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2012年05月

暑さと喉のかわきで、もうろうとする。 – Dongola / Wadi Halfa, Sudan

朝は、昨日もらったグワバとオレンジをほおばる。

ハルツームは午前中はまだしのげる暑さだったものの、ドンゴラにいたっては、朝から気温が上がっている。

半年ほど前に韓国人家族がこの街でヌビア様式のゲストハウスを開業したと地元の人から聞いたので、訪ねてみることにする。

聞いた話によると、伝統とモダンを組み合わせた建築は大変なもので、建設に1年半かかったという。

ご夫婦には3人の子どもがいて、スーダンで育つ子どもたちに韓国の文化にも触れさせるため、夏は韓国に帰国しているという。だから、今は不在。

ゲストハウスは、街の中心から歩いて5分ほどのところにある。アスファルトの道から逸れてろばに乗った男性二人についていったところに新しい建物が見えた。

留守番係であるらしい男性はたどたどしいようすで、オーナーのいない宿は、がらんどうとしていた。

スーダンの安宿、ロカンダの客には、スーダン人が多い。より高級なホテルになると、中国人やインド人ビジネスマンたちも現れてくる。それほど、この国に旅行をする外国人は、多くない。

スーダン人で英語を話したり、読んだりする人に出会うと、思わず声をあげるくらい、たいていのひとはアラビア語しか理解をしない。

ビザ取得から滞在届に旅行許可書、撮影許可書。滞在期間のほとんどをこういった届けの手続きで追われてしまう。

しかも、それぞれの申請についてのまともな情報が、一体どこにあるのか分からないことも多い。

それでも、韓国人の男性が北スーダンを気にいり、外国人旅行客を主なターゲットにした、英語表記のゲストハウスを開こうと思い立ち、奥さんや家族を連れてここに移り住んできたのだった。

昼前にはトゥクトゥクに乗って、バスターミナルへと向かい、次の目的地ワディ・ハルファまでのミニバスを探す。ドンゴラからワディ・ハルファまでは頻繁にミニバスが出ているようで、「ハルファ」と言えば、たいてい乗り場まで誰かが連れていってくれる。

ミニバスに荷物を置いたところで、近くの食堂で、KesrabとWeakaをオーダーする。インジェラの酸味を抜いたようなKesrabに、ややねっとりとした柔らかいカレーのような味のWeakaをかける。これに辛くない生のたまねぎとチリを添えていただくのである。

朝食、昼食時によく食べられているというKesrabとWeakaをほおばっていると、昨日のミニバスで一緒だった人々が店の前を通り過ぎ、挨拶を交わす。
小さな町なのである。

満席になったミニバスは、ワディ・ハルファに向けて出発する。

「今日はどのミニバスにも冷房はつかない」ということで、ぎゅうぎゅうになった車内の気温は上がり続ける。外には砂漠が広がり、時折ナイル川が近づくと、川沿いにだけ緑が生え、家がぽつりぽつりと並んでいる。

水がすでにお湯にかわってしまった1.5リットルのペットボトルをぐびぐびと幾度も傾ける。それでも途端にのどが渇いていく。

どうにも頭がもうろうとしてくる。

窓を開けると、熱風が肌にあたって、いたい。それを見越してか、ドライバーは、暑い車内であっても、窓を閉めたがった。

途中に砂漠の中で人の降りた場所があった。目の前に商店があったので、駆け寄り、ファンタ・オレンジを買い求める。それをぐびぐびと飲み干す。

ハルツームとワディ・ハルファを結ぶ極楽快適大型バスが横をすいすいと通り、わたしたちのワゴンを追い抜いていく。

17時半を過ぎたころ、ワディ・ハルファに到着した。乗客たちが手を左右に動かし、「もう終わりだよ、着いたよ。ハラース。」と合図をする。

スーダン、ワディ・ハルファからエジプト、アスワンまでのフェリーは週に一便しか出ていないこともあって、火曜夜のワディ・ハルファの宿は、たいてい満室となるのである。

こうして、Kilopatraホテルの広間にテントをたてて寝ることにする。広間には、既にベッドが幾床も置かれて、そこで寝そべっている人たちがいる。

宿からほど近い場所に数軒食堂が並ぶところがあり、そのうちのジューススタンドでオレンジジュースをいただくことにする。オレンジをミキサーで混ぜ、それにたっぷりと砂糖を入れる。砂糖を入れないほうがフレッシュで美味しそうなものだが、とにもかくにも人々は飲み物にたくさんの砂糖を入れるのである。

