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2011年11月

コカコーラと革命記念日 – Valladolid to Cancun, Mexico

コカコーラ社。

コカコーラ社の赤色はメキシコ革命記念日も街を包み込んでいた。ソカロ周辺の会場はコカコーラ社のブースが並び、真っ赤なプラスチックチェアが整然と並べられている。

メキシコでは一部宗教儀式にもコーラが使われ、先日訪ねた小さな先住民の村サンファン・チャムラでも、何台ものコカコーラ社のトラックが一角に発車待機をしていた。そして昨日自転車で走っているときもコカコーラ社の工場を横切った。お酒を外で飲むことが禁じられていたりするものだから、余計にコーラに対して愛情深くなるものである。

革命記念日当日は朝から街中が大騒ぎだった。
牛や鶏や植物がトラックに乗せられて、連れて行かれる。
各大学が運動着姿でパフォーマンスを繰り広げていく。
緑色の迷彩服を着た人々が黙々と、火の輪くぐりを見せて行進していく。
カテドラルでは小さな子どもたちが白いひらひらとしたきれいな服を着て抱かれている。

わたしたちは昨日Toonさんに教えてもらったフードコートの奥にある、そこで唯一客がわんさか集まっている店、Loncheria El Amigo CasianoでSalbutesとPanuchosをオーダーする。トルティージャを揚げて鶏や豚肉をのっけたり、トルティージャの中にフリホーレスを詰めて揚げたりしたもの。それをユカタン半島でよく飲まれているチャヤという名の葉のドリンクと一緒にいただく。

昼の11時半にとっていたカンクン行きのバスも、記念日のためか、メキシコにしては珍しく30分程遅れていて出発をした。3時間半ほどでバスはカンクンのダウンタウン、セントロのターミナルに到着する。

荷物を背負い、てくてくと歩いていると、どこからともなく宿の客引きのおじちゃんやお姉さんに声をかけられる。これもメキシコでは珍しい。各人が数軒のホステルの客引きをしてコミッションをもらうシステムである。一人の力なさそうなおじちゃんが提示したホステルの内1軒を選び、ついて行くと、そのおじちゃんの風貌によらず、良いホステルを紹介してくれた。

カンクンといってもリゾートホテルエリアとセントロ付近は分かれており、セントロ付近はすっかり庶民の場となっている。パラパス公園は革命記念日らしく多くの人が集まり、宣教師風格好のおじちゃんが大人気で写真をぱしゃぱしゃと撮られ、そばにはマリオもルイージさんも、いる。公園の一角は遊園地のようになっており、そばでマリアさまを中心としたイベントも行われている。

公園には屋台も並んでおり、わたしたちはComida Corridaを注文する。スープにタマリンドジュース、チキンのクリームソース煮/サルサベルデのついたセットメニュー。ボリュームたっぷりの料理をいただいているうちに、頭上にパンパンと花火があがった。きちんと「花」を描いた花火だ。

こうしてコカコーラに始まった革命記念日も終わりに近づいていく。

自転車でセノーテを巡る。 – Valladolid, Mexico

地下奥深い水たまりが好きだ。
ひっそり入る感じが、良い。

中南米通の友人が勧めてくれたセノーテに行くためにわたしたちはValladolidまで来たのだった。

「セノーテ (cenote) はユカタン半島の低平な石灰岩地帯に見られる陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸、泉のこと。」(ウィキペディア。)

朝から開いている食堂で豚肉の煮込みとオニオンをはさんだTortasを買って、MexiGoというお店のToon Vande Vyvereさんから自転車を借りて、一日セノーテめぐりをすることにした。Toonさんはベルギー人でメキシコ人女性と結婚して店をこの地に開いたのだと言う。
旅をしている人の気持ちを熟知した人だ。メキシコ人は小柄な人も多いからと、小さな自転車も完備。ありがたい。脚が、届きます。

まずはプルーン入りヨーグルトを一気に飲みほして、家族で所有しているセノーテを3か月前から公開したばかりで地図にも載っていないHacienda San Lorenzo Oxmanというセノーテに向かう。

牛がいて、色とりどりの花が咲き、蝶々が飛んでいる。
その光景とは裏腹に、荷台に黒いごみ袋を山積みにし、その上に青いマスクをつけて緑色の帽子と服を着込んだ男性を数名乗っけている大きなトラックが何台も行き来する。ごみ集積所が近いのだろうか。

