2012年03月
朝はタクシーに乗ってターミナルへ向かい、10時のバスでサンティアゴに向かうことにする。宿の前では、ベビーカーをひいた女性たちが歌を歌っている。日も出て明るいターミナルには、もうあの男性は、いない。
改めてサンティアゴ行きPullman社のバスに乗り込み、売店で買ったナッツの入ったチョコをつまむ。回ってきた用紙に氏名と電話番号、住所と行き先などを記入していく。
乾いた大地に、貨物列車が走っていく。やがて前方に海が見えてきて、バスは港町であるアントファガスタの町へ到着する。そこから左手は荒れた丘、右手には海が広がる道を南下していく。
海は低い岩にぶつかり、しぶきをあげる。海沿いにはリゾートホテルが並び、あちらこちらに車が停車し、テントが張られている。
しばらくバスは海沿いを走った後、また何も生えていない茶けた丘の連なる陸へと戻っていく。時折国旗や電灯などで飾られた十字架を道のわきに見るほかは、荒涼とした土地がただひたすらに続く。
昼食には、バスを降りたところの売店で焼かれていたチュラスコを買い求める。チリでは、おおぶりの牛肉が鉄板で焼かれ、チーズとともにパンに挟んで食べる。
「青年汽車」と書かれた中国製バスには、ところどころ中国語の注意書きが記されている。前方の電子掲示板には常に時速が表示されている。ほとんど時速90km前後を保っているが、時折100kmを越えると、車内にぴーぴーと電子音が鳴る。バスはするとそっとスピードを緩めてまた100km未満へともっていく。
黒地に赤い電子表示が流れる。「車内の手荷物の管理はお客さま自身の責任でお願いいたします。」
乾燥したアタカマ砂漠を縦断し、22時ころにはコピアポのターミナルに到着する。まだ汚れも目立たないバスでも、洗浄しに行くといって、15分ほどの休憩になる。ターミナルのわきの屋台で売られていたエンパナーダ・デ・ケソを買い求めてかじる。
黒い大きな犬たちが、周りでそれを狙っている。
2012/03/11 23:01 |
カテゴリー:Chile
ボリビアのイミグレーション・オフィス近くに停まっていたバンに乗り込み、チリ側のイミグレーション・オフィスへと向かう。今まで通ってきた道とは全く異なり、舗装された道をものすごいスピードで突っ走っていく。
やがてバスはサン・ペドロ・デ・アタカマのイミグレーション・オフィスに到着する。先ほどバスの中で書いておいたカードを提示すると、あとは無言のままスタンプが押される。バンから一度荷物を下ろし、荷物検査を受けたのち、再びバスに乗り込む。
こうして、標高2438mのサン・ペドロ・デ・アタカマに到着する。ものの見事に、暑い。今朝いたLaguna Coloradaとは大違いである。そそくさと、着込んでいた上着を脱いでTシャツとなり、町の中心へと向かう。町は、旅行会社や両替屋、レストランなどが並び、観光によって成り立っている。両替屋で両替を済ませ、首都サンティアゴ行きのバスを探しにバス会社をあたる。
ある程度目途がつき、チケットは後で購入することにして、昼食を食べに行く。アルマス広場のそばには白いサン・ペドロ教会がたち、細い道には土産物屋が並ぶ。
よく客が入っているレストランで、カスエラ・デ・アベをオーダーする。とろとろのチキンにじゃがいもやかぼちゃ、野菜がふんだんに入っているスープにパンを浸して食べる。ゆっくりといただいているときに、ふとボリビアとチリの間には時差が1時間あることに気がつく。乗ろうと思っていた15時15分のバスまであと7分ほどしかない。
あわててスープを飲み干し、鞄を背負ってバス会社まで向かう。ぜいぜいと息を切らしてたどり着いてみると、そこには貼り紙がしてあり、オフィスは「16時から開きます。」とある。ここでは、長いお昼休みがあるのであった。
これではチケットが買えない。
やれやれとそこに座りこみ、じっと待っていてもそのオフィスは17時ころまで開かなかった。結局、Atacama2000社で、経由地であるカラマまで行き、そこからバスを乗り換えてサンティアゴに向かうことにする。
こうしている間に、既に夕方近くなり、風が強くなり、砂埃が舞い、遠くの雪山は霞んでしまった。チリのテレビは日本の津波について話をしている。
オフィスはややがたつきが見られたAtacama2000社も、バスは最新式、冷房が適度にかかり、ゆったりとした座席だ。さすが評判の高いチリのバスである。時間に正確だといわれるチリのバス、5分ほど遅れただけですぐに出発となる。
