを買い求める。そして、宿のバーでフルーティーで飲みやすいTuskerビールと、サモサを合わせてつまむ。バーには暖炉が焚かれていて、暖かい。ナイロビの夜は思いのほか冷えていて、思わず身体を暖炉に寄せてしまう。