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身柄を拘束される。 – Khartoum, Sudan

朝は、砂埃のやや落ち着いた街で、シャイをいただきながら、バナナをほおばる。

今日は、入国後3日以内に行わなければ出国できなくなることもあるという、滞在届なるものを提出しに、Aliens Affairs Departmentに向かう。

まず、届けを出す先がAliens Affairs Departmentだということを知るまでに一苦労。

そして、申請にも、パスポートやビザのコピー以外に、レターやスーダン人のスポンサーなる人のIDコピーまで求められる、なかなかにハードな手続きなのである。

ホテルで書いてもらったレターに、ホテルに出入りをしていた男性に頼んでパスポートをコピーさせてもらった用紙を握り、窓口へ向かう。

印紙代と申請代を支払い、基本情報から、職業、スポンサーの住所、スーダンと日本国内の住所といった項目を用紙に記入して、申請をする。

オフィスは涼しく、モスクの写真が貼られ、猫がするりと通っていく。きれいな格好をした仲介業者らしき人々が出入りをしている。

待つこと、約1時間。パスポートのわきに無事にCentral Registrationと書かれた滞在届のシールが貼られた。

そこから今度は、週に1度水曜日に出ている、スーダンWadi Halfaから、エジプト、アスワン行きのフェリーのチケットを買いに、ハルツーム北駅にあるチケット売り場まで向かう。

ハルツーム北駅行きバスを探していると、エジプト出身の男性がバス乗り場まで連れて行ってくれた。彼は、スーダンは暑いし、政府がだめだ、と言った。

ザクロのジュースを飲みながら、バスを無事に見つけて、フェリー会社のオフィスに到着する。思いがけず英語の堪能な男性を発見し、チケット購入まではとても順調な一日だ。

スーダンを旅行する際には、ビザと滞在届に加えて、地方旅行をする場合には、旅行許可書なるものも必要だとかそうでないとか。

とにかく聞く人みなが違う答えなので真相を確かめるべく、その管轄だと聞いた観光庁に向かう。観光庁の管轄だという話も、心もとない。

イエメンから来ているという男性が、わざわざわたしたちを案内するためだけに一緒にバスやトゥクトゥクに乗り込み、観光庁の場所を案内をしてくれ、そして乗車料金を払ってくれたりする。MBAを取得するためにスーダンに来ているその男性は、スーダンの教育はイエメンよりも良い、でも気候はイエメンのほうが良い、と言った。

観光庁の建物にたどり着けば、英語がとんと通じなくなり、現れた警察も「トゥモロー・モーニング」と繰り返すばかりだ。どうやら、オフィスは金土は閉まっているらしい。口癖のように「トゥモロー」と繰り返し、しまいには「僕は学生だから、辞書をください。」と警察が、言う。

その後、ハルツームから向かうカリマ行きのバスチケットを探しに、バスターミナルへと向かう。ハルツームにはいくつかのバスターミナルが離れた場所にある。

ホテルのフロントに聞いたMina al-barriバスターミナルに行ったら、カリマ行きはBahriターミナルから出ていると聞き、Bahri地区のターミナルにたどり着くと、今度は「カリマ行きはサースデー(言いたいのは、火曜日。)までない。」とサースデー(木曜)とトゥースデー(火曜)をごちゃごちゃと混乱しながら言う。

結局今日は、カリマまでのバスがどのターミナルからよく出ているのかさえ分からなかった。

聞く人、みな違う答えが返ってくるので、一体何の情報が正しいのか、てんで分からない。少し前に正しかった情報も、ころころと建物が変わったりするので、今正しいかどうかは分からない。

スーダンの旅は、そんな人々の善意と、あやふやで間違っていることも多々あるそれぞれの人の知識の破片とで紡がれていく。

そんなわけで、一つの動きをとるのに、大変な時間のかかる国なのである。

夕方になって砂埃がでてきたので、レストランに入って食事をとることにする。

カメラを取り出し、レストラン前の道で一枚写真をしたためて、店内へと入る。後方にいた青と白のチェック柄を着た男性から、「今撮った写真を消しなさい」という注意があった。それに、従う。

