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2012年04月

同じ部屋の住人 - Tazara Railway to the border with Tanzania

がたりという大きな音とともにときどき目覚めながら、朝を迎える。

コンパートメントは男性用と女性用に分かれている。
男性部屋は同じ部屋に、タンザニアで大学に通う大学生、会社の経営者、日本からオンラインで買った車をダル・エス・サラームにピックアップに行く男性などがいる。
女性部屋はザンビア人3人と韓国人1人がいる。

一人のザンビア人女性は、かつてシカゴで9年間看護婦をしていたものの、感情がうつってつらくなり、現在は自身でビジネスをしているという。中国からアクセサリーなどを買い、市場で売っている。自分で中国に行く資金はまだないので、1か月に一度中国に行く知り合いにわずかな手数料を支払って、買ってきてもらうのだという。あらかじめインターネットでほしいアクセサリーを見つけ、それを印刷して、その知り合いに持って行ってもらう。

その他の二人のザンビア女性もタンザニアのダル・エス・サラームに買い付けにいく。二人はとても仲の良い友だちで、何か困ったことがあれば飛んでいく姉妹のような仲なのだという。一人はかつて英語と数学の教師であったが、現在は、ヘアサロンを経営し、電気製品の売買もしている。今回はダル・エス・サラームに、ヘアサロン用の用品を買い付けに行くのだという。

タンザニアでは英語はあまり通じず、スワヒリ語が行き交っているのだそうで、二人は英語、スワヒリ語のほかに、ベンバ語やニャンジャ語なども話すという。3人ともにキリスト教徒である。

朝の食堂車は賑わっていた。朝からビールを飲んでいる男性もいれば、朝食を食べている人もいる。パンにペーストを塗り、林檎をかじる。列車がぐらりとゆれると手に持っている紅茶や炭酸飲料がテーブルにこぼれる。

草の大地のところどころに木々がまだらに生えている。鉄道はゆるやかに曲線を描いたりしながら、がたりごとりと進んでいく。時折線路のそばには倒れて錆びれた車両が見られる。

10時には国境の町、Nakondeに到着する。新しい家が、乾いた赤茶けた土の上に建てられている。
駅に到着すると、どっと両替商やらSIMカード商人が、手にぶ厚い札束とSIMカードを持って乗り込んでくる。ここを過ぎれば車内でもタンザニア貨幣シリングしか受け付けないので、ここで両替をする。

しばらくするとImmigrationと書かれたジャケットを着た女性たちが乗り込んできて、ザンビア出国のスタンプを押してもらう。

ザンビア-タンザニア国境情報

ザンビアのルサカから、タンザニアのダルエスサラームへ、TAZARA鉄道を使って行くルートです。

1.ルサカのTAZARA HOUSEにて、チケットを購入。
火曜・金曜 14時発。
1等、2等、3等の座席がある。1等はすぐ売り切れてしまうので、早めの予約が必要。
(※1等 ZKW205,900、2等ZKW189,000、SUPER SEATER ZKW172,800、3等ZKW169,000)

2.ルサカからKAPIRI MPOSI行きのバスに乗る。所要約3時間。ZKW 60,000.

3.バスはKAPIRI MPOSIの中心に到着。
(※水、パン、果物等はここで買えます。)

4.KAPIRI MPOSIの駅へ行く。
タクシーなら10分程で到着(ZKW 15,000)。徒歩30分。
(※人通りの少ない田舎道でした。そんなに危ないとは感じませんでした。)

5.駅の窓口で、予約した座席の確認。

6.乗車。

7.2日目(出発日の翌日)の午前中に国境付近に到着。
国境の係官が乗って来るので、
事前に配布された、ザンビアの出国カード・パスポートを提出。
個人の両替屋が乗り込んでくるので、両替。