夕食はその近くの食堂でfuulをオーダーする。豆をつぶしたものに、ゆで卵をつぶしたもの、それにたまねぎのみじんぎりに豆を揚げたTa’amiyaを混ぜて、最後にゼット・シムシムというオイルをどばどばとかける。

ここで、今日エジプトからのフェリーでスーダンに着いたというロシア人の男性と同じテーブルを囲む。久しぶりに外国人旅行客に会う。

帰り際に近くの商店でStimという炭酸の林檎ジュースを買い求めて、飲み干す。

宿に帰ると、広間ではテレビを見ている男性たちがいて、ベッドで眠りこける男性、それに祈りをささげる男性たちが、いる。

ふいに宿の電気が停まる。5分待てば復旧しますよと誰も慌てるようすがない。
確かに、すぐに電気は復旧をした。

乾いた土地に流れるナイル川 – Khartoum / Karima / Dongola, Sudan

今日はハルツームを離れて、カリマという町まで向かう。バスは6時半集合7時発なので、それに合わせてミニバスをつかまえてターミナルに向かう。

数台バスが停車できる程度のターミナルに、Wodkaboush社のカリマ行きバスが停車している。

バスの周りには、シャイやコーヒーを淹れる女性たちが数名セットを構えて、揚げパンも置かれている。他の乗客に倣って、ミルクティーをすすりながら、発車を待つ。

立派なバスで、冷房完備、座席も小さなフットレストがつき、窓は大きく開かない構造、クッションも一般的な柔らかさをもち、右側に2席、左側に2席のふつうの造り。

車内は、シルキーな赤の生地にオレンジ色のフリンジや金色のスパンコールのついた布で装飾され、天井は赤いもこもこの布で覆われ、ピンクのシャンデリアがいくつか揺れている。

荷物は、バスの下の荷物入れに収納することができるから、どこからともなく現れて勝手に荷物をバスの上に運びチップを要求する人々もいなければ、かばんが落ちたり雨にぬれたりすることもない。

座席だって、口頭ではあるが、指定された座席を言い渡される。ここには雨漏りの心配も、砂埃が入ってくる心配もないのである。

出発時間も7時だから、4時に起きてまだ日の上がらないうちに宿を出て暗いターミナルでバスを探す必要もないのである。

しかも発車して2時間ほどでフルーツキャンディーと水のサービスまでつく。さらに10時ころには、包装された、パンと豆のフライ、Ta’amiyaにスポンジケーキやウエハースのセットまで、無愛想な添乗員の男性によって無言のうちに配られる。

ハルツームの街をぬけると、葉のない乾いた低木がぽつりぽつりとたつ砂漠を走っていくことになる。

殺風景な砂漠の中で、道路は舗装されている。

テレビから流れるトーク番組に、乗客は手をたたいて、大笑いする。

スーダン大型バス、極楽だ。

ROAD MONITORED BY RADARと書かれた看板がたち、銃を構えて座る軍人がいる。ろばが歩き、くずれた煉瓦造りの建物があるかと思えば、ふいに新しいコンクリートの建物が佇んだりしている。

そのうちに、外気の暑さで車内の冷房の効きが弱まってくる。

屋根もなくまるで朽ち果てた遺跡のような建物が並ぶ、ただ広く乾ききった土地に、人々が一人二人と歩いていく。

ろばの荷台に乗って通り過ぎる人がいて、トヨタのピックアップトラックが停まっていたりする。そのうえ不釣り合いな具合のアスファルト道がすっと伸びていたりする。

それから、突然に上部が平らな乾いたJebel Barkal山が現れる。18王朝ファラオの時代にエジプト人にとって聖なる土地であった場所である。

その近くには、小ぶりではあるものの、すらりとした輪郭を残したピラミッドがオレンジ色の大地の上で天に向かっている。

13時半前には、カリマの町へ到着する。人の住んでいるのかいないのか分からない乾いた家が立ち並んでいた中、ようやく人が実際に行き来している場所にたどり着いた。

快適だったバスから、むわりと暑いカリマの町に降り立つやいなや、シャイを飲んでいきなさい、とごちそうになってしまう。スパイスのさほど入っていないあっさりとしたシャイだ。

