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2012年05月

お城と、マキアートとフルフルインジェラ。 – Gondar, Ethiopia

エチオピア風インテリアで装飾されたレストラン、ハベシャ・クットフォーに行き、美味しいと聞いてたシロ・テガビノを注文する。

濃厚な豆のペーストをチリやトマト、たまねぎなどが洒落たふうに飾っている。男性同士の客だけではなく、家族連れの客もいる。珍しいことだ。

二つ隣の席にいた男性が、彼も見知らぬ隣の男性が食べていたインジェラを指差し、「このインジェラをどうぞ。」とわたしたちを誘う。「インジェラを分け合うのが、文化なんです。」と言った。

そこからほど近いゴンダールの城へと歩く。ここには17~19世紀、約200年間続いたゴンダール王朝時代に建てられた6つの城がある。

アフリカに中世ヨーロッパのような城がそびえたっているため、「不思議の城」と呼ばれるようになったのだという。

広い敷地に、ほどよい大きさにまとまった城がぽつりぽつりと建っている。

ファシリデス王の城、イヤス王の宮殿、バカファ王の宮殿、メントゥワブ女王の宮殿、ダビデ王の音楽の間、ヨハンネスⅠ世の図書館。蒸気式サウナやプールの跡。

ゴンダールの城は、占拠していたイタリア軍を追いだすためにイギリス軍が爆弾を落として廃墟となったものの、ファシリデス王の城だけは無傷だったという。

貧しい人を助けたことで有名なヨハンネスⅠ世は図書館をつくり、ダビデ王の音楽の間では、宗教音楽が奏でられていたという。

明るい日差しが入り込み、さわやかな風が吹き抜ける。

トゥクトゥクに乗って、17世紀、イヤス王により建てられたダブラ・ブラハン・セラシエ教会に行く。1800年代の南スーダンからのイスラム勢力との争いからも街で唯一生き残った教会だという。ここの天井に描かれたエチオピアの天使は、よく知られている。

その後は、ミニバスに乗って、ファシリデス王のプールへと向かう。煉瓦造りの建物の周りに、大きくプールがほられている。毎年トゥムカットのときにここに水を貯めて、洗礼が行われる。

大きなプールの周りには木でできた観客席が備えられ、根をにょきにょきと壁にはった木々が並んでいる。

ゴンダールの街の中心に、古びたエチオピア・ホテルというのがある。そこの1階がカフェになっていて、地元の人々で賑わっていた。

鏡のはられた壁に、エチオピア航空のポスター、真っ赤なエスプレッソ・マシーン。

マキアートを作ってもらう。スタッフの男性は、エスプレッソ・マシーンを使って、慣れない手つきでマキアートを作る。

明日はスーダンへと向かうので、そろそろインジェラ生活ともお別れ。名残惜しいこと極まりない。

昨日と同じゴンダール・ホテルのレストランに入り、大のお気に入りになった、干し肉とインジェラを混ぜたクウォンタ・フルフルをオーダーする。合わせてDashenビールを飲みほす。

アフリカに入ってから、ケーキやアイスクリームをみかけることはずいぶんと少なくなったけれど、エチオピアの北のほうは、ちらりほらりとケーキがガラスウィンドウに並べられているのを見かけるようになった。

そこで、街の中心にあるQuaraホテルのテラスに入り、チョコレートケーキとクリームケーキをオーダーする。不自然に甘すぎるチョコレートケーキと、とんと味のしないクリームケーキを、見事に美味しいマキアートとともにいただく。