小さな町のサン・ペドロ・デ・アタカマはすぐに乾いた大地へと切り替わる。植物も生えない茶けた大地が広がる中、舗装道をバスは静かにとばしていく。ところどころ道沿いに十字架がたてられている。
1時間半ほどでスムーズにカラマに到着し、サンティアゴまでのチケットを購入する。2階建ての冷房の効いたバスの2階へと進む。バスはほぼ満席だ。
出発前にお手洗いを、とバスに設置されたお手洗いに近付くと、一人の男性が、扉はこう閉めるのだなどと言って、丁寧に指し示す。そして、座席に戻ると、席に置いてあったカメラが忽然と姿を消していた。
わたしたち一方がお手洗いに入っている間に、さきほど話しかけてきた男性が、席に残っていたもう一方に、バスの外に荷物が落ちているなどと言って、窓の外を覗かせていた。そして、その男性は携帯電話で誰かと話すふりをしながら、バスを降りて行った。
窓の外に目をやったそのわずか一瞬のすきに、恐らく気配を消して近付いていた別の人物が、座席からカメラを連れ去っていった。
カメラが座席にないことに気付いたときはバスは既に出発していたものの、カラマの町をまだ出ていなかった。そのままバスを降り、タクシーを捕まえて、ターミナルへと戻る。もちろん男性たちは、もうそこにはいない。
バス会社と警備員に話をした後、近くの警察署へと向かう。3名ほどが横並びに働いており、そのうちの1人に事情を話す。外国人観光客を狙ったスリは毎日のように起きているといい、慣れたふうにパソコンのGoogle翻訳の画面を開き、パタパタとスペイン語を書いていく。そして、わたしたちにもまた画面に事情を打ち込むように促す。
警察官は、時折鼻歌を歌いながら、時折何かを噛みながら、時折必要書類のデータを間違えて打ち込んだりしながら、作業をしていく。
警察署を出るころには23時を回っていた。静まり返ったその町のホテルは、商用のチリ人宿泊者も多いようで、どこも満室だった。ようやくHotel Aymmaraに部屋を見つけ、なだれ込む。
チリは、こんなふうにして始まった。
日本の3月11日のことだった。
2012/03/10 23:43 |
カテゴリー:Chile
ボリビアのウユニから、チリのサンペドロ・デ・アタカマへ抜けるルートです。
※ウユニ塩湖からの2泊3日ツアーに参加して、チリのサン・ペドロ・デ・アタカマ
へ抜けるルートです。
※ボリビアのウユニの街から、国境のアバロア経由カラマ行きのバスは、毎日出ているわけではなく、
月・水・日の早朝(AM3:30~AM4:00)出発になります。(現地で確認してください。)
1.ボリビア側国境にて、出国手続。無料。
※ツアーの車が、連れて行ってくれます。ウユニへ戻る人達とは、
ここでお別れになります。
2.チリのサンペドロ・デ・アタカマ行きのバスが近くに停まっているので、
乗る。
3.チリ側国境にて、入国手続。パスポート及びバスの中で配られたツーリストカード
を提出。無料。
4.バスから荷物を降ろし、同じ建物内で荷物検査(X線)。
バスの中で配れた税関申告書を提出。無料。
5.再びバスに乗り、サンペドロ・デ・アタカマへ。
◎両替
ボリビア側、チリ側共に国境では両替する場所はありません。
サンペドロ・デ・アタカマのToconao通りで両替ができます。
BS1.00=C$75 でした。
2012/03/10 22:55 |
カテゴリー:Bolivia, Chile, ささやかな、旅のじょうほう
朝はまだ暗い5時半前に宿を出て、車に乗り込む。車の調子がおかしいようで、古びたランド・クルーザーはゆっくりと霜のおりる道を進んでいく。
少しずつ日の上がるころ、標高4850mにある間欠泉、Sol de Mananaに到着する。あちらこちらで大地から白い煙が勢いよく噴き上げ、辺りは硫黄の匂いがする。
そばの4400m地点にはTermas de Polquesの温泉もあり、湯けむりがたっている。朝食に、車に積んであったパンケーキにたっぷりのバターと苺ジャムやキャラメルを塗って、温かいチョコラテを飲む。リャマがそばを歩くのを眺めながら、温泉に身を浸す。丁度よい温度の温泉、手の先がじんじんとする。
身体をあたためたところで、再び車に乗り、重金属や硫黄、砒素などにより緑の色をした湖、Laguna Verdeと隣のLaguna Blancoへと向かう。湖には強い風が常に吹き、水が撹拌し、泡ができる。雪山が湖に映っている。
そこからすぐそばのチリとの国境へと向かう。大統領Evo Morales氏の写真の貼られたイミグレーション・オフィスで簡単な手続きをすればボリビア出国となる。