カリマからドンゴラという町までミニバンがまだ出ているというので、その乗り場である場所を探して向かう。

すると、ついてきなさいと、案内役を買って出てくれる人に出会う。案内をしてくれたり、ごちそうをしてくれたりするのは、ハルツームを出ても、変わらなかった。

バンは、満席になるまで出発しないと言うので、近くの食堂に入り、昼食をいただくことにする。

パンをちぎったものに肉のはしきれやスパイスをごちゃまぜにした、見た目には素敵とは言えない、それでも暑い中ぱくぱくと食べれる食事をいただく。

気温は容赦なく上がり続け、空気は乾燥を極めている。そこで、やはりオレンジが食べたいと、フルーツをぶらさげた店に立ち寄り、オレンジ、2つください、と言う。すると、オレンジをもう一つ、それにバナナやグアバまでビニールにほいと入れて、どうぞと言われる。

カリマ付近ではBallahaが名物だということで、乾燥Ballahaをいただこうと店に立ち寄ると、今度は支払いはいりませんよ、と差し出された。

Ballahaはキャラメルのようにねっとりとしていて甘いドライフルーツだ。ともにDongola行きバンの発車を待つスーダン人乗客たちと、いただいたBallahaを分かち合う。

乗客たちは、その後も携帯電話をかちかちいじりながら、出発を待つ。そのうちに、わたしたちに次の行き先を尋ねてきた男性がいた。

どうやら、わたしたちの乗るバンの会社の商売敵だったようで、罵りあいが始まり、やがてバンの会社の男性は棒を持ち出し、もう一人の男性はナタを持ち出す始末である。

ただぽかんとするばかりだ。

カリマからドンゴラまでは、ただ平らな赤い土の砂漠が続く。二度ほど検問があり、運転手がバンを降りてなにやら手続きを済ませる。

ナイル川が見えてくれば、ドンゴラの町も近い。

ドンゴラのバスターミナルからトゥクトゥクに乗って、殺伐とした砂漠の道を抜け、町の中心地へと向かう。数本の道に食堂や商店、宿が並んでいる。

商店の前では大勢の男性が集まり、商店の方向に向けて祈りが捧げられている。

宿の前に屋台ふうの店が並んでいたので、そのうちの一軒で豆を煮たフールをオーダーする。ルッコラやたまねぎ、トマトといったサラダといつものパンがついてくるメニューである。

ナイル川も近く、魚がとれるようで、魚のフライが大量に積まれている。屋台の男性が身のたっぷりついた二匹の魚にライムとパンをつけて、新聞紙にくるんで持たせてくれた。

魚は、不自然なほどにぼってりと柔らかい身がつき、脂がのっている。それがかりっと揚げられているのである。

乾燥したこの土地は、ナイル川の恩恵で、魚を食べることもできれば、飲む水もシャワーの水もある。

店のそばで、珍しく男性がシャイを淹れていた。ムスリムの白い服を着たその男性に淹れてもらうことにする。大きな身体でおおらかに茶を淹れて、そこにミントの葉を浮かべる。そこには、いつも入れられているスパイスもなく、ただ、茶とミントの味がした。

スーダンの宿は、一部屋に3つか4つのベッドが並べられていることが少なくない。スーダン版ドミトリーである。わたしたち外国人を見ると、その3つか4つのベッドの部屋を貸し切り状態にして勧められる。

スーダン人たちは、暑い部屋のなかよりも、ベッドを外に出して、寝ることがお気に入りのようだ。こうして、宿の外のスペースは、男性スーダン人たちの寝床と化していく。

たくさんの善意と、こまぎれの情報で、旅がゆっくり進む国。 - Khartoum, Sudan

朝は、道ばたでいつものようにシャイを飲み、オレンジを買ってバスに乗り込む。

今日は、昨日閉まっていた観光庁に朝から向かう。政府機関なので、堅い雰囲気なのだろうとふんでいたら、担当の女性は、物腰柔らかく、古いぶ厚い本を取り出してスーダンについてを語り、しまいにはその本をあげます、と言う。そのうえ、チョコレートを手渡され、ハイビスカスティーを淹れるので飲んでいってくださいね、と言う。