どうやらマキアートの味は、作り手によってずいぶんと違う。ぎゅっとしまったコーヒーの香りに、まろやかなミルクが混ざりあう。

ここゴンダールには、かつてゴルゴラでマラリアが蔓延した際、マラリアのない高度2000m以上という条件をもつこの地が遷都先として選ばれたという歴史がある。

そんなわけで、蚊やマラリアを気にすることなく、夜も外に出て風にあたり、涼むことができる。

人の少なくなった道を眺めながら、外に出られることのうれしさを感じる。

歌い踊る聖職者たち – Lalibela / Gashema / Wereta / Bahir Dar / Gondar, Ethiopia

まだ外も暗い朝の5時半、さるが街を徘徊している。

今日は、聖ガブリエル・聖ラファエル教会でミサが行われるとMesfinさんが言っていたので、朝早くに起きて教会に向かう。

エチオピアでは、時間だけでなくカレンダーもまだ独自のものを使っているので、コミュニケーションをとるときに、なにやら複雑なことになる。

今日も、Mesfinさん以外の誰もが、今日は特別な日じゃないから教会でミサはない、と口を揃えていた。聞く質問に、それぞれの人がそれぞれ別の回答をしてくるので、一体何を信じていいのか分からなくなるのだ。

でも、Mesfinさんを信じて行ってみることにした。

聖ガブリエル・聖ラファエル教会に近づくにつれ、幾人かの白い服を着た人々が教会から出てきて、また幾人かは教会に向かっていく。

訪ねてきている信者は昨日と比べるとぐっと少ないが、ひっそりと、でも確かにミサが行われていた。

教会の外で、信者たちが裸足で佇んでいる。じんわりと身体が冷えていっているはずだが、額と口を交互に地面や教会の柱につけ、ある人はそのまま中へと入り、ある人はそのまま外でじっと杖を持って、佇んでいる。

ある人は聖書をじっと読み、それを口の中でぼそぼそとつぶやいている。時折額を聖書にこすりつけるものだから、あるページのある部分は、じっとりと茶色に変化している。

そして、教会の柱もまた、人々の長く繰り返されてきた額と口づけにより、黒く色を変えている。

中では、ゆるやかな旋律で祈りが捧げられ、ときおりしゃんしゃんと鈴の音がなり、お香を焚いた鈴を司祭がふりまいていく。あでやかな傘や聖書を手にしている司祭もいる。

そして、鐘を時折鳴らす。
信者は、司祭に傾けられた聖書に口づけをし、聖なる水を飲む。

わたしたちは教会の外に立ち、時折垣間見える様子を眺め、あとは耳を澄ませて想像するばかりだったものの、1時間ほど経ったところでふいに中へと誘われる。

白い布を身にまとった聖職者たちがスティックを片手に上下に動かし、鈴をしゃりしゃりと鳴らして歌い始める。そしてまたしばらくすると赤や緑の派手な装飾をほどこした衣装を身にまとった司祭が別の小部屋から入ってきて、それに交わる。

手拍子をし、太鼓をならし、やがてみなが輪になって、身体をゆさゆさと揺らして踊り始める。踊りが終われば、司祭たちはまた部屋に戻り、白い布へと着替える。

小さな儀式は、なんだか楽しそうに行われていた。

そこからほど近い聖マルコリオス、聖エマニュエル教会にも立ち寄り、昨日見ることのできなかった内部を拝見する。

どの教会でも、中に入ると、司祭たちが奥から正装用の衣装をもってきて、それを羽織ってみせる。

色あせた絵画には、どことなく愛嬌のある絵が描かれている。

ミニバスに乗り、Gashema、バハルダール経由でゴンダールへと向かう。Gashemaまでの道のりは舗装がなされておらず、乾燥したその道を爆走するミニバスは、埃まみれになる。前方を走るトラックの荷台にも、人々が埃にまみれて立っている。

それでも行きにバスで3時間かかったところを、帰りのミニバスでは2時間。

十字路でバハルダールに向かう車を待つ間、子どもたちの売っている揚げパン、ボンボリーノやこの辺りでよく売られている柔らかいマンゴー、小さなとうもろこしを炭で焼いたものなどをつまむ。

子どもたちも、ときおり喧嘩をしたりしながら、それでもボンボリーノがたっぷり入った容器を片手によく売り歩く。

しばらく道ばたで待っていると、日産車、パトロールがやってきた。それでバハルダールまで向かってもらうことにする。

車は快適極まりなく、舗装道をぐんぐんと飛ばしていく。同乗者は、エチオピアの保険会社で農家を対象とした保険事業を行っている男性3人と大学で哲学を教えているカナダ人の男性だ。

