2012年01月
朝からフランク船長がクレープを焼いてくれている。チーズやハム、トマトをのせたり、バターやジャム、クリームチーズをたっぷりと塗って、口に入れる。グレープフルーツが並べられ、みなナイフとフォークを器用に使って、種と皮をとっていく。
10時には30分ほど先へのペロ島へと向かう。海底が砂浜の部分は海がエメラルドグリーン色にそまり、輪を描いて濃い藍色へとつながっていく。
犬の島という名のペロ島は一つの商店と、サトウキビの茎を並べてできた家が佇んでいるだけの島である。1家族がココナッツの管理をするために住んでいる。
近くにはかつての大型船が1950年代に沈んだ沈没船があり、さびれた先の部分だけが海の上に出ている。船体は沈み込み、海藻がついている。船体の半分ほどは原型をとどめていない。黄色や赤と茶色の格子、輝く青色の魚などがそのヨットのまわりに住み着いている。
昼はフルーツの入ったパスタにパンだ。食事をしていると、この辺りでは一番質の高い色鮮やかなモラを作るというクナ族であり、ゲイでもあるというVenencioさんが仲間と緑の木のボートに乗って、モラを売りにきた。プラスチックの容器に一枚ずつ重ねていた布を一枚ずつ取り出して広げて見せて、また一枚ずつ戻す。
その後、また2時間ほどボートは走りCoco Bandero Caysへと向かう。航海中は船長も眠ったり、食事をつくったりしなければならない。その間は乗船者一人一人がもちまわりで運転席に着いて、監視をする。他の船が地平線の内側に来て視界に入っているということはおよそ7マイル以内にいるということで、20分以内に接近すると考えられるので注意をしなければならないのだという。
このCoco Bandero CaysにあるOrduptarboatの小さな島には名前もついていない。5本のヤシの木が生えているだけだ。周りにもヤシの木がぴょこぴょこと生えているだけの島が点々としている。
そこまでシュノーケリングで泳いでいく。水面に広がる珊瑚の周りに魚が集まっている。そこに突然砂が集まり盛りがっているのが、そのまま島になっている。
サッカーをしたり、椰子の実を木でつついて落としたりする。その椰子の実をそれぞれヨットへ持ち帰る。
夕ご飯はミートソーススパゲティをいただく。ジューシーな肉の旨みがつまったミートソースだった。持ち帰ったココナッツに穴をあけて、それを用いたCoco Locoに似たココロコ・スペシャルカクテルを船長がふるまってくれる。船長は、Romeo y Julietaのシガーをくゆらせる。
この辺りには他のボートが停まっておらず、夜はただ月と星だけになる。月がまだ上がる前には辺り一面多くの星が瞬く。
このボートの名前になっているCleoは、かつて船長が15年生活を共にした犬の名前である。父親の名前をシーザーといい、クレオパトラの名前にちなんでCleoと名付けたのだという。スペインで亡くなった後、ドイツの親のお墓とともに埋葬したのだという。
みな、誰でも死ぬんだ。でも、また生き返る。Cleoは星になって、見てくれていると思うよ。
大きな身体をして、日に焼けた赤い顔の船長は、そう言った。
2012/01/11 23:32 |
カテゴリー:Panama
朝起きてみるとボートは既に静かにサン・ブラス諸島のポルベニール島近くに停泊していた。幾隻かのボートもとまっており、日差しを浴びている。
朝ご飯は2種類のハムにチーズ、オリーブオイルとバジルのかかったトマト、スクランブルエッグにパン、コーヒーが並べられている。
食事を終えて船長とともに、ゴムボートに乗りかえて、ポルベニール島へと行く。スペイン語でのポルベニール島は、クナ語ではGaigirgordup島と呼ばれており、イミグレーション、クナ国博物館、小さなホテル、再建設中の小さな空港があるだけの小さな島である。
パナマのポルトベーロで船に乗る前に、パスポートはフランク船長に渡している。船長がみなのパスポートを持ち、このポルベニール島で代表としてパナマのイミグレーションオフィスに行くのである。
あるときは10分で終わるが、あるときは1時間ほどかかることがあるという。
船長が1時間程イミグレーションでねばっている間、わたしたちは島を廻る。
Cabana’s Nan Gabayaiと名付けられた、数部屋にベッドが置かれている建物は、ひっそりとしていて管理者もおらず、人気のない部屋には、部屋の鍵さえ置かれていた。
