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乗車拒否の灼熱バス – Urgench / Bukhara, Uzbekistan

朝にうっすらとした眠りから目が覚めると、一緒にいたハヤくんはとてもしんどそうだった。それでも、この街にとどまっていてもできることはなさそうなものだから、今日はバスに乗ってブハラの街まで行こうということになる。

テントを張っていたところからほど近いターミナルに行くと、ターミナルの門の開く7時を待つ人々が既に集まってきていた。ブハラ行きバスは9時に出るという。

一度テントに戻って荷物を担ぎ、再度バスターミナルへ向かう。バスは既にそこに停車していたので、大きな荷物を置いて、ハヤくんには休んでもらいつつ、商店で飲み物を買ったり、両替を済ませたりしに街へ繰り出す。

わたしたちもお腹の調子がまだ良くならないものだから、商店でざくろジュースを買って済ませる。そうしてターミナルへ戻ろうと歩いていると、向こうから手招きする男性がいた。

聞くと、バスでわたしたちを待っていたハヤくんの具合が悪そうだから、バスターミナルの責任者は、ハヤくんが頼みもしないのに医者を呼んだと言っている。バスにはがやがやと美人女性医者から、不機嫌そうなターミナルの責任者、いかにも恐そうなターミナルの女性などがずかりずかりとやってきた。

ターミナルの責任者は、ハヤくんの具合が悪いのをバス会社の責任にされちゃ困る、と言った。だからこの紙にサインをしなさい、とロシア語ばかりの紙を手渡してくる。英語の紙がほしいと言っても応じない。しまいには、バスから降りて検査を受けなければいけません、と言う。

もう大丈夫だとハヤくんが何度伝えても、責任者は「君は大丈夫かもしれないが、こっちには問題なんだ。責任問題になりかねない。早く降りなさい。そうでなければ警察を呼ぶ」と真顔で病人のハヤくんに向かって繰り返すばかりだ。

それじゃあ、と、指示されたとおりに、ハヤくんの具合の悪いのはバス会社の責任ではありませんと紙に書いてサインをする。そしてまた、指示されたとおりに、パスポートコピーも手渡す。

それでもバスを降りなさい、と聞かない。

そのうちにバスの乗客全員がわたしたちを残して、バスを下車した。そしてバスの運転手は言う。「このバスは明日まで発車しないことになった。だから、あなたたちも降りなさい。」

それでもバスの乗客全員の荷物は網棚に載ったままだ。わたしたちが下車に応じずにいると、しばらくしてバスの乗客たちはまた乗車をしてきて、そしてバスはふいに出発した。まるで芝居のように。

バスターミナルの責任者たちはわたしたちを下車させることを諦めたようだった。

こうして滑稽な朝を迎えたDAEWOO社のバスは、ブハラに向かって出発した。途中に停車をしては、大きな木の箱やら鉄の太いパイプやらがバスに運ばれ、通路に置かれる。だから、休憩のときにバスの外に出るには、えっちらおっちら木の箱やらを跨がなければならない。乗客たちはあちらこちらから手をかしてくれる。

気温はぐんぐんとあがっていき、座席の下の鉄板は高い熱をもち、灼熱バスへと変わっていく。

できたばかりの舗装道の横の砂利道をバスは通っていく。隣にトラックでも走るものなら、バスの窓から砂埃が舞ってくる。がたがたと走るバスの網棚からはペットボトルやら麻袋やらが降ってくる。

交通事故を起こした車が2台ぐにゃりとへし曲がっている。灼熱バスは時折砂漠の真ん中で停車し、乗客たちはそれぞれに身を隠してトイレを済ませる。そのわずかな休憩時間もほんの1分程度で、すぐにバスはクラクションを鳴らして先へ進もうとする。

そんなバスに、生れたてで眼もまだわずかにしか開いていない赤ん坊が揺られている。

砂漠から徐々に緑の広がる畑が見えてくるようになり、わずかな湿度を感じるようになる。スカーフを顔にまとった女性たちがロバのひく荷台に乗って走っていく。

こうして19時にバスはブハラに到着する。ハヤくんもわたしたちも、体調の悪い中の灼熱バスから解放された。通路の大きな木の箱や鉄のパイプを跨ぐ作業もまた乗客たちが手を貸してくれる。

そこからミニバンに乗って、宿を探す。満室の宿の多い中、マディナさんとイリオスさんの宿、Madina & Ilyos B&Bに寝床を見つけた。大きなメロンをいただきつつ、商店でロシアの梨ジュースを買い求める。

お腹にやさしい無炭酸を買ったつもりが、これもまた炭酸飲料だった。
暑い街には炭酸飲料がとても多いのだ。

水を買いに立ち寄った商店のオーナーが、店の奥に手招きする。靴を脱いで絨毯にあがり、中をのぞいてみると、くり抜かれた棚に装飾のほどこされた食器が並べられていた。店の娘は猫を抱えて、ソファに座る。