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子どものころから地ビールを飲む。 – Konso / Arba Minch, Ethiopia

今日も朝早くに起きて、5時にはバスターミナルに到着するように向かう。

アルバ・ミンチに戻る途中にある、コンソ族の人々が多く住むコンソへ立ち寄ることにする。バスで走れば3時間ほどで到着する。40もの村があり、5千名ほどが住んでいるという。山を切り開き、石垣で支えられた段々畑を造っている。ジンカからコンソへ近づくにつれ、段々畑と、特徴のある家が増えてくる。

家は、藁のとんがり屋根が二重構造になっていて、てっぺんには茶色い壺が、雨もり防止と、デコレーション用にちょこりと逆さまになって置かれている。

この二重構造は、かつてはお金持ちの家だけだったものが、徐々に他の人々にも広まっていったのだそう。牛や羊、山羊などに与える草が無くなったときには、その二重構造の屋根の外の部分を取り外して、藁を与えるのだという。

中でも大きな家は「コミュニティ・ハウス」として、12歳から結婚するまでの男性が、シフト制でその家に寝泊まりをして、地域を守っている。村で病人が出たら病院へ連れて行き、亡くなった人がいればその遺体を埋めるのである。

コンソの人々は、とうもろこしやソルガム、大豆、芋や小麦などを育て、料理用の陶器ポットをつくったり、綿製品を作って生計をたてている。

族長や、ライオンや象などの大型動物や敵を殺した「ヒーロー」は、亡くなったときに、アカシアなどの強い木で作ったワカと呼ばれる人形を墓におくのだそう。

コンソの人々は、ソルガムととうもろこしで作られたチャカという地ビールを朝、昼、晩と食べている。

チャカを作っている家の前には、木の棒の先に白いビニール袋をくしゃくしゃとくっつけた目印が立てられている。地元でも美味しくて有名だという、客で賑わう1軒の店にお邪魔する。

店には、多くの男性と数人の女性が、チャカを入れた茶色い瓢箪の容器を手にしている。わたしたちも交わり、チャカと大豆をいただくことにする。

チャカは、酸っぱさと、ほんのわずかな苦みをもった、ビールを薄めたような味だ。それに舌が多少ぴりぴりとする。ほぼ飲み終えた後、瓢箪に熱いお湯を入れて、薄まったチャカを飲み干す。

チャカにはアルコールが入っているものの、コンソの人々にとってはこれは食事であり、子どもたちも食べている、はずだが、ほんわかと酔ってくる。

そのうちに、炭火で焼いたとうもろこしをどうぞと手渡された。

コンソの人々は、エチオピアで広く食べられているインジェラを食べることはほとんどないのだという。

代わりに、チャカと同じソルガムやとうもろこしから団子を作り、それをモリンガという葉を煮たてた湯で茹でるクルクッファも食べられているという。

コンソ族の人々の伝統服はコットンでできており、青や白、緑や赤、オレンジなど、色鮮やかだ。

300もの病を治すというモリンガの葉のお茶をいただきに、勧められた別の店へと入る。オーナーがオバマ大統領に似ているから「オバマ・カフェ」というらしい。店内は、お香の煙がたちこめ、男性ばかりが座っている。

モリンガ・ティーにも普通は砂糖を入れるのだといいながら、スプーンたっぷりの砂糖をグラスに入れる。

その味はジンジャ―・ティーに似て、身体がぽかぽかと温まる。

客の男性たちは、お茶を片手に、たくさんのチャットの葉をわきに置いて、それを噛みながら、おしゃべりを楽しんでいる。女性は、たいてい家にいることが多いと聞く。

男女がこれほどきっちりと分かれて行動をしていれば、出会いの機会も少ないのではないかと想像するものの、「直接に好意を伝えられないときは、友だちに手伝ってもらったり、それから紹介をしてもらったりする」らしい。

エチオピアに入ってから、男女がデートをしているのを見かける機会はほとんどない。

村には、土の地面に草を散らし、屋根はトタンでできた質素な教会がある。日曜日の今日は、朝から白い布をかぶった人々が教会に向かっていった。資金がなくて、立派な教会は建てられないのですが、と言う。

ミサが終われば、村のお偉いさん男性の自宅の中庭で、男性たちは地ビールの入った瓢箪を片手に話に夢中になるのである。

子どもたちは大人たちにお構いなく、鼻水の垂れた子も、頭にカビの生えた子も、顔の周りにハエの飛ぶ子も元気に追いかけてくる。

まず、お決まりかのようにユー、ユーと話しかけてくる。ユーに続いて、ハローのこともあれば、マニーのこともあれば、ワンブル(1ブルBirr)のこともあり、そしてこの町では、キャラメル、のこともある。

このコンソは、昨年世界遺産に登録されたばかりの村だ。観光客も増えているらしい。

村の方針として、観光客が村を訪問する際には、登録されたガイドを雇い、料金を支払って訪問させよう、と動いているのに対して、自らガイドとして旅行者たちに直接営業をかける人々もいる。世界遺産となった村で、双方の静かな方針の食い違いが起きていた。

一人の女性が大声で泣き叫びながら、幾人かの人々に囲まれて坂道を下っていた。そのうちに、バイクに乗った男性や、警察官を後ろに乗せたバイクなどがその周りに集まり始める。悲しいできごとが、起きたのだ。

コンソからアルバ・ミンチまでは乗り合いバンに乗って帰ることにする。バンが満席になるまで、もらったチャットを噛みながら、あるいは時間をもてあましている地元の男性たちと話をしながら、2時間ほど待つ。そしてようやくバンは発車する。

鞄や荷物はバンの屋根の上に置かれるはずだが、それにのりきらない袋がだらりとリアウィンドウまで垂れ下がっている。よくこれで運転ができるものだ。

大きくて太い角をもった、たくさんの牛たちが、道の真ん中を通っていく。バンは時折停車をして牛をよけながら、進んでいく。

多くの人々が日曜日の午後を外に出て楽しみ、子どもたちが裸足で遊びまわっている。薬草を地面に置いて売る人々がいる。

18時にはアルバ・ミンチに戻ってくる。
地ビールが効いたのか体調がどうにも優れないので、雨の降るアルバ・ミンチでゆっくりと休むことにする。