この辺りの道は日本政府の援助もあって、造られているんです、とエチオピア人の男性は言う。

エチオピアのあちらこちらで繰り返し流れ、さんざん聞いてきたテディ・アフロの音楽がここでも流れている。

ゴンダールとバハルダールとの分岐点Weretaでバスを乗り換えることはせずに、便数の多いバハルダールに一度行ってバスを探す。

バハルダールまで到着すると、すぐにゴンダール行きのミニバスは見つかった。やはりぎゅうぎゅうづめになって小さく身体を寄せるかたちで5時間耐えれば、ゴンダールに到着だ。

夜も遅くなったので、まだ営業をしていたゴンダール・ホテルのレストランに入り、ミート・フルフルをオーダーし、St.Georgeビールを合わせる。

ある程度の規模をもち、洒落た店やホテルもあるこの街も、ある一角には街灯がなく真っ暗な場所があるものだから、そんなときには懐中電灯を手にゆるりと歩いてみる。

岩窟教会の盛大ミサ – Lalibela, Ethiopia

ここラリベラには、大きな岩をくりぬいて造った岩窟教会が12あり、日曜日には信者たちがミサに出かける。

朝のミサに向かう前に、宿からほど近いShallom Snackカフェでミルクたっぷりのマキアートを頼み、パンとともにほおばる。テレビ画面からは、エチオピア版朝の体操が流れている。

早朝の町には、白い布を身にまとった多くの人々が、ぞくぞくと教会のほうへと向かっていく。岩の教会には既に多くの信者が集まっている。

東のほうを向き、ある人は聖書を読み、ある人は教会の壁や床に額をつけ、口づけをし、ある人はうずくまり、祈りを捧げる。

司祭はあちらこちらで人々の額に手のひらや聖書、十字架をかざしていく。聖なる水を、信者は銀のグラスで飲みほし、聖なる灰を顔や身体に塗っていく。

信者たちが家から持ち寄った穀物も広げられている。これで、修道女が聖なるパンをつくり、ふるまったりするという。

ラリベラ最大の岩窟教会、聖救世主教会では、金色の大きな十字架を手にした司祭が、集まるおおぜいの人々の一人ひとりの身体に十字架をなでつけていく。

頭から始まり、胸、お腹、腰、脚、それぞれの人に合わせてリズムをつけてなでつける。信者は、先ほどまで身にまとっていた白い布をはぎ、幾人かは、陶酔したかのように目をつむり、衣服をめくり、身体をよじらせ、くねらせていく。それが終われば倒れこむくらいの人さえいる。

教会内には、こうもりが飛んでいる。

エチオピアのカレンダーで今日は聖ミカエルの日ということで、聖ミカエル教会周辺はより一層賑やかだ。

並ぶ人の列に続いていく。

聖ミカエル教会は、女人禁制の聖ゴルゴダ教会と中でつながっている。女人禁制なものだから、聖ゴルゴダ教会の入口のそばに女性たちが集まり、中から時折司祭がやってきて、聖なる水や灰が配るのを待っている。そして、その十字架に口づけをし、灰を額に十字に塗りつける。

フレスコ画が有名な聖マリア教会では、子どもたちが大人につれられて、天井や壁に描かれた色彩豊かなその画を眺めている。

10時をまわるころには、ぱたりとミサが終わり、みないつの間にやら帰路についている。町のあちらこちらで炭がおこされ、店先の暗がりでもささやかなコーヒーセレモニーが行われ始めた。わたしたちも倣って、Belaineshコーヒーハウスに入り、簡単なコーヒーセレモニーでコーヒーを淹れてもらう。

セレモニーセットの周りに、青草を敷く。そして、乳香の木の破片を籠から取り出し、炭の上に乗せる。

ミサを終えたばかりの人々も入店し、コーヒーだけでなく、コカコーラやビールをオーダーしていく。

昼食は、Menenカフェ&レストランで干し肉のまぜインジェラ、クウォンタ・フルフルをオーダーする。歯ごたえのあるビーフジャーキーのような干し肉と、ふにゃふにゃになったインジェラが盛られ、インジェラの酸味とスパイスの辛さが絶妙に絡みあう。