外の椅子に腰かけていた男性は、ここで月の半分仕事をし、残りの半分は別の島で仕事をしているという。外でイワシの鱗を削いでいる男性がいる。商店が一つあり、ビールは本島の約2倍、1瓶1.5ドルで販売されている。再建設中の空港の片隅では、男性5人が身を寄せ合い、真剣に話し合いを行っている。小さな宿であるエル・ポルベニールの前には家族が商売気もなく、おしゃべりをしながらクナ族のグッズを販売している。
島には他に船を待つフランス人2人のバックパッカーがいた。
1時間の手続きを終えた船長は、イミグレーションの人々にフランス人2人を乗せて行ってあげられないか、と頼まれたという。良い人たちだと、いうのである。
船長は、断った。フランク船長は、通常船のチャーター客しか乗せず、今回のようにバックパッカーを乗せるというのは珍しいのだという。途中から見ず知らずのバックパッカーを乗せて船を汚されたらたまらない、そう言って、断った。船長にとってのCleo’s Angelは、彼の家そのものなのだ。
ゴムボートに乗ってCleo’s Angelに戻り、ゴムボートを力いっぱいCleo’s Angelに巻き上げる。
40分程走ったところにあるWest Lemmon Caysのエレファント島の近くへと移動する。上から見るとゾウの形をしているから、この名前がつけられたのだという。島の周りには茶色や緑色の海草があり、それが水の色へ浮かびあがり、海は茶色や水色、その奥の深い紺色へと層になって色を変えていく。海岸に沿って一周する。
それぞれにシュノーケリングをする。
黄色や水色の魚が珊瑚礁や海草の間を泳いでいる。
黄色く大きなヒトデが、海底にところどころついている。
マイケルはマンタを見たと目を見開いた。
お昼ご飯はキノコや野菜のチーズリゾット。手作りのパンも香ばしい。食べ終わった後は真水で洗う銀のカトラリーはそのままキッチンへと運び、磁器の器は一度塩水でざっと洗ってから、キッチンへ運んで洗う。
その後、日差しを浴びながら、トランポリンの上で、眠る。
夜ご飯はフランク船長が、さきほど木のボートに乗った人々から買ったおおぶりの蛸と船長とクラウディアがボートで買いに行ったロブスターを使ってパエリアを作るという。生きた蛸とロブスターをさばく。冷蔵庫もミキサーも、レンジも、スパイスも揃っているキッチンで、汗をかきかき、手慣れた調子で作ってくれる。
船長はかつてスペインなどヨーロッパ各地でいくつかのレストランを経営していたのだという。奥さんであるクラウディアとは、以前互いが別のパートナーと結婚をしていた際に子どものサッカーの試合を観に行っていた時に知り合ったのだという。
その後、フランク船長はスペインと行き来し、ドイツに戻ったときにEメールで「朝食でもどうですか」と誘ったのだという。そのうちにクラウディアさんから、また食事をしましょうと続く誘いがあり、結婚をして9年もの間こうして船暮しをしているのだという。かつてエンジニアリングを勉強していたフランク船長は、80万ドル、南アフリカ製のこのボートに乗って11年になる。クライアントはたいていドイツ語を話すヨーロッパ人だという。
船長は、その太い指を使って、パエリアを作ってくれた。ぷりぷりとした蛸と、身がたっぷりのロブスター、じっくりと味がしみこんだライスに、きゅっとライムを絞ったものだ。
食卓ではたいてい船長がドイツ語で話をするので、スティーブンとわたしたちはきょとんとそれを聞いている。音響システムが優れていると自負するパイオニアのスピーカーから、iTunesに入れた音楽を流していく。
月が今日も海を照らし始め、近くに浮かぶ数隻の船の中から灯りが漏れ出て、笑い声が聞こえてくる。
トランポリンに横になり、月を眺め、星を見上げる。
2012/01/10 22:57 |
カテゴリー:Panama
中米では乾季と雨季が分かれていて、ここパナマでは今月からが乾季だが、ポルトベーロに着いてからも時折思い出したかのように強い雨がパタパタと降り、そしてまたすぐにそれが止んでいる。
今朝はシトシトと優しい雨が降っていて、その中に鳥や虫の声が聞こえている。
15時にコロンビアに向かうボートが桟橋から出ることになっているので、それまでは宿でコーヒーやパンとともにゆっくりと過ごす。
キャプテンジャックは今日もバーの片隅で無線を使って船長たちとやりとりをしている。
宿をとっているCaptain Jack’s Hostel Portobeloというところは、ポルトベーロ港とコロンビアを結ぶヨットを目あてに滞在している人々がほとんどで、ある人はコロンビアからヨットでここにたどり着き、ある人はこれからコロンビアに向かうヨットを待つ、といった具合で、なんとなく同じ目的を共有していて、客同士が親密なのである。