昨日の警察署のようすとずいぶんと違うものだから、同じ政府の管理下とは思えない。

旅行許可書も撮影許可書も、とりあえずこの観光庁で取れるというので、ほっとする。地方を旅行する際に必要だと言う旅行許可書も、かつては取得に24時間かかったと聞いていたところをわずか5分ほどで済んだ。

しかもその許可書は、旅行許可書と撮影許可書が1枚になったものになっていた。かつてよりずいぶんと効率化されたのだという。こうして思いがけず、撮影許可書まで取得するにいたった。

それにしても、ビザ申請から滞在届に旅行許可書に撮影許可書。それぞれに何が違うのかよく分からない書類がいろいろと求められる国である。しかも、申請先がころころ変わり、担当者の言うこともてんでばらばらだ。

観光庁の建物を出たところで、観光庁のマネージャーと、大学教授だという男性と挨拶を交わすと、「コーヒーをごちそうしますから、木の下で一緒に飲みましょう」と誘われる。

マネージャーも物腰柔らかく、日本にも仕事で数回来たことがあると言う。天皇陛下と握手をしたこともあるというのだから、それくらいの地位の人なのだ。

そこからバスに乗って、一度スーク・アラビのターミナルへと戻る。途中、バスの車掌が下車したまま、運転手は車を発車させ、おいてきぼりにしてきてしまった。車掌は別のバスに乗って、バスに追いつき無事に帰還を果たしたものの、なかなか大変な仕事である。

この街の車や機械製品はたいてい日本か中国か韓国のもので、コカコーラやペプシ、セブンアップはあるが、スターバックスもマクドナルドもない。

ハルツームの北のカリマという町へ移動するためのバスのチケットを予約しに、改めて、教えてもらっていたアボ・アダムバスターミナルに向かうも、大きいと聞いていたターミナルは交通の便もよくなく閑散としていて、しかもカリマ行きバスは、Sajanaバスターミナルからしかないという。

こうして人々の指し示すカリマ行きバスのターミナル3か所はどれも間違っていて、4か所目のSajanaターミナルで、ようやくカリマ行きバスを見つけるにいたった。

Sajanaターミナルにたどり着くのもまた一苦労することになった。そこは、ターミナルと呼ばれているものの、道にバスが停車していて、バス会社のカウンターがぽつりと道沿いにあるくらいであったから、どうにも見つけづらい。

とにもかくにも、ようやくバスのチケットを手に入れる。

スーク・アラビのターミナルに戻り、そこに並ぶジューススタンドや食堂の一軒に入り、モパダというデザートに、マンゴーミルクシェイクをオーダーする。こういった甘いものを出す店には、女性同士の客や、デートふうの男女がいたりする。

隣の席にいた男性と挨拶を交わすと、男性は「スーダンは良くない国でしょう。」とやや遠慮がちに言う。謙虚なのか、自国を好きではないと話す人々が、スーダンには見事に多い。

でもスーダン人ほどにウェルカム感情をもち、親切心に満ちた国民もまた珍しい。そして、どことなく洗練されている。

バスに乗ってもたいてい満席で、補助席もフルに活用されているものだから、車掌への集金も手渡しリレーである。後ろのほうの人が下車するとなったら、補助席に座った人たちは一斉に立つ必要がある。それが、平然とこの国では、行われている。

ジューススタンドの看板には、むきむきレスラーが描かれている。

子どもたちがお金をちょうだいと目の前に立つ。

ペンギンが怪我をした絵がやたらとバスに貼られている。

ハルツームの近くに、世界最長級のナイル川の上流、ブルーナイルとホワイトナイルが合流する地点がある。その地点を見るために、ホワイト・ナイル橋へと向かう。

ハルツーム滞在中、バスのハブとなっているスーク・アラビとスタッド(スタジアム)のターミナルは幾度も往復した。またこのターミナルをうろうろとし、尋ねた人々の情報に右往左往させられながら、そして親切心に助けられながら、ホワイト・ナイル橋へと向かうバスへと乗り込む。

この国では、道を尋ねると、多くの人たちがその行き先までついてきてくれたり、あるいはバスが来るまで一緒に待っていてくれたりするのだ。

それと同時に、尋ねる人はほとんど英語を話さず、それでもなんとか答えを生み出そうとがんばるため、結果としてなんだか違う方向の答えが出てきたりするのである。

今回も、教えてもらって乗車したバスが間違っていたことが分かり、下車をして乗り換えたりしながら、無事にバスでホワイト・ナイル橋にたどり着く。「白い」ホワイト・ナイルと「青い」ブルー・ナイルの色は、変わらず、同じように濁り、同じように砂ぼこりで霞む空に包まれている。

