2012年05月
朝起きてテントから顔を出すと、昨晩まわりにたくさん寝ていた人たちは、一人だけとなって、ベッドも撤収され、残っていたのは、風で飛ばされたごみ袋と、ただ一人だけだった。
砂埃で空気は茶色く霞んでいる。
道ばたのあちらこちらでスパイスや茶葉を並べてシャイ(茶)を淹れる女性たちがいる。そのうちの一つに腰掛けて、あたたかいミルクティーをいただく。粉ミルクをたっぷりといれて、スパイスと茶葉をいれる。スーダンでは朝にミルクティーを飲み、その後は、ミルクなしのスパイス入りシャイを飲む人が多い言う。
ミントや薬にもなるスパイスをスプーンにすくって入れるのだが、これが格別に美味しく、喉の渇きを潤す。
街の中心にあるホテルに向かおうと、今いる場所や街の中心までの行き方を聞いても、看板はアラビア語で読めず、聞く人々はだれも英語が分からない。
そのうちに人だかりができるばかりだ。
やがて英語が少しでき、かつコミュニケーションがとれる稀有な男性が現れ、街の中心へと向かうバス停まで連れて行ってもらうことにする。
男性はわたしたちに聞く。「コーヒーでも飲みますか。」
遠慮していると、するりと売店に入り、水のペットボトルを2本買って、わたしたちに差し出した。
暑さと乾燥でひたすらに喉がかわく中、ありがたく水をぐびぐびと飲む。夏だという今のハルツームは40度を越すというから、ひたすらに気温が高いのである。スーダン人も暑い暑いと忍んでいる。
教えてもらったバスに乗り込み、街の中心へと向かう。乗客は指をぱちりと鳴らして、降りる場所を合図し、車掌はクススススと口を鳴らす。この国では、指ぱちりが合図に使われている。口のきけない人でも、指を使えば良いから、便利なのだという。
街にはHyundaiの車が溢れ、LGやSAMSUNGの看板が立ち並んでいる。バスの電光掲示板には、韓国語が流れている。今まで、中古ミニバンといえば、日本語が車体におどる車ばかりが多かったけれど、この国では韓国語が書かれていることのほうが多い。
宿をとり、街を歩いていると、ある男性が中国語で話しかけてくる。彼は中国とビジネスをしていて、中国に行ったこともあるという。
中国人は、石油関連の仕事をしている人中心に、スーダンにたくさんいますよ。中国の品物は安いけれど、品質があまり良くないんです。それに日本や韓国製品をコピーしているものが多すぎます。でもなにしろ安いから、中国に行けば、ぼくもコピー製品を買って帰りますけどね。
スーダンは、暑いし、良くないです。特に政府が良くない。中国はスーダンに比べて女性もきれいです。もしぼくが日本に住めるのなら、もうスーダンになど帰ってきたくありません。
その男性は、すぐそばの食堂へと入って、しぼりたてのさとうきびジュースをごちそうしますよ、どうぞ、とわたしたちに差し出す。またありがたく、ぐびぐびと飲む。冷たくて、甘くて、身体にしみわたる。
そのうちに、ぼくのオフィスへどうぞ、と誘われる。雑居ビルに入った彼らのオフィスには、テレビが一台、書類の積み重なった机が一つ置かれ、扇風機がぐるりぐるりと回っている。
男性は、葉のかたまりを口にほおばりながら、事務所の人たちをわたしたちに紹介する。彼らは、スーダンで違法のお酒もどこからか手にいれて少し嗜むと言う。ビールだけじゃなくて、ブラック・レーベルなんかもね、と言った。途中、いかにも裕福そうな若い男性が一人室内へと入ってきて挨拶をし、またそっと出て行く。
街のあちらこちらで床にシートを広げ、祈りを捧げる男性がいる。それが、ある広場の一角であることもあれば、ホテルの一角であることもあれば、店の前であることもある。
砂埃に霞む灼熱の街を歩いていくと、政府機関の近代的な建物の集まる地区へと入っていく。ここでは更に警察の数が増える。
3日以内に必要だとされる滞在届を申請するオフィスへと到着する。すると「オフィスはここではありません。」と言う。
どこに移転したのか、そこまでどうやって行けばよいのか、それがなかなかに通じ合わない。言葉の問題以外にも、さきほどYesと言ったことが直後にNoという答えに翻るものだから、埒があかないのである。
そのうちに警察だという男性が現れ、僕が新しいオフィスを教えます、とわたしたちを連れだした。そして「警察に友だちがいるから、彼に頼めばスムーズにできます」と正規料金の1.5倍くらいの値段を伝えてくる。
そもそも正規料金がいくらなのか、警察であっても聞く人それぞれ違う答えを言うので、なにが正規なのか知る由もない。
とにもかくにも、どうやら移転したらしいオフィスへ行かないことには話が進まないようだということだけが分かった。