8.事前に配布されたタンザニアの入国カード・パスポートを提出。
同時にビザも取得。US$50.00

9.3日目の夕方、ダルエスサラームへ到着。

◎両替
 国境付近にて個人の両替屋が乗り込んでくるので、そこで両替ができる。
 ZKW 22,000 = TSH 6,000

ザンビアからタンザニアまで2泊3日鉄道の旅 – Lusaka / Kapiri Mposhi, Zambia

今日から2泊3日で鉄道に乗って、ザンビアのKapiri Mposhiからタンザニアのダル・エス・サラームまで向かう。

ザンビアの首都、ルサカからはバスに乗ってKapiri Mposhiへ行く。まだ暗いうちにタクシーで宿からターミナルへと向かう。朝6時発のバスを待つターミナルには、「倉敷天領太鼓」と書かれたトラックが停まっている。

バスの通路では、発車時からキリスト教について説く男性が演説をしている。彼がアーメンとつぶやけば、乗客も、アーメンと続く。

上海建工と書かれた建築現場や、Disneyという名の渋い店舗がある。途中、Kauiの町で途中停車をしながら進む。休憩する旨の車内放送が流れるくらいだから、しっかりしたバス会社なのである。町には砂埃が舞っている。

草葺き屋根の円錐形の家、ロンダベルがとうもろこし畑の間にぽつりぽつりとしている。まっすぐに伸びた道に、自転車を乗ったり、歩いたりする人々がいる。そうかと思えば、突然に建て売りらしき、真新しい家が現れたりする。

備え付けのテレビからは、中国語の字幕をつけた英語の映画が流れ始めた。

9時15分ころにはKapiri Mposhiに到着する。前から後ろから斜めから、どこに行くんだ、タクシーに乗らないか、と声がかかる。ルサカの道ばたで少年から買っておいた揚げパンをほおばる。

ここはルサカと比べるとずいぶんとゆったりとした雰囲気で、あちらこちらでこんにちは、と挨拶が向けられる。道を尋ねても、的確に親切丁寧に教えてくれる。混沌としたバスターミナルを離れ、舗装道路を曲がれば、のんびりとした赤茶けた砂道が鉄道の駅まで続いていく。のどかな道をてくてくと歩いていくこと、約30分、ふいに目の前に新しい建物が見えはじめる。

建物の上にはNEW KAPIRI MPOSHIと書かれている。ザンビアの前副大統領が亡くなったためか、わきにはザンビアとタンザニアの国旗が半旗になって掲げられている。

チケット購入時に、14時出発の2時間前、12時には駅に来てくださいと言われていた。指示どおりに早く到着したものの、駅ではチケットオフィスに予約時の切符を見せるだけで、特に2時間前に来る必要もないようなものだ。

しかもこの列車、出発が8時間以上遅れることもあるという。国際列車であるものの、荷物検査もパスポートチェックもない、のんびりとしている。

13時50分になろうとするころ、ゲートが開き、頭に器用に荷物をのせた人々がわんさかとゲートに入っていく。

大幅に遅れることもあるこの列車、無事に10分程度遅れるだけで、がたりと出発した。列車は中国製でところどころに中国語の表記が見られる。まくらぎにも「中華人民共和国制」と書かれている。

子どもたちが線路沿いに立ち、こちらに手を振っている。あるいは鉄道を追って走ってくる。この列車の通過を心待ちにしているのである。

とうもろこし畑や草の大地が広がる中をがたりがたり、ぎしりぎしりとバスはゆっくりと進んでいく。

食堂車もあり、そこで昼食をとることにする。プラスチックと鉄の簡単なテーブルと椅子が並べられた車両には、人々がのんびりと座り、ある者は食事をし、ある者はコーラを飲み、ある者はぼんやりと窓の外を眺め、ある者はテレビから流れる映画を眺めている。先ほど道ばたで少年から買ったじゃがいもとソーセージのパイに、昨日屋台で買ったバナナをほおばる。

列車が停車をすれば、ピーナッツやスナック、アボガド、バナナなどのフルーツを抱えた女性や子どもたちが窓の外からそれを売ろうとする。

食堂車から一度コンパートメントに戻り、3段ベッドの一番上に文字通りむぎゅりとよじのぼり、眠りにつく。眠る前の儀式がアクロバティックに過ぎる。

日が暮れて、窓の汚れで外のかすかな明かりがぼんやりと見えるしかなくなったころ、再び起きだして食堂車に行き、夕食をとる。人々はまばらで、黒人男性が微動だにせず手を膝の上に置いてテレビを見つめてる。彼の頭上にはAfriroots Adventuresという広告が貼られている。