橋を歩いて渡っていると、車の中からあちらこちらで「ニーハオ」と声をかけられる。ハルツームを歩いていても、たいてい「ニーハオ」か「チャイナ」である。

夕食は、宿の裏手にある食堂の並ぶ一角で、牛肉やじゃがいも、にんじん、ウリの入ったトマト煮、Khadar Mushakalに、サラダとパンのついたものを頼む。パンは、頼まなくても出てくる、なじみのいつものパンである。

食事を終えた後、冷房のよく効いたHorizonホテルのレストランで、ノンアルコールビール、Bavariaを飲む。どうやらインド系ホテルらしく、レストランの客の多くはインド人だ。

シエラレオネ出身で、現在ダルフールの国連機関で働いているという男性とも話をする。

かつてコソボでも働いていたという彼は、コソボのときには町はゴーストタウンと化し、仕事をしていても銃声音が聞こえてきたのと比べ、ダルフールでは、戦地と人々の暮らす地域が分かれていて、国連関係者が宿泊している施設は厳重なセキュリティで守られているのだと言った。

もう60歳になるというその人は、どうみても40歳くらいにしか見えない。

アルコールが法律で禁止されているこの国では、やはり表向きアルコールが販売されていることはないし、店で飲んでいる人を見かけることもない。

ただ、ひたすらに喉がかわくので、みな道ばたの無料水タンクから冷えた水をがぶ飲みしたり、木陰でシャイやコーヒーを嗜んだり、ジュース屋で氷の入ったハイビスカス・ティーやシャイール、ハーブのアラディップ、グングレスなどを飲んだり、あるいはペットボトルに入った炭酸飲料をごくりとやる、といった具合である。

とにかくスーダンに入ってから1日3リットルくらいの水のペットボトルを消費し、そのうえにシャイやコーヒーや炭酸飲料を何杯も飲んでいる。ただ、たいていの飲み物は砂糖がたっぷりと入り、日中に持ち歩く水のペットボトルはすぐにお湯へと変わるので、やはり冷房の入る室内で苦みのあるビール風味のドリンクをぐびぐびとするのは、スーダンドリンク生活の中では異質の時間なのである。

身柄を拘束される。 – Khartoum, Sudan

朝は、砂埃のやや落ち着いた街で、シャイをいただきながら、バナナをほおばる。

今日は、入国後3日以内に行わなければ出国できなくなることもあるという、滞在届なるものを提出しに、Aliens Affairs Departmentに向かう。

まず、届けを出す先がAliens Affairs Departmentだということを知るまでに一苦労。

そして、申請にも、パスポートやビザのコピー以外に、レターやスーダン人のスポンサーなる人のIDコピーまで求められる、なかなかにハードな手続きなのである。

ホテルで書いてもらったレターに、ホテルに出入りをしていた男性に頼んでパスポートをコピーさせてもらった用紙を握り、窓口へ向かう。

印紙代と申請代を支払い、基本情報から、職業、スポンサーの住所、スーダンと日本国内の住所といった項目を用紙に記入して、申請をする。

オフィスは涼しく、モスクの写真が貼られ、猫がするりと通っていく。きれいな格好をした仲介業者らしき人々が出入りをしている。

待つこと、約1時間。パスポートのわきに無事にCentral Registrationと書かれた滞在届のシールが貼られた。

そこから今度は、週に1度水曜日に出ている、スーダンWadi Halfaから、エジプト、アスワン行きのフェリーのチケットを買いに、ハルツーム北駅にあるチケット売り場まで向かう。

ハルツーム北駅行きバスを探していると、エジプト出身の男性がバス乗り場まで連れて行ってくれた。彼は、スーダンは暑いし、政府がだめだ、と言った。

ザクロのジュースを飲みながら、バスを無事に見つけて、フェリー会社のオフィスに到着する。思いがけず英語の堪能な男性を発見し、チケット購入まではとても順調な一日だ。

スーダンを旅行する際には、ビザと滞在届に加えて、地方旅行をする場合には、旅行許可書なるものも必要だとかそうでないとか。

とにかく聞く人みなが違う答えなので真相を確かめるべく、その管轄だと聞いた観光庁に向かう。観光庁の管轄だという話も、心もとない。

イエメンから来ているという男性が、わざわざわたしたちを案内するためだけに一緒にバスやトゥクトゥクに乗り込み、観光庁の場所を案内をしてくれ、そして乗車料金を払ってくれたりする。MBAを取得するためにスーダンに来ているその男性は、スーダンの教育はイエメンよりも良い、でも気候はイエメンのほうが良い、と言った。

