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象の家に住み、にせバナナを食べる人々 – Arba Minch / Dorze Village, Ethiopia

今日は、アルバ・ミンチから30キロほど離れたチェンチャ山にあるドルゼ族の村を訪ねることにする。7800人ほどの人々が住んでいる。

乗り合いバスがいっぱいになるまでアルバ・ミンチで1時間ほど待って、山をぐんぐんとのぼる。マラリアのいる地域から、蚊のいない地域へと一気にあがっていく。

途中からぽつりぽつりとドルゼ族の特徴ある家が見えてくる。

ドルゼの村では、週に二度マーケットが開かれていて、今日もその日である。マーケットといえば、朝から始まり、午前中が最も盛り上がるといった具合のところが多かったけれど、ここは昼過ぎから始まるらしい。

なぜなら、男性も女性も売る品々をどっさりと担いでそれぞれの家を朝出発し、30kmほどの道のりをマーケットまで歩いて来るからだ。自宅からマーケットへの交通手段がないのである。

バスから降りると、話しかけてきた男性がいた。「ムコネ家」という、ドルゼ族の伝統的な家に連れて行きます、僕もそこの一員です、と言う。

ドルゼの「ムコネ家」という名前は、昨日コンソ村を訪ねたときに別の男性から聞いていた。相当のやり手だという話で、嫉妬も含まれているのかその成功ぶりが一部の人からは歓迎されていないようすだった。

それでも、少しばかりムコネさんの家を訪ねてみることにする。

ドルゼ族の家は、竹で編んだ枠組みに防水の役目を果たすニセバナナの葉をかぶせてつくる。そして、家の周りを竹のフェンスで囲う。

象を模してつくられ、確かにまんなかに長い鼻と、両わきに窓がつけられていて、それがあたかも象の目のように見えて、かわいらしいこと限りない。

最初は12メートルの家を建て、竹の根元が虫に食われてだめになると、その根元部分を切っていくものだから、屋根が低くなっていくらしい。象が小さくなっていくのである。

ニセバナナとはエンセーテのことで、見た目はバナナの植物であるものの、実際にはそこにバナナの実はならない。ドルゼの人々は、その葉を、家を覆うために使ったり、あるいは傘として、あるいは動物にやる餌としても使うのである。

ムコネさん家には、7人のヒトと、12頭の動物が暮らしている。

象の口にあたる入口は天井が低いため、かがんで入る。すると、右側に牛が飼われている。高地で寒いドルゼの村では、牛や羊、山羊といった動物と一つ屋根の下に暮らすことで暖をとる。

壁には瓢箪がぶらさげられ、象の目にあたる窓から差す光が、ぼんやりと室内を照らしている。

かつてムコネ家のおじいさんは30頭ものひょうを捕えたハンターだっというが、お父さんの時代になると狩りが法律で規制されてしまったという。

ニセバナナからできた平べったいキタというパンを作っていただく。炭にのせた鉄板にニセバナナの葉を置いて、そのうえにキタをはさみ、幾度かひっくり返す。

繊維質豊富なキタは、どこかバナナのような青さがあり、それをちぎって、添えられたはちみつや、にんにくや生姜、塩でできたスパイスにつけて食べる。

あわせて、とうもろこしやホップ、にんにくなどで作るアルコール、アレケを試してみる。アルコール度数が40~45度くらいだといい、とても強い。

ドルゼの人々は、にせバナナや小麦や大麦、じゃがいもやコーヒー、それに綿製品などで生計をたてているのだそう。綿製品は、女性が綿を紡いで糸にして、男性が織るという。

そのうちに、市がたち始める。いよいよ背中に荷物をしょった人々が、道を急いでいく。黒や赤、黄色の衣装や帽子を身につけた人々がいる。

黒は人々の肌の色を示し、赤は戦士やハンターが捕える獲物の血の色、そして黄色ははちみつで、明るい未来を指しているのだそう。

市場ではコーヒー豆やコーヒーの葉、それにシーシャ、整髪料としても使われる牛ミルクバター、スパイス、チリ、テナダムの葉、コットン、綿の布、陶器、大麦、にんにく、とうもろこし、じゃがいも、バナナやマンゴーといった果物に瓢箪などが地べたに広げられて売られている。

男性も女性もシーシャをふかし、はちみつ酒のタジ屋やアレケ屋もまた大賑わいだ。

近くの店で、チャイを頼み、そこにテナダムという薬草をのせてもらう。甘いチャイにすっきりとした香り高いテナダムがよく合う。店内では、男性たちがチャットをどっさりとテーブルに置いて、チャイとともに楽しんでいる。

この村にも、ハロー・ワンブル、ハロー・ブレッド、ハロー・ハイランドと呼んでくる子どもたちがいる。ハローがユーに変わることもある。

「ハイランド」とは、エチオピアの中でミネラルウォーターを指すらしく、どうやらほしいのは、わたしたちの持っているペットボトルらしい。学校に水を持っていくために使ったり、公共の水くみ場から水を運ぶのに使ったりするのだという。

アルバ・ミンチに帰るバスを待っていると、子どもから大人までいろいろな人が声をかけてきて、ひとだかりができる。ある子どもは流暢に英語を話し、ある子どもは、ワンブル、ワンブルとただ口癖のように繰り返す。

その中にPaulaちゃんとNaxanetちゃんという名の、11歳と8歳の姉妹がいた。母親は、マーケットで芋を売っていて、父親はいないという。お姉ちゃんは、流暢な英語を話す。そのうちに、髪を手に取って三つ編みに結ってくれる。

妹のほうは、目のまわりに蝿がたかっている。抱き上げると、ずっしりと重い。そのまま、ぎゅっとつかんで離さない。   

2時間ほどバスを待つと、ようやくぎゅうぎゅうづめのバスがやってきた。乗り込むと、すぐにどうぞどうぞと席をゆずられる。これがエチオピアの文化なんです、とその女性は言った。

バスは、山道をぐんぐんと下っていく。

夜は、アルバ・ミンチのセチャ地区にあるソマ・レストランという魚料理の有名なレストランに行く。町のバスは乗客でぎゅうぎゅうで、ほんのわずかなスペースに腰かける。

近くのチャモ湖で捕れたというテラピアやナイルパーチをほぐして、それをトマトやにんにくのソースとからめたもの、それにキャベツの茹でたものとトマト、そしてパンが添えられている。魚はやわらかく、にんにくが効いていて、再び見事なイタリアンふうである。

レストランを出てみると、既に最終バスはなくなっていたため、トゥクトゥクに乗って帰ることにする。

ホテルは、一時停電する。そして、蚊が飛んでいる。