2012/03/10 10:38 |
カテゴリー:Bolivia
朝起きてみると、宿の近くではうっすらと明るくなった空に淡く白い月が浮かび、雪山の麓で羊たちがめえめえと声をあげながら一列を成して、歩いていく。
朝食は、パンにバターを塗って、ふんわりとしたいり卵をのせたり、苺ジャムをぬったりして、温かいチョコラテやオレンジジュースとともにいただく。宿の女性たちは、話しかけたときにほんのかすかな笑みを一度浮かべた他は、昨晩と同じように、ひたすら口をへの字に曲げている。
9時前には宿を出る。リャマがあちらこちらにいて、黄色地に黒の、リャマ通行注意標識も道のわきにたてられている。
乾いた大地にうっすらとところどころ緑の生えていたのが、やがて赤いごつごつとした岩が散らばるValle de Rocasにたどり着く。鷲のような形の岩もある。
既に高度4300mあたりまで上り、周りの6000m近い雪山も近く、低く見える。やがて右手にOllague火山が見えてくる。手前がボリビアでその先はチリだという。舗装のされていない道には水たまりがあちらこちらに溜まり、それを避けて走っていく。
この辺りには湖が数多く点在する。フラミンゴの浮かぶ湖、Laguna Hedionda、Pastos Grandesを通り、Laguna Charcotaに到着する。湖に雪山が映っている。
昼食は湖を眺めながら、パスタにハンバーグ、じゃがいもに野菜をいただく。飲み物はコーラに、デザートは苺のゼリーがついている。岩に腰をかけていただくものの、あちらこちらから小さな虫が飛んできては、パスタにぴとりとくっつき、そこで命を終えていく。ハンバーグやじゃがいもは気にいらないのか、ただあまり味のしないパスタにばかり、虫が寄っていく。
再びランド・クルーザーに乗り、Laguna Hondaに向かう。既に道のような道はなく、赤い大地にかつて通った轍の線が何本か引かれているだけだ。乾いた土地にも、岩に黄色や紫の花がほんの少し花ひらいている。
そこから、砂漠の中に、木の形をしている岩、Arbol de Piedraへと向かう。長い時間をかけて風雨で浸食されたのだといい、辺りには犬のような形の岩など、いびつな形の岩がごろりごろりとある。晴れ渡った暖かな昼間でも、日陰にはまだ雪が残っている。
15分ほど走ったところにある、深い赤色をした湖、Laguna Coloradaに向かう。ここは国立公園となっており、ゲートを通過して中に入る。
標高4278m、60km2、深さは80cm程度の湖で、ナトリウムやマグネシウムなどが濃いため、それを栄養とする珪藻やプランクトンが多く、赤い色をしているのだという。そしてそれを餌にするフラミンゴが集まっている。
赤くて細い脚、白い羽にうっすらとピンクの線が引かれ、先が黒い。嘴を水につけて何かをつまんでは顔をあげて、飲み込み、また嘴を水につける。だいたいそれを繰り返している。
時折思い立ったように飛び立つときは、脚をパタパタと動かして助走してから飛び立ち、着陸するときもまた、脚をパタパタと動かしてスピードを落としていく。わたしたちのほんのわずかな動きにも反応をして、一斉に羽をわたわたと動かして一歩退く。
雪山のふもとの湖に、ぐあぐあ、ぐえぐえと声を出して一列を成すフラミンゴ、飛んでいくフラミンゴが映し出される。
そこから少し進んだところにある宿の集まる場所へと向かう。どうやら予約をしていないらしく、コロナリオくんはどこもいっぱいだと笑う。最終的に、まだ新しいと思われる宿に部屋を見つけ、そこに宿泊することになる。
カモミールティーにビスケットをつまんでいるうちに、夜が更けていく。
夕食は、ボリビアのOportoというワインボトルに、トマトパスタにチーズをのせて、パンとともにいただく。ドイツ人の仲間たちはボリビアの甘すぎるワインをひどい味だと言って、口にしない。「Kniffel」というサイコロを使ったゲームを教わり、しばらく遊ぶ。
この宿も高地に位置しており、明日は更に高い5000m近くまであがっていく。少しワインを口にするだけで、頭がかすかに痛む。
電源などは夜に3時間ほど使えるだけで、突然にぱたりと消えてしまう。外に出てみると、ひやりとした暗闇に満月を終えたばかりの月が浮かび、星が瞬いていた。
2012/03/09 22:13 |
カテゴリー:Bolivia
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