観光庁の建物にたどり着けば、英語がとんと通じなくなり、現れた警察も「トゥモロー・モーニング」と繰り返すばかりだ。どうやら、オフィスは金土は閉まっているらしい。口癖のように「トゥモロー」と繰り返し、しまいには「僕は学生だから、辞書をください。」と警察が、言う。

その後、ハルツームから向かうカリマ行きのバスチケットを探しに、バスターミナルへと向かう。ハルツームにはいくつかのバスターミナルが離れた場所にある。

ホテルのフロントに聞いたMina al-barriバスターミナルに行ったら、カリマ行きはBahriターミナルから出ていると聞き、Bahri地区のターミナルにたどり着くと、今度は「カリマ行きはサースデー(言いたいのは、火曜日。)までない。」とサースデー(木曜)とトゥースデー(火曜)をごちゃごちゃと混乱しながら言う。

結局今日は、カリマまでのバスがどのターミナルからよく出ているのかさえ分からなかった。

聞く人、みな違う答えが返ってくるので、一体何の情報が正しいのか、てんで分からない。少し前に正しかった情報も、ころころと建物が変わったりするので、今正しいかどうかは分からない。

スーダンの旅は、そんな人々の善意と、あやふやで間違っていることも多々あるそれぞれの人の知識の破片とで紡がれていく。

そんなわけで、一つの動きをとるのに、大変な時間のかかる国なのである。

夕方になって砂埃がでてきたので、レストランに入って食事をとることにする。

カメラを取り出し、レストラン前の道で一枚写真をしたためて、店内へと入る。後方にいた青と白のチェック柄を着た男性から、「今撮った写真を消しなさい」という注意があった。それに、従う。

夕食は、fuulという豆をすりつぶしたものに野菜を混ぜ、すこしの香辛料とゼット・シムシムというオイル、チーズを削ったものをふりかけたものをオーダーする。それに、いつもの平べったいパンがついてくる。

近くの店でオレンジの炭酸飲料、mirandaを買ってきて、喉の渇きを潤す。

思いのほか、ずっしりとしたボリュームのある豆料理をほおばっていると、さきほどのチェック柄の男性が現れ、「CAR」と言う。車に乗れ、ということらしい。

英語が話せないということで、まわりの人々が通訳をかってでる。どうやらその男性はわたしたちを警察署へと連れて行く、というのである。

とにかく食事中だと伝えると、男性はじっと外で待っていて、食事を終えたころ再度「CAR」と言いにきた。

パトカーに乗り、警察署へと連れて行かれる。

警察署は、明るく、冷房がきいて快適で、座り心地の良いソファがしつらえてある。

私服を着た男性、青い制服を着た男性やイスラムの白い服装を着た男性たちが、次から次へと入室と退室を繰り返して、わたしたちと会話を交わす。誰もがきれいに整った服装を着ている。

「許可書なく路上で写真を撮ってはいけません。」と説教を受ける。撮影許可書なるものを取得しなさい、ということらしいのだった。

「はい、分かりました」と応える。

英語を話せる唯一の男性は、「僕はタイが好きなので、今度休暇で行くんです。タイも日本もインドネシアも大好きだから、リラックスしてください。今、スーダンでは多くの問題が起こっています。だからこうして、あなたたちにも警察署に来てもらっているんです。問題がなかったら、謝ります。そしてお帰りいただきます。ところで、ケニアに行きましたか。ケニアは良くありません。」

そして何度も繰り返す。「イスラエルは?イスラエルには行きますか?」そして、今ダルフールで起きている問題を知っていますか、スーダンの南のほうやダルフールに行って写真を撮りたいなんて思わないですか、と尋ねてくる。

ある私服の男性は「僕は英語は話せない。ここはスーダンなのだから、アラビア語を話しなさい。」と言う。

ある男性はわたしたちに尋ねる。「スーダンに来た目的はなんですか。今、ダルフールで行われている国連の活動を知っていますか。」
その問いに答えている最中、彼の携帯から赤ん坊の声のような着信音が鳴る。