エチオピアでは、人々が傘をさす。日傘をさす人もいるくらいだ。今日も昼間は強い日差しをが照りつける。街では、ティグリーニャ音楽がスピーカーから大音量で流されている。道ばたで売られていたオレンジを買い求め、歩きながらほおばる。

昨日トルピードで会ったMesfinさんに会いに、セブン・オリーブス・ホテルに行く。山々を見渡せる広々としたテラスで再びコーヒーをいただきながら、お話を伺う。

エチオピア正教にも断食の習慣があるが、実際に断食をしている人は信者の70%ほどだということ、人々が布を肩に交互にかけているのは十字の意味もあること、東の方向に祈りを捧げるため、教会は西から東の方向に入口を構えていること。

聖救世主教会前の広場では、サンデースクールが行われている。司祭が前に立ち、傘をさしながら聖書をよみ、女性が手のひらを上にかざして上下に動かしながら、波を描くように踊る。

続いて、十字をあしらった青と白の服を着た子どもたちが入場し、ゆるいドラムに合わせて歌う。

ずらりと集まった観客は、それに合わせて手拍子をし、あるいは口で高らかにホワワワと音をたてて合いの手をいれる。

聖救世主教会周りの、聖十字架教会や聖処女教会、女性が洗礼を受けるという水を貯めた穴などを訪ねながら、聖ギオルギス教会まで歩く。

途中、藁ぶきの屋根に煉瓦で造られた家々が立ち並ぶ。これはラリベラの教会群が世界遺産に登録されて、教会の環境保護などを目的に近隣の住民を1kmほど離れた住居に移住させた、そのかつての住居だという。いずれ、司祭や修行僧などの住居として使っていくことを検討しているのだそう。

大きな一枚岩を十字型に掘り下げたという聖ギオルギス教会。近づいていくと、まずその天井の十字が見えてくる。そこから下に下っていく。

教会前には、男性が座り、羊革紙に竹の筆でラリベラ王などの絵を描いている。

教会を囲む岩のところどころに開いた穴には、聖職者たちが住んでいたという。一つの穴からにはミイラ化した人の足の裏が見える。

その後、少し離れたところにある、かつてラリベラ王の宮殿があった場所にたつ聖ガブリエル・聖ラファエル教会、ラリベラで2番目に大きい聖マルコリオス教会や、アクスム様式の窓をもつ聖エマニュエル教会、岩山を横にくりぬいてつくられた聖アバ・リバノス教会を見に行く。

中はまるで迷路のようになっている。実際に迷うものだから、時折呼びかけて、見えない場所にいる門番に頭上高い岩の上から、方向を指し示してもらう必要すらある。

聖マルコリオス教会から聖エマニュエル教会は20mほどの真っ暗なトンネルでつながっていて、電灯を照らしながら、手さぐりで前に進んでいく。

再び、Mesfinさんとセブン・オリーブス・ホテルで落ち合う。コーヒーセレモニーをごちそうになる。まず最初に煎りたてのふわふわポップコーンをほおばりながら、最初のコーヒーが淹れられるのを待つ。コーヒーはアボルブンナ、ウレッテンニャ、ソステンニャと3度淹れる。

セレモニーを終えて帰る時間、静まり返った町にも何軒かは派手なイルミネーションに爆音を流して、酒やインジェラを出すバーやレストランが営業をしている。

比較的落ち着きのあるカナ・ゼゲリラレストランに入り、夕食をとることにする。

ほどよいスパイスにほんのりとした甘味のあるカレーのようなチキンワットに小さな卵をのせたインジェラ。それにライムやマンゴーなどのフルーツが合わせて運ばれてくる。はちみつ酒、Tajを合わせて飲む。 