途中から砂利道になり、よいしょよいしょと進むこと約30分、Hacienda San Lorenzo Oxmanに到着した。密やかな場所を想像していたその場所は、整った門構えに、美しいプールまでついたセノーテであった。礼儀正しい挨拶と誘導によってセノーテまで階段を降りてゆく。深さ67mあるというその場所は、一瞬入ることをためらうほど、色深く、不気味な気さえした。

それでも一度身体を浸すと、その水がいかに透明であるかがすぐに分かる。
脚の先まではっきりと見え、Luという黒い魚が肌をこつこつと叩いてくる。

このセノーテにはロープがぶらさげられ、高い位置からロープにつかまり、セノーテまでジャンプをすることもできる。

まだ知られていないセノーテであるため、わたしたちだけしかいない。遠く頭上にそびえている木の根が、セノーテまでだらりと伸びている。

のんびりと遊んだあと、また自転車に乗り5キロほど先のX KekenとSamulaというDzitnupセノーテに向かう。ここは国が管理しているセノーテだということでライトアップもされていて、多くの人が訪ねている。

この付近は晴れている日に突然大雨が降ることが時々ある。
この日もX Kekenに着いた途端、からりと晴れている最中に雨が降り出した。物売りをしている子どもたちもハンモックに揺られて遊び始める。

セノーテに入り、魚につつかれ、ぽっかり頭上に空いた穴を眺めた後、再び自転車にまたがり、Dzitnup村まで行く。小さな村の小さな教会があり、子どもたちがノートを片手に集まってきて、わたしたちを招き入れてくれた。みな熱心に学んでいる。

こうしてまた自転車にまたがったわたしたちは、牛や馬、ゲームをしている子どもたちや木と藁でできた家のそばを通りながら、4キロ先のChichimila村まで進み、その後、コミュニティで管理されているというX’La kajiというセノーテを見る。

夕焼けが見え始め、ライトのない自転車は危ないので、そそくさと町まで引き返すことにする。車ばかりがときどき横を猛スピードで通り過ぎる。その他は、死んでそのままの形が残された犬が横たわっているばかりだ。

辺りはいよいよ暗くなり、帰路を急ぐ。無事に戻ったValladolidは、11月20日のメキシコ革命記念日を祝う前夜祭でにぎわっていた。町にはViva Mexico 1910-2011というイルミネーションが赤と緑で施されている。デング熱の発症者がいたようで、蚊の殺虫剤がまかれているのだとToonさんが教えてくれた。

わたしたちはToonさんに教えてもらったレストランConatoで、羊、牛肉、タマネギ、チーズに唐辛子の入ったブリトーにライスのついたミックスブリトーにサングリアをオーダーする。ここのブリトーは、外国人の味覚を知るToonさんお勧めらしく、見事なブリトーだった。

こうして満腹になったわたしたちはチュロスをつまみながら、前夜祭を眺め、宿に戻る。
前夜祭は夜遅くまで賑わい続けていた。

もにゃもにゃ君とマヤの神。 – Mexico

サンクリストバル・デ・ラスカサスで泊まったTATA INTIという宿のKanhnaaくんは、生粋のマヤ人であることを誇らしげに語ってくれた。

わたしたちは、彼をもにゃもにゃ君と呼ぶことにした。彼はマヤ神話における13神の総称、オシュラフン・ティクを信じ、手首にはマヤ語で「13」を意味する文字が彫られている。

エル・サルバドール、ニカラグアに入るときも「マヤ人」であることが
「話して分かる」ので、入国にビザが不要なのだという。

近頃は生粋のマヤ人でもない人々が、
マヤ人気どりしていることを好ましく思っていないようだ。

マヤ人である彼はTATA INTIに住み、手伝いをしていると同時に
ジャンベを教えて生計をたてている。

ひげもじゃ、ロン毛の見かけによらず、きれい好きな彼が
わたしたちが宿を去る時に、
最高神を意味する「hunab’khu」という意味を
みなの手を使い、教えてくれた。

キムさんのパズルとマヤ人さんの頭の良さ。 – Chichen Itza, Mexico

MeridaのHostel Casa Nicoは、快適そのもののホステルだった。従業員はまじめで、泳げない程度のプールも敷地内にあり、朝食にはトーストやコーンフレーク、ミルクにバナナ、卵が提供される。