15時に待ち合わせ場所である桟橋に行く途中、ビールを買っていこうと商店に立ち寄るも、祝日は法律でアルコールの販売を禁止しているから、隣の家に行きなさいと誘われる。言われるがままに隣の一般人の家に入ると、そこではビールが売られている。
15時、フランク船長がゴムボートに乗って迎えに来た。沖には、わたしたちをコロンビアまで運ぶボート、Cleo’s Angelが既に泊まっている。
ゴムボートに荷物を詰め込み、数回往復してCleo’s Angelに向かう。
航海中に不要なものはあらかじめ鞄につめておき、それをボートの天井の上に載せてカバーをかける。必要な物は、キャビンに入れる。
今の時期は海が荒れていて、パナマ発の多くのボートは国境付近のコロンビアSapzurroまでしか行かないものが多い。
でもCleo’s Angelはカタマランという双胴艇で、安定感がある。縦15mx横8mx高さ21m、40トンというもので、荒れた波にも耐えられるので、カルタヘナまで行くことが可能なのだった。
フランク船長は「危険はゼロだ。僕は30年間航海をしていて、人生が楽しくってしょうがないんだ。まったく問題ないよ。」と言う。
ボート前方の床にはトランポリンのような網目が張られて、寝そべることができ、後部には右手に操縦席、左手にテーブルと椅子にクッションが並べられている。
キャビンは右手にフランク船長や奥さんのクラウディアさん、それぞれの子どもの写真がたてられたテーブルとソファ、左手に冷蔵庫、ミキサー、コンロ、レンジなどが完備されたキッチンを挟むかたちで、左側に2部屋、右手に2部屋ある。
船の後部に位置しているテーブルと座席に座り、コロンビアのビール、Aguilaで乾杯をしてから、船長の一連の説明を聞く。
乗船者はドイツ人であるフランク船長と奥さんであるクラウディア、
ドイツからハネムーンで世界を旅しているマイケルとレベッカ、
医者のレベッカの同僚であった看護師のアンナ、
米国海軍で沖縄にもいたスティーブン、
イギリスの大手法律事務所での就職が決まっていてそれまでの休暇で中南米を回っているティムと
わたしたちの合計9人である。
船内で触ってもよい場所といけない場所、
触ってよいロープといけないロープ、
ボートの脇を通るときは倒れる時もボート側に倒れられるようボートの取っ手をつかむこと、
海に落ちた人が万が一いた場合はその人を指さし続けること、
落ちた人は落ち着いて救助を待つこと、
不用意に外部に救助を求めた場合には巨額の請求が来ること、
航海中は全ての船内の窓を閉めること、
シャワーはボートの後ろについていること、
日焼けどめのオイルやスプレーは船内を滑りやすくするので、クリームを使うこと、
船内のポンプ式トイレでは、水を出す方にレバーを倒して30回ポンプを押し、
水を入れる方にレバーを倒してまた30回ポンプを押すこと、
ボートの周りに泳いでいる仲間がいる場合にはBomb Alarmと注意を促すこと。
ドイツ人であるフランク船長は以前スペインなどヨーロッパ圏でレストランを何店舗か経営した後、夢であったボートを買って、こうしてカリブ海を中心にボートをのりまわしているのだという。「僕にとって世界で一番素敵な女性」であるクラウディアと一緒に。
説明の後にはドイツ風肉とじゃがいもの煮込みとパンをいただく。レストランを経営していたフランク船長の料理は、とてもおいしい。
身体がぽかぽかと温まり、お腹も満たされた18時、パナマ・ポルトベーロ港を出航する。
船長とクラウディアは横に並び操縦席に座る。
だんだんと波が高くなっていき、最初は船の前方にあるトランポリンでゆっくりとくつろいでいた一人一人が、徐々に後部の座席のほうへと移っていく。
マイケルも既に船酔いをしているはずなのに、大量に買ったビール瓶を豪快にあけていく。
いつカルタヘナに着くのか船長に尋ねた。
「いつ着くのかは分からない。飛行機が待っているわけじゃないだろう?」
常に船長は最高の仕事がしたいと言った。パナマからコロンビアまで客を連れて3日で渡る人たちがいる。それじゃ、何も見ることができない。僕は、良い場所を見せたいんだ。
右手にはリントン島の灯りが点々と見える。
海面近くに今日は満月だという赤く光る月が浮かび、そのうちにそれは色を黄色く変化させながら、より高い空へと上がっていく。
