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ビシュケクのぜいたく時間 – Bishkek, Kyrgyzstan

朝に起きると、いつもは料理をしないという弟さんが、目玉焼きを作ってくれ、パンにバターとお母さんのつくったといういちごジャムをたっぷりとつけ、それにチャイを合わせる。

弟さんは伯母さんの経営する会社で働いているといい、時間に自由がきくというので、出社前に次に訪ねるカザフスタンビザをとるために必要な写真の撮影などに付き合ってくれる。

写真はKonikaのDigital Photo Expressのブースで撮ってもらう。室内に入って促されるままに座席に着けば、すぐにデジカメでパシャリと1枚撮影される。それをPhotoshopで手慣れたふうに修正して、髪の毛をあれやこれやいじったら、プリントのボタンをぽちりで完成。その速さに呆然としていると、3分で写真ができます、と言う。

道ばたのあちらこちらにパイロット姿のロゴの描かれた樽が置かれている。大麦を発酵させたショロという飲み物で、しゅわしゅわと舌に刺激があって、発酵飲料の不思議な味が口に広がる。

今日は、ビシュケクを少しまわってみることにする。

まずは、オシュ・バザールを訪ねてみる。日本とさして変わらない、大きすぎないサイズのじゃがいもやにんじん、朝鮮のお惣菜や焼きのりに醤油などが売られていて、ぷんとアジアの香りがしてくる。それにアプリコットやレーズンなどのドライフルーツにクッキーなどのスイーツも売られている。

プロフを炊くのに適しているという赤いオズギョン米などの米や、ビニール袋に入れられたスパイスがずらりと並んでいる。ナンにもたくさんの種類があって、店員ははけで時折その上に油を塗って光沢を作りだしている。ナンやお菓子のセットを買っていくことにする。

海賊版のDVD各種や、Manga、Bushido、Fujiにスシ、Samurai、GeishaやNinja、Zen、酒にCopybookなどといった文字が絵とともに表紙に書かれたノートも売られている。チョコレートののったタルトをほおばりながら、歩く。

バザールを出て、チュイ大通りを東のほうへと歩いていくと、本屋が見えてくる。中に入ると、スターリンが表紙の本もあれば、日本語の教科書や参考書も置かれている。

旧ソ連の名残のように、銅像が街のあちらこちらに置かれている。キルギスのシンボル、マナス王の像ももちろんあって、馬に乗って剣を手にしているが、身体には鳩がたくさんとまっている。映画館やひなびた雰囲気の動物学博物館などを通り、先へと進む。

今日は、カザフスタン、キルギス、トルコの大統領やアゼルバイジャンの総理大臣が、サミットのためにこのビシュケクにやってきていた。

ビシュケクを訪ねる人の間で知られているといういちごタルトを買い求める。見た目にとろりとしたいちごがのっかっていて、期待を膨らませて口に運ぶものの、いちごも中に入ったカスタードも大して味はしない。タルト生地の味がふんわりと口に広がる。

てくてくと進んだところにある大統領府の前には、護衛官が見当たらない。他の国ではこんな場所で写真を1枚でも撮ろうものならどこからかタタタと警察が近寄ってくる場所もあるものだが、ここにはそんな護衛官が見当たらない。そのうちにゆるゆると走っていく細身の護衛官らしき人が後から現れたくらいだ。

でも、その隣の歴史博物館の前の国旗には、ぴしりと動かない警備官が二人。そこには、いると思っていた自由の女神像は消えていて、マナス像がかわりに立っている。後から聞いたところによると、自由の女神が手にしていたユルタのトップ部分は、女性が持つのはおかしいという理由から、像が撤去されたのだという。

それでも、そんな博物館のわきの池には、子どもたちが泳いでいるものだから、なんともゆるい雰囲気だ。

その前にここに立っていたというレーニン像も博物館の後ろに移動されている。右手をぐいっと伸ばしながら、胸を張っている。

緑豊かな公園には、仕事用の制服を着たまま卓球をする人々や、カラオケで唄いあげる人々、キスを交わす若いカップルもいる。

道ばたには、無機質なグレーのジュース製造機があり、肌の焼けたおじさんがジュースをつくって、売っている。青リンゴジュースをオーダーする。細い管からしゅわーと青リンゴのジュースが出てきて、それを、使いまわしているようなグラスに注ぐ。見た目は緑色に輝いているが、飲んでみると、ほとんど青リンゴの味はしない。ただ水の炭酸にわずかな甘みが足されているくらいだ。

ツム百貨店は1階に携帯屋が並び、その上の階にも化粧品やら洋服、民芸品などが売られている。ソ連時代と人は変わっていないと言う人もいれば、その時代は仕事がないといって困ることがなかったという人もいる。

今週の土曜日に友だちの従姉妹の結婚式があるというので、今日はその前パーティ。お母さんは朝から晩まで料理を作り、友だちはそのお手伝い。次から次へと親戚の人々が家にやってきて、ご飯を食べて行く。

お母さんお手製のベリージュースから始まり、たまねぎを混ぜ込んだパンに、揚げパン、餃子のようなパン、すいか、羊肉の出汁が効いた麺の入ったスープ、それにご飯に羊肉の炒め物、中国から持ち帰ったという香り高い緑茶。

レストランで出てくるようなレベルだと親戚の人たちも口を揃える。

ウズベキスタンに近いキルギスの南の人々はご飯をよく食べているが、北のほうの人々は麺をよく食べるのだという。

蒙古班はキルギス人にもできると言い、わたしたちを仲間だと言った。そして、初代大統領が来日した際に、日本と兄弟だと語ったことに日本は喜び、多くの資金をキルギスに捧げたという話を聞く。

そして、ビジネスや国を変えたいという気概のあるキルギスの若者は、現在欧州のようになろうとしているグルジアに学びにいくという。

お母さんの家からはアザーンは聞こえないが、それでも時間をみてお母さんは五回祈りを捧げている。

ヒジャブを身につける女性と身につけない女性では、同じイスラム教徒でも考え方が違うのだと言う。ヒジャブを身にまとう女性は、身にまとわないとより暑い地獄へ落ちると考えている。

夜は、友だちの弟くんに誘われ、アップルミント味のシーシャを吸わせてもらう。友だちもみな好きで、集まって吸っていると言う。18歳から吸っているというから、吸い方も上手い。口で上手に煙の輪を作る。Google Translateの音声をAO機器につなげて会話をしながら、輪の作り方を教えてもらう。燻製チーズとナッツ、それにビールをごちそうになる。

パッケージは、15ソム。水たばこは2000ソム。

夜の2時半から友だちが来てサッカー観戦をするという。
キルギスのなんともぜいたく生活だ。