そのまま、わたしたちの答えを聞くこともなく、彼は携帯での会話に入っていった。

部屋には、目つきのわるい男性や、ぼろぼろのお札を手に大声で話す人々、そんな大人の会話に無関心に爪を切り続ける男の子など、それぞれの事情を持った人々が夜の警察署を訪れてくる。

耳の不自由そうな母子がぼろぼろの格好をして入ってきて警察官一人に何かを訴える。それでも、その警察官は自分の携帯の画面をじっと見つめたまま、その母子を見ようとさえしない。

わたしたちはソファに座り、それをただ眺め、出入りの激しい警察官たちの質問に答えるだけだ。

そのうちに、鞄の検査が始まり、腕時計やペンがカメラではないですか、と尋ねられる。「タイでは、時計やペンにカメラを仕込んで、盗撮するんですよ。」と言う。

警察署各所にカメラを設置しています、と言って、終いには下着まで脱ぐ身体検査が行われた。

カメラのカードに入った写真一枚ずつ、確認が行われていく。

そのうちに時刻も遅くなり、別の事件の関係者らしき人々が部屋に入ってくる。ここで、写真の確認が突如終了し、「もう良いです。釈放です。」となった。最後に確認された写真は、エチオピアの食事の写真だった。つまり、スーダンの写真確認までいきつくことなく、なぜか突然に釈放となったわけである。

警察署を出るころには、23時半を回っていた。車でホテルまで送ってくれる、と言う。先ほど頑なだった男性たちも、途端に笑顔を向けて、共に車に乗り込み家路につく。

ラクダ・マーケットとイスラムの歌と踊り – Khartoum / Omdurman, Sudan

今日は、金曜日で、休みの日である。

朝の街はまだ静まり返っているが、ぽつりぽつりと道ばたでは女性たちがコーヒーとシャイを淹れるセットを整えている。

スーダンで朝食によく食べられている揚げパン、ゼラビアにたっぷりと砂糖をふりかけたものを買い求め、近くの女性のところでコーヒーを淹れてもらう。

手際良く、3種類のスパイスや、グラスの下に溜まるほどの砂糖をスプーンにのせてコーヒーの中に入れる。

今日は、ハルツーム近郊のオムドゥルマンという地域で開かれているラクダ・マーケットと、夕方からのHamed el-Nilモスクでのセレモニーを見に行くことにする。

オムドゥルマンへ行くバス乗り場が分からずに行ったり来たりしていると、男性二人が乗り場まで連れて行ってくれると言って、歩きだした。乗り場まで歩くにも既に暑い。途中に道ばたでよく売られているジュース屋で、冷たいハイビスカスティーと、シャイールというとうもろこしからできたジュースをごちそうしてくれる。

男性二人は、それから噛むための葉っぱを購入しただけで、わたしたちを見送り、そのまま来た道を戻っていく。

バスはブルー・ナイルを越えて、オムドゥルマン地区へと進む。スーク・リビヤというマーケットでバスを降り、トゥクトゥクに乗り換えてキャメル・マーケットに向かう必要があったものの、ここでもまた任せろ、といった具合のおじさんがふいに現れて、ぼくが支払いをしたからこのトゥクトゥクに乗りなさい、と手配を済ませてくれたのであった。

トゥクトゥクに乗って、乾ききった茶色い煉瓦の積まれた家々が点在する道を走ること10分ほど、ラクダ・マーケットに到着する。

そこにはラクダの他にも山羊やロバが何頭もいる。あるラクダは口に口枷をはめられ、あるラクダは手荒く水で洗われ、子ラクダは母ラクダのミルクを吸い、あるラクダは男性をのせて颯爽と駆け抜け、あるラクダは柱に身体を擦りつけて身体を掻き、ある男性はプラスチックの紐でラクダの口枷を作っている。

子どもも大人も集まってくる。

ラクダは一頭100ポンドから200ポンドほどで売買されているらしい。

近くには、ばっさりと切り落とされた山羊の頭が並べられている。道には干し草や炭が積まれ、人々はろばのひく荷台やドラム缶にのっかり、走っていく。

近くには山羊の肉を使った料理屋が並んでいる。休みの日の今日はゆったりとしたイスラムの服装を着た男性たちが豆や肉料理などを平らげた後、のんびりとベッドの上に寝そべり、昼寝をしている。