夕食は、fuulという豆をすりつぶしたものに野菜を混ぜ、すこしの香辛料とゼット・シムシムというオイル、チーズを削ったものをふりかけたものをオーダーする。それに、いつもの平べったいパンがついてくる。

近くの店でオレンジの炭酸飲料、mirandaを買ってきて、喉の渇きを潤す。

思いのほか、ずっしりとしたボリュームのある豆料理をほおばっていると、さきほどのチェック柄の男性が現れ、「CAR」と言う。車に乗れ、ということらしい。

英語が話せないということで、まわりの人々が通訳をかってでる。どうやらその男性はわたしたちを警察署へと連れて行く、というのである。

とにかく食事中だと伝えると、男性はじっと外で待っていて、食事を終えたころ再度「CAR」と言いにきた。

パトカーに乗り、警察署へと連れて行かれる。

警察署は、明るく、冷房がきいて快適で、座り心地の良いソファがしつらえてある。

私服を着た男性、青い制服を着た男性やイスラムの白い服装を着た男性たちが、次から次へと入室と退室を繰り返して、わたしたちと会話を交わす。誰もがきれいに整った服装を着ている。

「許可書なく路上で写真を撮ってはいけません。」と説教を受ける。撮影許可書なるものを取得しなさい、ということらしいのだった。

「はい、分かりました」と応える。

英語を話せる唯一の男性は、「僕はタイが好きなので、今度休暇で行くんです。タイも日本もインドネシアも大好きだから、リラックスしてください。今、スーダンでは多くの問題が起こっています。だからこうして、あなたたちにも警察署に来てもらっているんです。問題がなかったら、謝ります。そしてお帰りいただきます。ところで、ケニアに行きましたか。ケニアは良くありません。」

そして何度も繰り返す。「イスラエルは?イスラエルには行きますか?」そして、今ダルフールで起きている問題を知っていますか、スーダンの南のほうやダルフールに行って写真を撮りたいなんて思わないですか、と尋ねてくる。

ある私服の男性は「僕は英語は話せない。ここはスーダンなのだから、アラビア語を話しなさい。」と言う。

ある男性はわたしたちに尋ねる。「スーダンに来た目的はなんですか。今、ダルフールで行われている国連の活動を知っていますか。」
その問いに答えている最中、彼の携帯から赤ん坊の声のような着信音が鳴る。

そのまま、わたしたちの答えを聞くこともなく、彼は携帯での会話に入っていった。

部屋には、目つきのわるい男性や、ぼろぼろのお札を手に大声で話す人々、そんな大人の会話に無関心に爪を切り続ける男の子など、それぞれの事情を持った人々が夜の警察署を訪れてくる。

耳の不自由そうな母子がぼろぼろの格好をして入ってきて警察官一人に何かを訴える。それでも、その警察官は自分の携帯の画面をじっと見つめたまま、その母子を見ようとさえしない。

わたしたちはソファに座り、それをただ眺め、出入りの激しい警察官たちの質問に答えるだけだ。

そのうちに、鞄の検査が始まり、腕時計やペンがカメラではないですか、と尋ねられる。「タイでは、時計やペンにカメラを仕込んで、盗撮するんですよ。」と言う。

警察署各所にカメラを設置しています、と言って、終いには下着まで脱ぐ身体検査が行われた。

カメラのカードに入った写真一枚ずつ、確認が行われていく。

そのうちに時刻も遅くなり、別の事件の関係者らしき人々が部屋に入ってくる。ここで、写真の確認が突如終了し、「もう良いです。釈放です。」となった。最後に確認された写真は、エチオピアの食事の写真だった。つまり、スーダンの写真確認までいきつくことなく、なぜか突然に釈放となったわけである。

警察署を出るころには、23時半を回っていた。車でホテルまで送ってくれる、と言う。先ほど頑なだった男性たちも、途端に笑顔を向けて、共に車に乗り込み家路につく。