乗客ガイドさん。 – Bahir Dar / Gashema / Lalibela, Ethiopia

今日も朝の5時半発のバスに乗ってバハルダールからGashema経由でラリベラへと向かう。朝早いうちからバスはほとんど満席で、バスの上に荷物をのせることと、座席を確保するという作業をみな同時に行っていく。

わたしたちが乗り込むと、周りにいた乗客たちがこっちに座れ座れとわさわさと指し示してくれる。

乗客どうしで、手を握って肩を3回触れさせる挨拶が交わされる。荷台には、バハルダールのコーヒーセレモニーで使われる草を、土産ものにと家へ持ち帰る客がいる。

4時間半ほど走ったところで朝食の休憩となる。カフェ兼レストランの奥に、ベッドと椅子が置かれただけの部屋が並ぶ宿泊所のある、ブンナベッド形式のレストランである。

中庭では女性が赤ちゃんにミルクをあげ、二人の男性がインジェラを食べている。床にはチリが広げ干されている。男性に手招きをされて近づいていくと、チリを指して「これが何だか分かりますか。ブルーベリーです。」と言う。そしてインジェラを勧められる。

日差しの暖かな朝だ。

グラスに砂糖のたまったコーヒーとパンをオーダーして席に着くと、バスが同じ乗客の男性が、一緒に羊肉のインジェラを食べましょうと勧めてくれる。エチオピアの習慣では、こうして同じインジェラを分け合うんです、そしてこれも習慣です、と言って、インジェラを手でつかみ、わたしたちの口元まで持ってくる。

スーツを着たその男性は、小学校でアムハラ語と環境問題を教えているという。しまいには、ごちそうになってしまった。

バスの中でも、大麦などを煎ったコロを配られたり、名所を案内してくれたりと、乗客たちがわたしたちをもてなしてくれる。

バスは、両端をすぱっと切り立った崖の上を走る。乾いた茶色の山にかけられた「自然の橋」と呼ばれているのだそう。

男性の修行僧が洞窟に住む修道院、Checheho修道院や、天井が開いているものの雨が入り込まない造りになっているAbune arong修道院を、説明を受けながら、通り過ぎていく。

乗客の一人の男性は、このAbune arong修道院に奥さんと共に7日間滞在し、聖なる水を飲み続けた結果、脚の持病が治ったという。

12時半にはGashemaに到着する。ここまではアスファルト道。
ここから乗り換えて、ラリベラまでは未舗装の道が続く。

茶けた山々に、藁ぶき屋根の家が点々と見える。ラリベラに近付くにつれ、砂埃の道を歩く人が増えていく。今日の市場を終えて帰宅する人々らしい。

ろばや連れながらものを運ぶ人、山羊をつれている人、長い木の棒を担ぐ人、日傘をさす人、さまざまである。

満席だったので、運転席の横のスペースに腰をかけること3時間、ラリベラに到着する。

宿にほど近いユニーク・レストランで、トマトソースのスパゲティをオーダーする。エチオピアの人たちは、インジェラ、パン、ご飯にスパゲティやマカロニも日常的に食べているというから、豊かな食文化をもつ国なのである。

先日のアディスアベバ、Castelliでいただいたイタリアンは、洗練された都会の本格イタリアンだとすると、このレストランのパスタは、家庭料理ふう。

味付けもやわらかく、まろやかで、パスタものんびりとしている。

同じレストランにいた、旅行会社を2店舗経営しているBelaynewくんは、日本のことにとても詳しい。大学在学中はアディスアベバにいたものの、再びラリベラに戻ってきて、今は会社を経営している。

アディスは、欧米化してしまって、エチオピアらしい文化をなくしている。人も冷たいし、空気汚染もひどいから、住んでいてもおもしろくない、と言った。

中国の人々が最近特に増えてきていて、エチオピアには80をこえる民族がいるけれど、最近はそれに中国人が加わりそうなくらい、と笑った。

このラリベラという町は、歩いていると「ようこそラリベラ」と日本語で話しかけられることが多い。フー太郎の森基金(FFF)という日本の団体が活躍されていることもあってか、日本が大好きと断言する人々も多い。「ハロー/ユー・マニー」や「ハロー/ユー・ワンブル(1 Birr)」も、ほんのわずかな子どもたちにしか言われない。