ツーリスト・インフォメーション・センターを訪ねれば、もしかすると英語を話せて、しかもコミュニケーション能力がある人に出会えるかもしれないと淡い期待をもちながら、地図を片手に進む。
途中、肉にピーマンやトマト、たまねぎなどをパンにはさんだシュワルマをほおばる。
暑さと乾燥でどうにもこうにも喉がかわくので、大きな水のペットボトルに加えてRich Cherryの炭酸飲料を買って、ごくごくと飲む。喉が渇くのはスーダンの人たちも同じらしく、道ばたにはあちらこちらに無料の水タンクが置かれ、みなそこに置かれたアルミのコップを使って、冷えたその水をごくごくとやっているのである。
たとえアラビア語ができなくとも、スーダンでは「水」だけはアラビア語で言えなきゃだめ、と言われるゆえんである。
インフォメーション・センターにたどり着くと、そこにはもうインフォメーション・センターはなくなっていた。隣のダンダス・インターナショナル・ホテルという名の、頼りがいのありそうなホテルに駆け込み、インフォメーション・センターはどこにあるのか尋ねる。すると、これも空港近くのどこかへ移転したのだという。
やれやれ、どこにもたどり着けない。
そのホテルは、灼熱の中がんがんと冷房をかけているホテルで、ロビーにはたくさんの中国人ビジネスマンたちが座りこんでいる。
仕事でスーダンに来ているという中国人たちは煙草を吸い、パソコンで中国語の映画を見ている。スーダンは、政府も難しい部分があるので短期的に見ればビジネスには難しい国ですが、長期的にみればビジネスに適した国なんです、と中国人男性は言った。
日が暮れていく。
街をまた歩いていると、道ばたでコーヒーを飲んでいた男性が、わたしたちを手招きする。腰をかけてスパイスの入ったシャイをいただくことにする。
彼は、煙草工場で機械工をしているという。ハルツーム生まれのハルツーム育ち、アフリカ系のイスラム教徒である。
今のスーダンで起こっている問題を、声をひそめながら、語る。
スーダンはダメ、政府がダメ、と切り出す。
誰も政府に満足していない。
ぼくたち個人間には宗教は関係ない、問題は政府だけなんです、と言った。ぼくには南スーダンからの友だちもたくさんいます。
南のスーダンはキリスト教徒が多く、緑が生い茂り、クラブやディスコもあって、自由がそこにはあるんです。南や東西のスーダンでは、今もアフリカ固有の言葉が話されています。でも北はイスラム教徒で、自由が全然ない。
スーダン政府は、アラブ系でイスラム教徒。キリスト教徒や、僕のような黒人系のイスラム教徒のことを、認めないんです。
投資する先もアラブ系イスラム教徒の多い北の地域ばかり。首相だって北からの出身。だから、スーダンの北の地域はいたって平和で、夜に道ばたで寝ていたって問題ないんです。
でも、南が独立して、大きかったスーダンの国は小さくなって、国民は怒っているんです。でも政府はそれが分からない。スーダン人のほとんどが、政府を嫌っています。
反対運動を起こしたら、捕まります。ここには民主主義は存在しないんです。
南スーダンの人々がハルツームにたどり着いて仕事をし、南にまた戻りたいとなっても、戻るお金がない。彼らは事務仕事ではなく、誰もが厳しい仕事をしている。政府は、それでも、彼らに対して無関心なんです。
わたしたちにお茶を淹れてくれた女性も、エチオピアからの難民だという。
エチオピアやエリトリアから、多くの女性が単身で難民や不法労働者としてスーダンに来て、共に住んで働き、母国へ仕送りをしています。特に道ばたでお茶やコーヒーを淹れる女性や食堂でウェイトレスをしている女性に多いんです。
エチオピアは、小さな国土に対して過密な人口を抱え、かつ干ばつの問題もあって、食糧不足に陥ったりするんです。対してスーダンは国も大きいし、人口も少ない。それにエチオピアよりも通貨が強いんです。だから、彼女たちはスーダンに来て仕事をして、エチオピアにいる家族に仕送りをするんです。コーヒーは2ポンド、お茶は1ポンド、これでもエチオピアにとっては大きなお金なんです。
そういった人々に対して、スーダンの国民は寛容に受け入れているのだという。
若い女性たちはスーダンに仕事があるものの、エチオピアの男性たちはスーダンに来ても仕事がないのだという。
エチオピア人は自分たちの国を大好きだと口々に言っていた。
でも、スーダンでは、自分たちの国をダメな国だと口を揃えて言う。
メディアは比較的自由だと言い、Eメールやfacebookのアカウントを持つ人も少なくない。彼もその一人だ。
またごちそうになってしまった。
これほどおもてなしされる国も、とてもまれだ。