パンにペーストを塗って、バナナとほおばる。洒落た包装のほどこされたペーストは、なるほど南アフリカ産のものだった。

時折がたがたと大きな音をたてて、列車が停まる。すると、辺りは途端に静けさに囲まれて、食堂車はぽつりと薄暗く灯された明かりと、テレビの音に包まれるだけだ。

夜中、酔っ払った男性同士が廊下で怒鳴りあっているのが聞こえてくる。「とっつかまえてやる」、そう何度も男は繰り返した。

ルサカのおっかな道歩き - Lusaka, Zambia

朝の4時にはルサカのバスターミナルに到着した。窓の外から幾人かの客引きがこちらに手招きしているのが見える。声をかけてきた一人のタクシー運転手にお願いをして、宿へと向かうことにする。

朝食は、プールサイドで暖かな日差しをあびながら、トーストにバターやピーナツバターをぬってかじり、ミルクコーヒーを飲んで、林檎をかじる。

まだ開業1年も経っていないというこの宿は、アイルランドから来た女性とザンビア人の彼が立ち上げた宿で、「まだまだこれからなんです」と言う。昨年たまたま物件を見つけて3、4か月でプールやバーを備え付け、営業を開始したという。

今日はルサカの街を歩いてみることにする。宿はカイロ通りの東にある高級住宅地が並ぶ一角にある。そこから人々の集まる賑やかなバスターミナル付近まで行く。

消防署や警察署、学校やNational Heritage Conservation Commisionの本部などがある。道ばたで鶏を揚げている女性、ピーナッツを籠に入れて売る女性、さとうきびを頭にのせて運ぶ女性、「Blues for Life」とペンキで書いたテーブルに並べた飴を売る男性、眼鏡をかけた学生風の男性たちがいる。

建物の2階にあるTAZARA鉄道のチケット売り場へ向かう。ルサカの北に位置するKapiri Mposhiからタンザニアのダル・エス・サラームに向けての明日発の列車のチケットを買い求める。

列車は4人一部屋の1等車、6人一部屋の2等車、クッションのきいた座席super sitterと、硬い座席の3等車に分かれている。1等車、2等車は男女で部屋が分かれている。1等車は常に人気で既に売り切れていた。そこで、2等車のチケットを購入する。

Kapiri Mposhiまでは、今回もMazhandu社のバスに乗っていくことにする。バスのチケット売り場の近くに、サツマイモを揚げている屋台があり、人々が集まっている。揚げたてのそれを新聞紙にくるんでもらい、塩をふってほおばる。ふかふかとしたさつまいもがかりっと揚げられている。

そこに集まっていた客はBemba語を話すといい、この芋はBemba語で「Kandolo」というのだと教えてもらう。この辺りの人々はみな、英語も含め、いくつもの言葉を流暢に話すことができるのだ。

真っ白なモスクのそばに、Kamwaia市場がある。電気用品、家具、文房具や教科書のコピーやDVD、衣服やヘアーアクセサリー、ウィッグに果物、トマトやオクラなどの野菜、豆に乾燥魚などが所狭しと並べられている。

市場の中の1軒の食堂に入る。店頭の炭で焼いているチキンに、とうもろこし粉を材料としたNshima、野菜と豆を合わせてもらう。チキンは香ばしく、塩を少しふったNshimaは主食になる。

市場から鉄橋を渡り、街の中心であるカイロ通りを歩く。すると、ある男性がふいにぶつかってきて、それから、真正面から鞄に手をかけ、脚をからめてきた。衝動で鞄をぎゅっとおさえると、男性は諦めて、去っていった。どぎまぎしたまま、足を進めていると、右後ろのポケットに入れていた紙が抜き取られていたことが分かった。

おっかないこと、この上ない。

チャチャチャ通りを歩き、地元の人たちの市場であるCity marketやTown Center Marketに立ち寄る。ふとある二人組がどうしたのですか、と声をかけてくれた。良かったら、案内をします、と言って、市場をぐるりと回ってくれた。