町によって流行の言葉というのが変わるのである。

そんなわけで、居心地の良い。      

夜に、ハチミツ酒であるTajを飲みに、地元の飲み屋、トルピードへと向かう。いつもは夜にライブがあるというが、オーナーのお父さんが亡くなったといい、今日はライブがあるか分からない。エチオピアでは、親族が亡くなってから半年は踊りや音楽を控え、黒い服を着ることが多いのだという。

Tejは寝かせた期間でアルコール度数が変わるという。店では、アルコールの強さを選んでオーダーすることができる。

ソフトは、ハチミツとお湯を混ぜるだけで、確かに甘い。アルコールが加わってくると、ハチミツの甘さの中にお酢のような酸っぱさが出てくる。

ライブは、あった。
Macinkoという、馬のしっぽと山羊の革で覆った木からできたバイオリンの演奏が始まる。アムハラ語の歌がうたわれ、客がTajやビールを飲みながら、手拍子をする。そのうちに客たちは肩をくるくる動かしながら、身体を使った踊りを踊り始める。

隣の席に座ったMesfinさんという男性が、明日は彼がオフィスをもつセブン・オリーブス・ホテルに良かったら遊びに来てください、と言う。

そしてそのうちに停電で店内は真っ暗になる。誰も驚くことなく、音楽は続けられ、客はお酒と音楽を楽しみ続ける。しばらくすれば電気が戻ることをみな知っているようすだ。

暑かった昼とは変わり、夜は涼しく、強い風が吹いている。

星が瞬いている。

エチオピアの湖にある修道院 – Bahir Dar, Ethiopia

夜中の2時前に、食堂の前にバンが停まり、夜食休憩になる。この時間でもインジェラを食べ、コカコーラを飲む人々がいるものだ。

子どもたちもスナックやチューインガムを売って働いている。

夜中の1時か2時に到着すると聞いていたミニバスは、日が昇ってもまだバハルダールにはいなかった。それでもマンダジを食べていれば、8時前にはバスがバハルダールに到着する。

この町は、ナイル川の2大支流ブルーナイルの源流、タナ湖に面している。そして、この湖の島や岸には13~17世紀に建てられた修道院がいくつも点在している。湖畔のギオンホテルからボートに乗って、いくつかの修道院を訪ねることにする。

湖では、男性たちがカヤツリ草の一種パピルスから作られた舟をあちらこちらで漕いでいる。

毎週金曜日にバハルダールで開かれるマーケットに向けて、火をおこすための乾燥木材をゼゲ半島から運んでいるのだそう。

金曜日に朝から5時間ほどかけてパピルス舟を漕いで木材を運び、バハルダールで一泊して土曜日に自宅へ帰るのだという。わたしたちのモーターボートを操縦していた男性も、かつてはお父さんとともに4年間ほど毎週金曜パピルス舟を手で漕いでいたといい、その日は学校も休んでいたという。

湖にはかばもいて、水中から勢いよく近づいてきて、舟を転覆させることもあるから危ないんだと言った。

とても大変な作業だったようで、今はモーターボートに乗れるから楽で良い、と笑った。

最初に訪ねたのは、小さな島に建てられたEntos Eyesu修道院。ここは13世紀に建てられた基本的に女性の修道院で、25人の修道女が住んでいる。

修道女は島から出ることはない。マンゴやパパイヤ、バナナなどを育て、コットンから衣服をつくっている。ただ、果物は猿に食べられることも多いというから育てるのは大変な作業らしい。

1年に2、3度食べるという牛や羊、山羊の肉、それからとうもろこしやコットンなどの必要なものは、男性の修道士がパピルス舟に乗って陸の市場まで買い出しに行く。ただ男性の修道士もその1か所の市場以外に出向くことはない。