夕食は、男性客で賑わう道沿いの食堂でいただく。わたしたちも卵と玉葱とトマトを炒めたものにパンを手でくるんでほおばる。その後、近くのミルクティー屋でミルクティーとパンをいただく。
この時間、女性は道ばたでお茶を淹れつづけ、男性はご飯を食べて、祈りをささげ、お茶を飲む。
2012/05/24 23:02 |
カテゴリー:Sudan
橋を渡れば、もうスーダンである。スーダンは、南や西は危険だと言われているが、北のほうはそんなことはなく、むしろその逆で、国境もまたなにやらのんびりとした雰囲気である。
食堂が何軒か並び、ろばがものを運んでいく。スーダンに入り、途端に辺りは乾燥をし、気温が高いように感じる。
イミグレーション付近も数名の軍人が銃を持ってうろうろとしているものの、ウェルカムウェルカム、と他の国ではなかなかに見られない歓迎ぶりである。オフィスでは、携帯で話をしている担当もいれば、短くてくるくるの黒髪を櫛で丁寧にとかす男性担当者もいる。
既にアディスアベバで取得していたビザを見せ、入国書類に記入する。記入するペンも、どうぞと差し出されるくらいのウェルカムぶりなのである。入国後3日以内に「滞在届」を出してください、と言う。
その後、近くのオフィスで「税関」審査を受ける。昼休み中だから待つようにと言われ、近くの食堂で、Venoというブランドの、ピーチ味の炭酸飲料を飲みながら、待つ。
税関と言っても、荷物を持っていくのではなく、パスポートを見せると、ぶ厚い冊子にアラビア語で1行ごにょごにょと何かを記入したら、終わりの作業である。
国をまたぐというのは面白いもので、スーダン側の国境の町、Gallabatには、もうインジェラは、ない。
男性同士が手をつないで歩くのは変わらないが、ふいにアラブ系雰囲気がただよってくる。
国境から首都ハルツームまでは、Gedarefという町を経由していく。Gadaref行きバンがいっぱいになるのを待つ間、近くで売られていた豆のフライ、Ta’amiyaをほおばる。フライは既に冷めていて、ハエがまわりを飛んでいる。
1時間ほど待った後、バンはGedarefに向けて出発すると思われるも、少し走ればパスポートチェックのために停車させられる。そしてまた少し走ると、今度はバンを下車して、看板のない建物に入室を求められ、氏名と行き先を尋ねられる。2分たてば、また停車し、外国人であるわたしたちに「パスポート」と、パスポートの提示を求める。
ただ、こう何度も検問が入るわりに、雰囲気が和やかなことはあまり変わらない。
ほかのスーダン人の乗客たちは、それをあたたかく待つ。
ようやくまた発車したと思ったら、元いた場所に戻ってきてまた客を乗せ、そしてまた出発したところで、外国人わたしたちはパスポートチェック、スーダン人は身体検査といった具合で、一向に前に進まない。
乾燥した土地に牛がのんびりしている風景を眺めながら、3時間半ほど走ったところで、Gedarefに到着する。
むわりとした砂に包まれた街で、全く英語が通じない。アラビア語の世界だ。ハルツーム行きのバスはあるとかないとか、だれもが違った答えをしてくる。
どうにかこうにか、ハルツーム行きのバスはやや離れたバス停から出ているらしい、かもしれない、ということが分かり、そこまでトゥクトゥクで向かうことにする。
真新しいトゥクトゥクは、きれいな身なりをした若い男性が運転している。
ターミナルに到着すると、1台のバスと1台のミニバンが停まっていた。ミニバンは、どうやらこれからハルツームに行くらしい。トゥクトゥクを降りると、すかさず現れた人々が、警察署に来てパスポートを見せなさい、と手招きする。再び、パスポートを提示する。
共にバンに乗り込んだ女性は元々エチオピアのゴンダール出身だが、難民としてスーダンに移り住んだという。エチオピアは良い国だが、スーダンはダメ、でも身内もいるから仕方がないのと、顔をしかめて言った。
甘いビスケットとクリームのはさまったクッキーを買ってほおばっていると、乗客の一人の女性が水のペットボトルを差し出してくれた。
もうすぐに出発だというときに、運転手が、座席が埋まらなかったから、一人プラス10ポンド支払ってください、と言う。みな、仕方がないことと割り切って、10ポンドを支払う。
出発直後、バンは検問を繰り返した。そのたびに外国人であるわたしたちは、パスポートの提出を求められた。そうこうしているうちにバンはいつの間にか多くの乗客を乗せて、満席となった。
気温は高いままだが、窓を開けると砂埃が入ってくるので、みな窓を閉める。バン内にぎゅうぎゅうに座る乗客たちは、暑い気温にぐったりとなっていく。