二人は、女性の数学の先生とその上司であった。女性は、毎日この市場に来ては食料を買っていくのだという。Nshimaは昼、夜に毎日食べていて、朝は紅茶とパンや、ご飯を食べたりもするのだそう。コーヒーは値段が高いので、ザンビア人はたいていお茶を飲むんです、と言う。ザンビアはさまざまな表情をみせる自然に囲まれた国なんです、と笑った。

彼女は最近携帯電話でfacebookを始めた。周りのザンビア人の友だちもfacebookを始めているのだとも言った。

干した魚や、きゅうりやトマト、玉ねぎ、じゃがいもといった野菜、バナナといった果物や卵、中国製の衣服や米国からの中古衣料品、機械の部品などが売られ、多くの人が行き交っている。

一部の市場の女性たちが白いパウダーを顔につけていた。女性たちはその白いパウダーをつけあっては、きゃぴきゃぴと笑っている。

近しい人が亡くなった際には喪に服して、こうしてパウダーをつけることで周りの人たちに知らせる。そして周りの人々は、食料やChitenge Materialsという布などを渡すのだという。彼女たちの近しい人が亡くなり、そしてこの国の前副大統領もまた亡くなった。

あちらこちらの店に、ハングリー・ライオンの店にだって大統領の肖像写真が飾られているような国だから、前副大統領が亡くなるということも大きな出来事に違いない。

女性たちは嬉しそうに、頭からパウダーをかけてくる。玉ねぎを購入して、その場を離れることにする。

SUBWAYもある町の道を、ピーナッツを籠に並べて頭にのせた女性や、揚げパンをプラスチック容器に入れて売り歩く男の子が歩いていく。明日からの列車の旅に備えて、買い出しを始める。

さらなる買い出しに、最近できたというLevyショッピングセンターにあるPick n Payに立ち寄る。スーパーの品ぞろえは南アフリカからまだほとんど変わらず、南アフリカ産の製品もよく見かける。ビールも南アフリカ産のBlack LabelやナミビアのWindhockのほうが、ザンビアビールMosiより前面に押し出されていたほどだ。

このショッピングセンターには、WoolworthsやZAMBEEFも入っている。買い物客は、外を歩いていた人たちとは少し違った装いで、裕福な様子だ。

夕食はoxtailのスープパスタにチーズをたっぷりとかけて、この周辺でもよく売られているナミビアの軽快なビール、Windhock Lagerを合わせる。

地元の人たちの収入を考えても、どうして(市場より高い)スーパーで物を買えるのか分からないんです、と言った宿のオーナーの言葉を思う。

ビクトリア滝とジンバブエ国境 – Victoria Falls / Livingstone, Zambia

朝は昨日買ったパンをトーストして、紅茶を淹れ、りんごをかじる。Zamloafという名のザンビア産のパンの袋には「Be Proud. Buy Zambian. Buy Zamloaf.」と書かれている。

今日はバンに乗って20分ほど、リビングストンからほど近いビクトリア滝を見に行くことにする。

ビクトリア滝の幅1.7kmのうち、ジンバブエ側が0.5km、残り1.2kmはザンビア側に属している。ザンビア側には、滝の上流を眺める道や水しぶきに虹をみることのできるKnife Edge橋などが備わっている。

上流のほうまで歩いていく途中、滝が、その高さを越えるほどの大きな水しぶきをあげているのが見える。そしてそこに虹が二重にかかっている。

雨期にあたる今の時期の滝は、水しぶきが滝を真っ白く包みこむ。滝のそばを歩けば、その高さと同じところを歩いているのに、水しぶきで大雨が降っているかのようになる。しぶきで目が開けられないほどだ。全身ざっぷりと水浸しになる。

ヒヒがキーキーという大きな声を出している道を下っていき、滝壺まで行く。入口で「食料を見せないでください、ヒヒにやられますから。」と言われていた。ヒヒはヒヒなりに、身体をむしりあったり、子どもを抱えて歩いたり、仲むつまじくやっているのである。

オレンジ色の花が咲き乱れ、みみずの這う道を30分ほど下がれば、滝壺へと到着する。左手にはジンバブエと国を分け合うビクトリア滝橋がかかり、その上を黄色い列車が走っていく。右手には滝のしぶきがあがっている。