波は高まり、どこかにつかまらないと歩けないほどになって、21時にはベッドにたどり着いて眠ることにする。
2012/01/09 23:13 |
カテゴリー:Panama
ポルトベーロは、スペインと新大陸を結ぶ重要な港として発展を遂げた町である。多くの奴隷もアフリカ大陸から連れて来られたため、この町に住む多くの人々の肌の色は、パナマシティの人々より相対的に濃い色をしている。
明日にはボートに乗り込んでコロンビアに向けて発つので、今日はこの港町を歩くことにする。朝から宿のオーナー、キャプテンジャックは、バーの片隅で無線を使って船の船長たちとやりとりをしている。
Cristo Negro(黒いキリスト)という名のレストランで、ローストチキンとバナナフライを食べる。町には野良犬がのそのそと歩いており、テラスで食事をしていると、物欲しげな犬たちが次々と集まり、4匹程に囲まれる。
店の向かいには、サンフェリペ教会があり、黒いキリスト像が血を流しながらその左肩に大きな十字架を担いでいる。
この町は海賊の攻撃に備えた要塞があり、サンティアゴ要塞とサン・ヘロニモ要塞は世界遺産にも登録されている。
サン・ヘロニモ要塞の城壁には大砲が並び、階段を下がった場所には天井に小さな穴の開いた、かつての監獄跡も残されている。
要塞前に広がるポルトベーロ湾は遠浅で、沖のほうで子どもたちはばしゃばしゃと水遊びをし、傾いたボートが浮かんでいる。
誰もが入れるその世界遺産のすぐそばには家々が並び、ここにもClaro社のまんまるテレビアンテナが屋根にぽつりぽつりと赤い円を描いている。ボートが並べられた川には小さな魚とごみが淀んでいるが、子どもたちは気にせずに川に入っていく。
17,18世紀に建てられた税関跡をのぞいた後、コカコーラ社のKistという炭酸オレンジジュースを飲みながら、サンティアゴ要塞まで海沿いの道を歩く。
サンティアゴ要塞もまた誰しもが入ることのできる世界遺産であり、多くの人々がのんびりとしている。近くには大音量を放つ車が停まり、人々は岸に腰かけてそれを聞いている。
Santiago de la Gloria城の跡地は既に緑が生えて丘のようになっている。階段を上がり、要塞やポルトベーロの町とポルトベーロ湾を見渡す。奴隷売買や財宝運搬場所の跡地近くではソフトボールの試合を終えた人々がビール瓶を片手に集まっている。
宿に戻って明日から生活を共にするフランク船長とシェフのクラウディアさん、船乗員5人と挨拶をする。船長とシェフはドイツ人であり、身体の大きな海の似合う船長からは、明日の朝から4時間おきに酔い止めを飲むよう指示を受ける。
ぼくも船に乗ってから最初の3,4日は酔い止めを飲むんだ、クラウディアは飲んだことないんだけどね、と真面目な顔をして言う。
宿に泊まっているパナマシティ在住の女性に話しかけられる。明日の祝日殉教者の日と合わせてポルトベーロに休暇に来たのだという。1989年の米国によるパナマ侵攻の際には彼女は大学生だったが、多くの人々の生活が困窮したという。そんな彼女も今はテレコミュニケーション企業で働いている。キューバやベネズエラのチャベス大統領に対する批判を口にした。
夜の9時頃に食事をしに外に出ると、町の数軒のレストランはほとんど閉まっていたので、昼と同じレストランで、牛肉のステーキとキャッサバという芋、チーズ、肉、レタスとトマトをはさんだハンバーガーをオーダーする。ビールは近くの商店で買ってきたSoberanaビールを飲む。軽いビールだ。
町の商店のほとんどは中華系の人々が商いをしている。
こうして中米での日々が終わりに近づこうとしている。
2012/01/08 23:44 |
カテゴリー:Panama
パナマのカリブ海側にある小さな港ポルトベーロから、9日にコロンビアのカルタヘナへのボートが出る。今日は、太平洋側のパナマシティから、そのポルトベーロまでバスで向かうことにする。
太平洋側からカリブ海側へ。
とはいえ二つの町の間は約100km程。2、3時間もあれば着くので、朝はパナマシティの旧市街、カスコ・ビエホをのんびり散歩することにする。
1749年に建てられた後1781年の大火災で損なわれたAntiguo Convento de la Compania de Jesus遺跡や1678年に建てられたAntiguo Convento de Santo Domingo遺跡を通りながら、フランス広場へ向かう。
