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シーア派の大きな聖地、マシュハド – Mashhad, Iran

朝に目が覚めると、列車はきんきんの冷房で冷えていた。7時半には列車がマシュハドの駅に到着する。人々が待ち合い室で垂れ幕をもって記念撮影をするわきで、クッキーをかじり、ミルクを飲んで一息つく。

マシュハドでお世話になる家は、カウチサーフィンというサービスで連絡をとっていた男性、バーさんのご自宅。マシュハド駅に到着をして、バスで30分ほどのメトロのPalestineスクエア駅に行き、そこからメトロに乗り換え、家から最寄りのHaft-e-Tir駅まで向かう。地下鉄は中国のCNR社製で、清潔で静かだ。エレベーターで音楽さえなる。

Haft-e-Tir駅からタクシーに乗って家に到着すると、がちゃりと扉を開けて迎えてくれた。靴を脱いで家にあがると、居間のソファにはラマダン中の木曜夜に家に遊びに来ていた男性二人が腰をかけている。

エスファハーンで買った手土産のギャズを手渡す。絨毯に座ると、バーさんとの結婚を間近に控えた奥さんがつくったというサフランのライスプディング、Sholeh Zardやチャイを出してくれた。サフランや米、砂糖や水でつくったというカラフルなそれをギャズとともにいただく。

マシュハドは、8代目エマーム・レザーが殉教した、シーア派にとってとても大切な聖地だ。その中心、ハラメ・モタッハル広場を訪ねることにする。

バーさんが車で最寄り駅まで送ってくれる。イランでは、SAIPAという国内車を見かけることも少なくないが、バーさんの運転するのはシトロエン車。結婚を前に、古くなった車を売り払って新車を買いたいのだと言った。快適なメトロで、ハラメ・モタッハル広場の最寄り、Basij駅に向かう。

この辺りにはアフガニスタンのKhavariの人々もいるようで、日本人と似た顔立ちをしていると聞く。いつもの黒のマーントーに黒のヒジャブをつけて、てくてくとエマーム・レザー通りを歩いていると、赤や黄、緑に青といったカラフルなはたきをもった男性に、全身を覆うチャドルを着用するように言われる。そこでバーさんの奥さんに借りてきたクリーム色に花の絵があしらわれたチャドルを取り出して頭から全身にかぶせる。

チャドルの着かたの要領が分からずにいると、どこからともなく現れた女性がいつも助けてくれる。ヒジャブから少しでも前髪が出ていると、あちらこちらから隠すようにやわらかい手直しが加えられる。

緑の帽子やマフラー、それに白網の帽子や白ターバンに黒ターバン、さまざまな帽子を頭にかぶった男性たちがいる。女性はそのほとんどが全身黒のチャドル。

ハラメ・モタッハル広場、ハラムにたどり着き、荷物を預けて男女分かれた入口から入ると、広大なラザヴィー広場にでる。ここは8代目エマーム、レザーの聖墓を中心とした、宗教施設の集まる広場。いくつもの建物とその合間の広場が入り組み、その中はまるで迷路のようになっていて、迷子案内所もあるほどだ。、

人々は柱にキスをしながら、建物に入っていく。金や銀のモザイクがきらきらとまばゆい。金曜日の今日は、多くの礼拝者が集まり、ずらりとコーランを前に置いて読み、数珠を片手に、石に頭をつけながら、祈りを捧げる。男性も女性も、一斉に立ち上がり、一斉に頭をつける。

金のドームの中にあるエマーム・レザーの棺に近づいていく。涙を流す人もいれば、アッラーと手を顔の前にかざして叫ぶ人々もいる。エマーム・レザーの棺にみな手をぐいと伸ばし、押し合いへし合いしている。それをはたきを持った人々が誘導していく。

建物内はエスカレーターさえあって、きらきら豪華ホテルのようですらある。地下のホールで涼む。ここではモスクでよく見かけるように寝転がって眠る人はあまりいない。子どもさえ祈りを捧げている。

一度飲み物を飲みに、ハマムの外へと出る。重要な聖地であるマシュハドは、街の中でも厳しくイスラム教の掟が守られているのかと思っていた。ところが、営業している商店で、ざくろのノンアルコールビールを買い求めてごくごくとしていると、メイン通りから外れて同じように隠れてジュースを飲む人がいて、手をあげて乾杯を求められたり、たばこを勧められたりする。どうにもラマダンがゆるい。お菓子屋だって堂々と営業中のところも少なくない。

涼しくなっていく日没の礼拝は、昼間よりも更に多くの人々がハマムへと入っていく。昼間と同じようにチェックを受けて、チャドルを手直ししてくれ、最後には額にキスをされる。異教徒に対しても寛大だ。

広場に敷かれた絨毯には、ずらりと人々が並び始める。そのうちにバナナケーキや棗、ハニー・ミルクを詰めたパッケージが山積みになってわんさかと運ばれてきて、それぞれの信者の前に置かれる。

しばらくすると一斉に祈りが始まる。絨毯に入りきらない人々は、石の上で祈る。圧倒的な人数の人々が一斉に立ち上がり、一斉に手をかざし、一斉に頭を下げて、メッカのほうを向く。多くの信者が他の国のイスラム教徒と同じ時期に断食に向かっている。

月があがりはじめている。

昼間よりも人が増えたエマーム・レザーの聖墓は、熱気に包まれ、女性同士が取っ組み合いの喧嘩を始め、警察、警察と叫び合ったりしている。それをはたきをもった監視員が仲介に入る。そんなぐちゃぐちゃな中でも、みな頭につけたヒジャブは乱れることなく頭の上にあるものだから感心する。

夜も深まり、イルミネーションの灯る中、塔の上ではドラムなどを使った音楽が奏でられ始め、大きなスクリーンからはスピーチが流れてくる。

バスとメトロを乗り継いで、バーさんの家の最寄駅まで戻り、そこからヒッチハイクをして戻る。

家に戻ると、オムレツですと言って卵やたまねぎ、トマトやガーリックを煮込んだものを出してくれた。それにナンをつけていただく。どうぞと香草やサラダを出してくれ、最後にはコーヒーもいただく。

バーさんの奥さんが、イランでは一年間に70%もインフレをするものだから、生活が厳しくて頭が痛いと言った。働いている大学の予算削減によって、近いうちに職を去らなければならなくなったという。

このインフレの原因は、多くの人がアリ・ハメネイ氏にあると考えている。それでも、大統領などのことを批判するのは許されるが、ムッラー、アリ・ハメネイ氏のことを批判するのはとてもキケンだという人もいる。

テレビからは衛星放送が流れている。これもまたイランでは違法なものだから、家に訪ねてきた政府関係者がいれば捕まってしまうのだけれど、これだってなかなかに広まっているのだ。