店のママ、アハーナさんが、山羊の肉を焼いたものに、トマトやきゅうり、ルッコラ、辛くないたまねぎなどの生の野菜を盛った皿、それにフールを銀のトレイに載せてもってきてくれる。

すると、隣の席に座っていた家族が、セブンアップとヨーグルトを混ぜた飲み物をわたしたちにどうぞと運んでくれた。最後に、ママが濃厚なハイビスカスティーを自らの手で作ってくれる。

しまいには、わたしはあなたたちのママなんだから支払いは要らないのだとアハーナさんは、言った。別れ際、彼女はずっと目を細めて笑顔でこちらを向いていた。

トゥクトゥクに再び乗って、スーク・リビヤへと戻る。運転手は、この国の交通は、問題が多いと何度も繰り返した。

トゥクトゥクから降りるとまもなく、再び声をかけられ、近くのジュース屋のハイビスカスティーやアラディップ・ジュースをごちそうするから飲んでいきなさいという男性に声をかけられた。

マーケットには、携帯電話や日用品、文房具に洋服や靴、野菜や魚のフライなどが並んでいる。アーケードにはでかでかとSAMSUNGやLGの広告が掲げられている。

朝には涼しい日も、午後になるとぐんぐんと着実に気温が上がってくる。扇風機が何台もまわる、涼しいモスクで一休みする。

室内では、幾人もの男性たちがあちらこちらでおしゃべりを楽しみ、多くの男性が、寝そべり、昼寝を楽しんでいる。

うとうととしていると、ある信者がどこからか買ってきた水のボトルとペプシのペットボトルをビニール袋にいれて、どうぞと手渡される。

ぼんやりとするほどの猛暑と乾燥した土地で、溢れるほどの飲み物をごちそうになっている。

そこからバスでまた20分ほどいったHamed el-Nilモスクで、金曜日の夕方からセレモニーが行われている。

多くのイスラム教徒信者が白い布を身体にまとっているところ、彼らは白だけではなく、緑に赤や黄色、黒といったカラフルな色の服も身につける。

到着した16時半ころ、モスク内の、メッカを模した中央をはさみ、片方で男性が杖を持って歌い、踊り始める。メッカをはさんだもう片方には、女性たちが集まっている。

しばらくすると一度モスクを出て、中休憩となる。男性たちは、茶をすすり、赤豆がふるまわれる。

17時半を過ぎると、モスクの前の広場で多くの男性が旗を持って歌い踊りながら入場をしてくる。マイクを通して歌が歌われ、緑や黄色、赤に塗られた太鼓を鳴らす。シンバルがそれにリズムをつける。

やがて、お香をもった男性が広場を取り巻く観客を回り、人々はそのお香を身体にふりまく。

ドレッド頭の教育係らしい男性が、広場を取り巻く若者たちに靴を脱がせ、裸足にさせる。棒でときどき小突く。ちゃんと踊りなさい、ということだ。

村長のような威厳のある男性たちが耳に手をかざし、あるいはこぶしや杖を振り上げ、音頭をとる。広場を緑の服をひらりと揺らしながら、ゆったりゆったりと回る。

数珠を身体に巻きつける男性、ヒョウ柄のような服を着た男性、抱擁をして挨拶をしあう男性、それぞれが身体に熱をもっていく。

まわりを囲む男性たちが、手を前後にふって身体を大きく揺らしながら、汗をかきつつ歌いあげ踊り続ける。あるいは、輪から出て、一人視線を宙に浮かべて、ひたすらにぐるぐると回転する男性や、杖をふりかざして輪に突進していく男性も現れる。

ラーエラーレエラッラ。アッラー。
ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドッラスールッラー。
ソーラン節のように聞こえてくる。

そのうちに香水が一人一人に振りかけられる。

やがてセレモニーが終盤を迎え、熱狂的に男性たちは踊り狂い、砂嵐がどこからともなく呼ばれてくる。

辺りは砂で霞む。

セレモニーが終わると、そのままばたりと倒れる人、手を前にかざして祈りを始める人、家路に急ぐ人と散っていく。

モスクも、隣の墓も、道路も、すっかりと砂嵐に包まれ、視界は遮られる。外食もままならない。今日はバナナとオレンジを買い、ゆっくりと夜を過ごすことにする。