世界一周中のキムさんとはルートが似ているのでまた会うかもしれないけれど、しばしのお別れ。徴兵で3年軍隊にいたというキムさんは、荷物の整理がパズルのごとくきちんとしていた。こちらが感心していると「こんなふうになるのは自由じゃないし、不自然だよ。」と言う。そんなキムさんも、1年で終える予定の世界一周計画が遅れに遅れている。頭をなでながら、この遅れは「シリアスな問題だ」とさして困っていない様子で言った。

わたしたちはマヤ文明の200年以上にわたる芸術、宗教、経済の中心地であったチチェン・イツァーを訪ねるために、
Oriente社のバスに3時間弱ゆられる。
窓の外には木の柱をたて、藁ぶきの屋根をのっけた家がところどころに見られる。

遺跡は、6世紀頃のマヤ古典期に属する「旧チチェン・イツァー」と、
トルテカ文化と融合した10世紀以降の後古典期に属する「新チチェン・イツァー」に
大きく分かれている。

古代のマヤ人は、暦によって定期的に遷都を行っていたといい、その驚くほど正確な暦の作りかたが、遺跡の各所にみられる。

天文台であるカラコルは今のそれと形が似ており、窓や台座の位置が月や太陽、惑星の位置を正確に示すように作られている。

そして、大神殿であるエル・カスティージョはマヤの暦を表しているのだという。
四方の階段が91段ずつあり、頂上に1段。つまり、91×4+1=1年の365日となる。
また9層の基壇が中央階段で2分されており、9×2=18。これは1年を18か月で分けていたハアブ暦の月数を表している。ぞぞぞ。

そしてそれぞれの基壇に凹み部分が1面に52ある。
これは農耕に用いられていたハアブ暦(1年365日)と
祭事用のツォルキン暦(1年260日)が重なる52年の周期を示しているのだという。
そのうえ、蛇の頭をしつらえた階段側面は、
春分と秋分に影が羽のようになって表れるのだそう。
ぞぞぞぞぞ。マヤ人さんは頭が良い。

また戦闘部族であったトルテカ人の影響もみられる。
たとえば、生け贄の心臓を置いたというチャック・モール像や生け贄の骸骨を大衆にさらす場所であったという頭蓋骨が多数彫られたツォンパントリなどがそれだ。

豊穣の神に祈りを捧げる宗教儀式として競技が行われた球戯場も残っており、勝ったチームのキャプテンが、斬首され、生け贄として捧げられたというのだから、たまったものじゃない。

ユカタン半島最大の規模であるセノーテでは、
日照りの時期に、若い処女が生け贄として投下され、
その祭壇跡も残っている。
両親はどんな気持ちになるだろう。
誇らしかったのだろうか、それとも娘を失う絶望感にひたっていたのだろうか。

チチェン・イツァーには土産物屋も軒を連ね、木を彫っている店番人や、ひたすら木で作られた頭蓋骨を磨いているおじちゃん、見ざる、聞かざる、言わざるトリオも売られていたりする。

手をたたくとエルカスティージョから「ぴよんぴよん」と反響が返ってくるので、
遺跡は、多くの人が手をたたく音と「ぴよんぴよん」という音が呼応していく。
そして、土産ものとして売られているTambor Maya(マヤ語ではTun kul)という木製の楽器を叩く音が辺りに響き渡っている。

わたしたちはエルカスティージョが作ってくれている大きな影に包まれ、
横にごろんとなる。

Valladolid行きのOriente社最終バスが17時35分に出るというので、それに乗る。
約1時間ほどで到着したValladolidにはツーリストインフォメーションオフィスがあり、
優しい人々がいたおかげで、無事に地図を手に入れ、Hotel Liliに宿をとる。

中心にソカロという広場があり、教会があるため、
とにもかくにもバスターミナルからそこまで歩くとその街の情報を手に入れやすい。

Squimzというレストランに入り、
トルティージャに鶏肉を挟みグリーンソースをかけたEnchiladas Ya-Ax Ligerasと
味のさっぱりしたTecateビールを注文する。

帰りがけに宿のお兄さんに頼まれた食事を買うついでに、
コンビニOXXOでハンバーガーを買って食べてしまう。
ひとつは普通のハンバーガー。もう一つは甘い菓子パンにチーズとハムを挟んだもの。

メキシコにいると、思いのほかハンバーガーやTortaといったサンドイッチ類が多く、
日本的概念からすると、一体どこで栄養をとっているのか
首をかしげてしまう食べ物が多い。
明るく陽気なスナック的食事。
食事っていうものの概念が変わりそう。