建物のあちらこちらに、CC3という黒文字に赤い斜線が引かれた旗がかけられている。「NO A LA CINTA COSTERA 3」と書かれ、パナマ市中心部の海岸沿い幹線道路であるシンタ・コステラの延伸計画に異議を申し立てている。
フランス広場は、パナマ湾に突き出していて、前方には新市街の高層ビル群、後方にはパナマ運河の河口にかかるラス・アメリカス橋や南に点在する3つの島を結ぶ防波堤、コースウェイを望む。
パナマ運河を最初に手掛けたフランス人レセップス像の頭上を飛行機が飛んでいく。
海には何隻もの船が浮かんでいる。
新市街は高いビルが立ち並び、 ぐねりと螺旋を描くビルがその姿を見せている。
海は薄い水色と土色が混じり合っている。
1905年から07年に建設された、薄い桃色と黄色の国立劇場、その正面にあるサン・フランシスコ教会の間を通り抜け、人々が外で食事をしているボリーバル広場へと出る。
子どもたちは細い路地で、プラスチックの棒をもちながら、野球をして駆け回っている。
この辺りは観光客も多く、Kyoto Sushi and Martini Barと名付けられたバーや、モヒートも置くVieja Havana、小さくも洗練されたカフェなどが点在している。
Super Gourmetと名付けられたカフェでバルボアビールを飲む。店内は冷房が効いており、Wi-Fiがとんでいる。黒板に書かれたメニューにはスペイン語はなく、英語で表記されている。ビール瓶にそえられて出てきたグラスは、適切に冷やされている。
一度宿に戻り荷物を背負った後、5月5日広場まで歩き、ターミナル行きバスに乗ることにする。広場までのセントラル大通りは相変わらず多くの人で賑わい、鳩は地面に散らばったポテトフライをつついている。鮮やかな衣装を着たクナ族の女性たちは、一般的な洋服を着た男性や子どもたちを連れて歩いている。
パナマシティからポルトベーロまでは途中のサバニータスで乗り換えをして向かう。パナマシティからサバニータスまでは急行バスで約1時間。満席だったので、通路に簡易の椅子を置いてもらって、そこに座る。曲がると、椅子があちらこちらへと傾くも、冷房が備え付けられ、テレビではアクションドラマが流れている。
サバニータスにあるスーパーReyの前に、ポルトベーロ行きのバスがやってくる。地元の人たちで溢れるバスは、他のパナマバスに違わず車体は派手に彩られ、入口も蛍光ピンクのキルティング加工に、白い羽がふわふわとついている。そのファンキーっぷりに反して、運転手はうっすらと髭のはえた、ごついおじさんである。
車内は満席で最初は立っていたものの、人々は子どもを連れた母親や、荷物の多い人に席を譲り合っている。わたしたちも、どうぞ座りなさいと指をさされる。
窓の外には深く生い茂る木々の間に家が点々としている。家々の屋根の上には、まるでお決まりかのようにClaro社の、丸く赤いテレビアンテナがつけられていて、町中に赤い丸を描いている。
こうして約1時間程でポルトベーロに到着し、ボートの手配もお願いしているCaptain Jackの宿へと向かう。オーナーであるキャプテン・ジャックは、ニュージャージーの出身で、以前は化学製品の貿易に携わり、日本の日商岩井などとよく取引をしていたのだという。シンガポール駐在などを経た数年前の定年退職後、ボートを購入して世界を廻り、気に入ったこの地で宿を開くことにしたのだという。
パナマ、コロンビアに宿を持ち、そして今、パナマとコロンビアの国境近くに新たな宿を建設中なのだという。パナマとコロンビアの国境沿いといえば、地元の人でも危険だという地域だが、キャプテン・ジャックは、その地域は今はもう危ない場所ではなく、かえって未開の、野生の動物などがいる素晴らしい場所だと言った。
そして、コロンビアは世界で一番好きな国だと付け加えた。
夜ご飯を食べに、小さなポルトベーロの町を歩く。公園では人々が太鼓をたたきながら、踊り、停車している車のスピーカーからはこちらの身体が痺れるほどの大音量で音楽が流れている。
近くにFonda Idaと、隣にもう1店舗レストランがある。この2店舗が、やる気があるのかないのか、互いのレストランを積極的に紹介し合う。結局Fonda Idaで、牛肉の煮込みと、ライス、サラダにレンズ豆と甘いバナナフライのセットを注文し、バルボアビールと合わせる。
店の外で食べていると、目の前に大きな花火が打ちあがった。
2012/01/07 23:15 |
カテゴリー:Panama
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