さきほど水浸しになった身体をあたため、ビスケットをつまみながら、のんびりと腰をかける。強い太陽を浴びながら、ぱらぱらと小雨を降らせる。

世界遺産だというが、ザンビアらしく、どこかワイルドで野性味あふれていて、良い。デートスポットにもなっているようで、地元の男女が仲良く、滝を見に来たりしている。

ジンバブエとの国境があるビクトリア滝橋へ行くには、一度イミグレーションを通る必要がある。ビクトリア滝橋を見に行きたいんです、と言えば、パスポートを持っていなくても、小さな紙ぺらにスタンプを押してくれて持たせてくれる。その紙はしをゲートの係の男性に渡せば、それで良い。

ゲートを越えて歩いていくと、ビクトリア滝橋にたどり着く。長く広がるビクトリア滝が水しぶきをあげながら、茶色い滝壺へと水を落としているのが見える。さきほど腰かけていた滝壺には、虹がかかっている。

橋の中心にある、国境線を越えて、ジンバブエ側のイミグレーションまで歩いてみることにする。

いのししが道を横切り、猿が道沿いで動き回り、アイスクリームやドリンクの屋台がほそぼそと営業をし、人々は頭に物をのせて歩いていく。おだやかな道だ。

20分ほど歩いたところにジンバブエ側のイミグレーションオフィスがあった。柵の向こうはジンバブエである。

ビクトリア滝橋の真ん中、つまり国境の上にはバンジージャンプがあり、ジンバブエ人の男性が働いていた。かつてインフレ率数十万%となったハイパーインフレーションを経験し、破綻した経済の渦の中にいたその男性も、今ではずいぶんましになりましたよ、と笑った。

リビングストンでも、ビクトリア滝でも、歩いていれば、50 billionと書かれたかつてのジンバブエ紙幣を手に、これを1万ザンビア・クワチャ(約US2ドル)で買わないかと、何度も声をかけられる。

ザンビアのイミグレーションへ戻る道を歩いていると、タクシー運転手だという男性が、通常の値段の半額くらいの価格を口にしながら、勧誘をしてくる。明らかに、酒臭い。

イミグレーション・オフィスに戻り、「橋に行ってきました。」と申し出ると、再び紙ぺらにスタンプを押してくれ、それを持って外のゲートの係の男性に渡せば、良い。

滝の入口近くにある、「選ばれたタクシー運転手しか入れないエリア」まで戻り、そこからタクシーを捕まえることにする。リビングストン出身だというそのタクシー運転手は、ザンビアはずいぶん変わったという。景気も良く、生活は良くなり、人々はより幸せになった、と人のよさそうな運転手の男性は、そう言った。

牛が道を遮り、歩いていく。車のフロントガラスには サッカー・クラブ、チェルシーのシールが貼られている。

こうして、リビングストンの町中に戻ってきた。両替ができると聞いた郵便局内のWestern Unionを尋ね、ボツワナ通貨プラからザンビア通貨のクワチャに両替をしたいと言うと、「(ザンビアの)クワチャはありません。」と言う。今日誰かが両替をして、在庫ができれば両替ができるようになりますが、今はありません、と言う。自国の通貨への両替を受け付けていないのであった。

辺りには闇両替商が数多くいて、あちらこちらから声をかけられる。両替の看板を出した店舗で両替を済ませ、一息つく。

HUNGRY LIONという、リビングストンでも数軒の店舗をもつ南アフリカのファストフード店に立ち寄る。舌を出した陽気なライオンが店のあちらこちらに描かれている。

100%チキンと書かれた、「ジャングル・チーズ・バーガー」に、ポテトとファンタオレンジを合わせてオーダーする。パンはふっくらとしていて、チキンはさくっと揚げられている。明るいその店内は、外の雰囲気とは一線を画している。ファスト・フード店とはいえ、ハンバーガーはのんびりと待って、提供される。

夜は宿のテレビに流れたチェルシーとバルセロナの試合にみなが熱狂するのを眺めながら、身支度をして、ルサカ行きバスに乗るためにバスターミナルへと向かう。

時間が正確だと勧められたMazhandu社のバスは、車内も清潔、座席も快適である。車も人もほとんど見られない夜のリビングストンの街を、バスは首都ルサカへと走っていく。