きちんとしたメリダ住民と、過去と現在のキリスト教 – Merida, Mexico

8時にはメリダに到着した。キムさんとともにHostel Casa Nicoという場所に宿をとることにする。メリダはユカタン州の州都であるが、古い町並みが残っている辺りが、最近観光地として発展しているサンクリストバル(サンクリ)とは違った雰囲気だ。

その様子にサンクリ大好きキムさんは「メリダはメキシコ・シティに似ているから、いまいち」とサンクリに戻りたがっている様子。

すっかり腹ぺこになったので、街の食堂でChiles rellenosを注文する。
さほど辛くない唐辛子に肉やチーズを詰めたもので、肉のChiles rellenosは
ピーマンの肉詰めとよく似ている。

からりとした空気の暑いメリダで、再びアイスを食べたくなり、
ネスレのEskimalというクッキーアイスを買う。

メリダは観光地であり、
インフォメーションセンターなる立派なオフィスまである。
8時から20時まで開いているのだとメリダをこよなく愛するお兄さんが
周辺地域についてパソコンに入った写真を見せながら丁寧に教えてくれる。

ソカロのカテドラル前のベンチに座っていると、
高校生だという女の子二人と付添いの先生一人が、
クラスの課題で質問をしたいと言う。
わたしたちの国籍やメリダに来た理由、
宿泊先やユカタン料理を食べたかどうか、
既にどこに行ったかといった質問だ。
英語のあまり通じないメキシコで、
二人の高校生とインフォメーションセンターのお兄さん、
Casa Nicoの受付女性は英語も堪能で、まじめに働き、勉強をしている。

メリダは、1542年にフランシスコ・モンテホ率いるスペイン軍に占領されて以来、
内陸部の先住民族を制圧する基地、先住民に対するカトリックの基地として機能していたという。

ユカタン半島最大の規模を誇るというカテドラルには、
Cristo de la unidadという文字の前に木製の大きなキリストが十字架にはりつけられている。
天井が高く、マイクを通した歌声が教会内にこだまして響きわたった。

対して、そのすぐ隣にはマヤ文明をテーマとした壁画のある州庁舎がある。
「トウモロコシからの人類の誕生」といった壁画や
スペイン人侵略の際に果敢に対抗し、
キリスト教への改宗を強要されたマヤのリーダー、Nachi Cocomの絵もある。

わたしたちは、さきほどのメリダ高校生が教えてくれた
地元でおいしいレストランLa Chayaで食事をすることにした。
大変な賑わいを見せていて4組ほどの待ちがある状態だ。

ユカタンの民族衣装を着た女性がトルティージャを作っている。
これも高校生が教えてくれたユカタン料理Orden de cochinitaを注文する。
アチョテとオレンジのソースがかかったジューシーな豚肉が
バナナの葉につつまれてサーブされる。
かわいらしい激辛ハバネロがちょこんと乗っているから、罪だ。
タコスにはFriol RefritoやPepita Calabazaといった豆や肉をすりつぶしたものをつけて食べる。
ビールはMontejoというユカタン地方のビールをオーダーする。
苦味が強いが、軽い飲み口。

メリダでは毎晩のように伝統的なパフォーマンスが町で行われている。
今日は「ユカタン・セレナーデ」なる踊りと歌が
サンタルシア公園で行われるということで行ってみる。
ユカタンの白い布に花があしらわれた服装に
白のパンプスをはいた女性と全身白地のスーツを着た男性が、
音楽に合わせて踊る。

歌もあり、漫才のようなトークもあり、客席との掛け合いもある。
会場に敷き詰められた座席は満席で、立ち見もいる。
毎晩、メリダという町では人々が集まる場所が用意されているのだ。

チーズを包んだMarquesitasをつまみながら、
ユカタン・セレナーデを1時間ほど鑑賞した後、
会場で発見したキムさんとビールを飲もうと
OXXOや地元コンビニに入ると、ビール棚がロックされていた。
見ると「アルコールの販売は月曜から土曜は午前10時から午後10時まで、
日曜日は午前11時から午後5時まで」と書いてある。

街中でコロナの瓶を片手に陽気にしているメキシコ人を想像していたが、
実際は酔っ払っている人も見かけず、お酒でお店や家で嗜む
メキシコ人の姿がここにはあるのだった。