島には、16世紀に、タナ湖で罪を犯した修道士を収めていた刑務所もある。

再び舟に乗って、次にゼゲ半島にあるBetre Mariam修道院を訪ねる。

藁ぶき屋根をかぶったその修道院は14世紀に建てられた。天井は雨による傷みで替えられているが、そのほかは当時のままだという。

泥と石と草でできた壁を境に、その外は司祭や修道士が太鼓を叩いて踊るスペース、中は、地元の信者に聖なる水を与えるスペース、そしてフレスコ画に囲まれた中は、アクスムにあるアークのコピーが置かれ、司祭、修道士しか入ることが許されていないスペース。

修道院付近の住民はみなキリスト教徒だといい、日曜日のミサにはここに多くの人々が集まるという。

靴を脱いで中に入ると、そこには16世紀の色鮮やかなフレスコ画が壁一面に描かれている。

聖母マリア、イエス・キリスト、聖ガブリエル、聖ジョージ、聖マイケル。首を刀で切る人、血を流す人、顔の横に羽がはえたエチオピアの天使、花、刀。

天井は赤、青、黄色といった色に塗られ、ここにも聖ヨハネを象徴している、身体のないエチオピアの天使たちが飛んでいる。

そばには、博物館という名の小さな部屋がある。羊皮紙に色鮮やかな挿絵が描かれ、アムハラ語が赤と黒のインクでつづられた聖書が置かれている。他にも、金をあしらった帽子、銀や木でできたドラムなどもある。

そこからまたボートに乗って、ほど近いUra Kidane Mihret修道院を訪ねる。修道院のそばに、修道士やその見習いが住む家や食堂がある。

司祭がぎいっと食堂の扉を開けてくれる。中には古びた木のテーブルと椅子が置かれている。鳥が木材を傷めるのを防ぐために、お香を焚く。ミサの後に司祭たちはここで地ビールを飲み、インジェラを食べたりするのだという。

薄暗くお香の煙の立ち込めるその食堂の片隅には、色のあせた三位一体と呼ばれる、かつてアークを置いた棚がほられている。

修道院の屋根の上には、7つのがちょうの卵が生贄の象徴としてたてられ、前には大きな石の鐘が二つ、置かれている。修道院の壁面には、首を切る絵や、乳飲み子の絵などが描かれている。

司祭たちは階級によって素材の違う、金や銀、木でできた十字架をもちながら歩いている。そしてまた銃をもって警備にあたる地元の男性たちも同じように見かけるのである。

地面に炭を置いて火をおこし、シチューを作っていた修道士見習いの男の子に、住んでいる部屋をみせてもらう。2人で住んでいるという一部屋には、簡単なベッドが置かれ、壁にはキリスト像のポスター、そのわきには洋服が提げられている。

タナ湖に再びボートを走らせながら、バハルダールの町に戻ってくる。湖岸では、人々が洗濯をしている。

バハルダールの町には、他の町ではあまり見かけなかった新しいカフェや、ロールケーキやチョコドーナツなどの甘いお菓子なども見かける。H&MやGAP、ZARAやD&Gといったロゴを掲げた店もあれば、男の人同士がよく手をつないでいる。

若者が男女交じって食事をしにきていて、ビールジョッキを何杯も空けている店がある。どうやら都会的な雰囲気である。

道ばたで揚げられていた揚げたてのボンボリーノをいただく。かりっと揚げられて中はもっちりのそのパンを大量にビニール袋に入れて買っていく人々がいた。

夕食は、Abyssiniaバー&レストランでいただく。

ライスにキャベツとじゃがいもとにんじんのサラダ、それにタナ湖で釣れた魚のフライが2匹置かれている。魚は、やや水の匂いがするものの、かりっと揚げられている。Dashenビールを合わせていただく。

この町にもまた蚊が飛んでいる。話をした地元男性は、マラリアで妹を亡くしたという。5年ほど前はマラリアに対する知識のない人も多く、多くの人が亡くなったと聞いた。雨期の前の今の時期はまだ大丈夫だとその男性は言った。

それでも、エチオピアでは虫との戦いは欠かせないのである。