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消えていく海と錆びれた船 – Nukus / Moynaq / Aral Sea / Nukus / Urgench, Uzbekistan

朝もメロンをほおばってから宿を出る。今日は、ここから目的地であったアラル海へと向かう。

まずは歩いて30分ほどのところにある中央バザールへ向かい、そこからアラル海への交通手段を探すことにする。バザールからはタクシーもつかまえやすいと聞いていたものの、そこにいた人々が別の場所からはバスが出ているというものだから、言われた場所までミニバスで向かう。

到着したところで、またわんやわんやと交渉が始まる。結局、バスは昼ごろまで出ないということで、タクシーをつかまえていくことにする。ウズベキスタンのタクシー運転手は、ほとんど例外がないほどに、たちが悪い。バスが走っていようと、バスは通ってないと口癖のように言い、たいていとんでもない金額から値段交渉を始めなければならない。

とにもかくにもタクシーを見つけて、アラル海へと向かっていく。このアラル海は人的要因によってその面積が急激に縮小した、「20世紀最大の環境破壊」ともいわれている場所。

旧ソ連時代、綿花栽培のために灌漑をつくり、アムダリヤ川上流に運河を建設して、アラル海に流れ込む川の水量が激減した。そして、河川流域の経済活動や人口増加によって水の使用量が増加、そのうえ、生活、農業排水がアムダリヤ川に戻されずに砂漠に捨てられていることなどがあいまって、アラル海はからからとその面積を小さくしていった。

9時40分位に出発したタクシーは、川を渡り、土色の墓を眺め、真新しい家々を横切り、道に歩く牛とすれ違い、運河をせき止めて作られた湖を過ぎていく。すると、アラル海に近い町、ムイナクの看板が現れた。

暑い日差しの降り注ぐ町には白い家が並び、ひっそりとしている。白い壁には水色でカラカルパクスタン共和国と書かれている。

3時間ほどタクシーが走ったところで、船の墓場、と呼ばれる場所へ到着する。かつての海岸であった絶壁に建物が建っていて、かつての海であったところには広大な砂漠が広がっている。そして、数隻の錆びれた船がその砂漠にぽつりぽつりと佇んでいる。かつてここにはアラル海があったのである。

岸壁にかかる階段を下っていき、渇いた砂漠のほうを向く、錆びた船の骨に近づく。砂丘には風の模様が描かれ、その下には貝殻がいくつも砂に埋もれている。ハエの飛ぶ音と風の吹く音が聞こえるだけで、そこに水の音はない。

遠くに見えた川のほうまで歩いてみる。さらさらとした砂から徐々に固い砂へと変わっていき、ところどころに湿った土も見える。

30分ほど猛暑の砂漠を歩いてたどり着いた川は濁っていて、遠くのほうに草場を求める牛が歩いていく。

船の墓場から少し車を走らせたところには、1991年に閉鎖された水産加工物の缶詰工場跡地がある。ゲートの近くの看板には、魚を網ですくう人々と積まれた缶の絵が描かれている。

ひっそりとしたその工場の跡地の窓ガラスは割れ、錆びた鉄板が貼り合わせられている。割られたガラスから中を覗きこめば、そこには埃をかぶる荒れ果てた機械が並んでいる。

山羊が歩いているだけで、かつての活気はどこにも見当たらない。そんな中に一人の青年がぽつりと立って、ラップをかけ始めた。それが余計に静けさを強調する。

町に数軒しかない商店まで車で向かい、水を買い求めて、歴史博物館を訪ねる。鍵をもつ担当者が昼食に出ていて、しばらく待つ。博物館を訪ねてくる人は、他にいない。館内に入ると、1960年のころのまだ湖に水がひたひたと広がり、町には建物が並び、人々の集まる活気があったころの様子が絵や写真に描かれていた。

すっかりと寂れてしまった町を離れて、ヌクスの街へとまたタクシーに揺られる。水のほとりには、牛が佇む。

ヌクスの宿に置いておいた鞄をピックアップして、今日はこれからブハラの街へと向かいたい。それでも交通手段に悩まされるウズベキスタン、まずは比較的大きな町、ウルゲンチまで向かって、そこからどうするかを考えることにする。

宿からタクシーに乗ってバザールへ、そこからまたウルゲンチまでの乗り合いタクシーが出ているというターミナルまでバンに乗り、そしてまたタクシーをつかまえる。いろいろな人がいろいろなことを言ってくるので、何が本当のことやら分からずに、あちらこちらとうろうろしながら、前へと進む。

こうして、タクシーが渇いた道を走り、ウルゲンチに到着するころには22時になっていた。ほんの少しの路線をのぞいてウズベキスタンは夜行バスがないので、これ以上進むことはできない。

行こうと考えていた宿も鉄道駅の改装に伴い、どうやら閉鎖したようで、近くの空き地でテントを張ることにする。

ウズベキスタンでは、ソ連時代の名残である、レギストラーツィアという滞在登録が毎日必要で、その登録ができないホテルや場所には泊まってはいけないということになっている。それでも、車中泊やテント泊だと例外的に問題がないと聞いたこともあるものの、本当のところがこれもまたよく分からない。

だから本当はここでテント泊をするのも良いものか分からないのだが、それでも今夜分のレギストラーツィアの紙きれは、昨日宿泊したホテルが間違えて今夜の分まで発行をしてくれていた。だから、ここはレギストラーツィアを発行してくれる宿がどこにあるのかも分からないことだし、テント泊をしてみようということになる。

こうして夜の工事中の駅前でがさごそとテントを張る。若者たちが幾人か通り過ぎて行く。

テントも張り終え、寝ようかというところで、てくてくと警察2人がやってきた。ウズベキスタンの警察は、賄賂を要求してくるとかどうにも評判が良くない。しかも、わたしたちが持っているのは、間違えて発行されたヌクスの街のホテルのもの。今ウルゲンチのここでテントを張っているのが良いことだとは思えない。

それでも、一緒にいたハヤくんが国際学生証を見せて交渉していると、その警察はにこにことしてロシア語を話し、結局握手で解放された。

テントの上には星が瞬き、流れ星が見える。そしてこうもりがわさわさと飛んでいった。