国境の町、Gedarefからハルツームまでは舗装道が続く。それでも、エチオピアとスーダンをつなぐその道は交通量も少なくないようで、古くなった舗装道は傷んでいると聞いた。確かにときおりがたりと窪みを抜けながら、走っていく。
22時半を過ぎたころになり、バンは夕食のために、停車した。豆のオイル煮とサラダにパンがついたものをほおばる。
バンは満席になったので、乗客がさきほど追加で支払った10ポンドの返金を求める。運転手はなかなかに応じず、そのうちにお金をもって走り逃げ出した。それでも、返金を求めていると、そのうちに笑いがおきはじめ、周りの人々がなんだなんだと集まりはじめ、やがて運転手は、返金をした。
憎めない人たちである。
それからも二度ほどの「パスポート」を受け、結局、ハルツームに到着したころには夜中の1時半を回っていた。街は暗くて、アラビア語ばかりの看板に、どちらに向かって良いものかもわからない。英語が通じる者など、いない。
バスの到着した辺りには、幾人もの人たちが簡易の鉄のベッドを置いて寝そべっている。わたしたちも、テントをはって夜が明けるまで待つことにする。
辺りは強い風が吹き始め、砂埃と破れたビニール袋やごみが舞いあがる。人々は構わず、簡易ベッドで眠り続ける。
テントの外にあたる砂埃を感じながら、浅い眠りにつく。
2012/05/23 23:58 |
カテゴリー:Sudan
エチオピアを旅していると、ふつうのレストランにもコーヒーセレモニーの一式が備えられていたり、古びたレストランの片隅にエスプレッソマシーンが置かれていたりするのを見かけることになる。
店はお香の煙が充満し、床には青草が敷かれている。
最初にパンやポップコーンなどが提供される。それをほおばりながら、コーヒーが淹れられるのを待つ。ふつう女性がコーヒーを淹れるらしい。
エチオピアのコーヒーセレモニーでは3杯まで飲むのが基本の流れ。1回目のアボールは濃くて一番美味しい、2杯目はトナ、3杯目はバラカといって、薄いコーヒーになるという。
これが生活の中に密着している。
アディスアベバ大学で教えている先生も、朝と夜にコーヒーセレモニーをしているといった。お子さんが独立し、奥さんと二人、1時間ほどかけて話をしながらコーヒーを飲む。セレモニーのホストは1か月500ブルで雇っているお手伝いさんが務めるという。
バスで出会った男性三人も、コーヒーセレモニーは欠かせないという。
いちおう3杯飲むのが基本なんだけど、おしゃべりに夢中になると、何杯目だかわからなくなって、4杯も5杯も淹れちゃうことがあるんだと三人で笑う。
3杯が多いと感じれば1杯になることもあれば、2杯になることもある。
コーヒーセレモニーには、大麦などを煎ったコロやポップコーン、インジェラやパンなどの食べものが必須なのだそう。そして地ビールであるタラを飲むこともあるのだという。地ビールは、イスラム教徒は飲まないがキリスト教徒は飲む、とエチオピアの人は言う。食べものなしにコーヒーはない、と言った。
友だちを家に招くときも「食事に来ないか」ではなく「コーヒーを飲みに来ないか」と言うのだというから、なかなか粋なものである。
2012/05/23 23:51 |
カテゴリー:Ethiopia
エチオピアのゴンダールからメテマを経由して、スーダンのカルツームまで抜けるルートです。
1.ゴンダールのバスターミナルから、メテマ行きのバスに乗る。
(※パブリックバス ETB 70.00 朝6時発。所要4時間。)
2.途中で、ミニバスに乗り換える。(※料金は1の料金に含まれています。)
3.メテマ到着後、出国手続。
4.徒歩にてスーダン側国境へ。
5.入国手続。パスポートを提出。その際、滞在登録(レジストレーション)をするかどうか質問される。
(※国境でやると SDP 215.00。カルツームでやると SDG 208.00(※印紙代込)で、カルツームの方が
安いですが、手間を考えると、国境でやってしまってもいいかもしれません。)
6.入国手続後、50m程の所にある警察の建物にて税関申告。パスポートを提出。簡単な質問に答える。
7.少し歩くと、ゲダレフ行きのミニバスが出ている。
(※所要4時間 SDG 13.00。)
8.国境の敷地内で最初のパスポートチェックがある。ドライバーと一緒に手続。
(※国境から、ゲダレフまで、外国人のみ5回くらいパスポートチェックがあります。
その都度ドライバーが手続をするので、時間がかかります。)
9.ゲダレフのバス乗合所で降ろされる。
(※カルツーム行きのパブリックのバスは、朝発のようです。)
10.トゥクトゥクにて、カルツーム行きミニバスの乗り場へ。
(※所要15分、SDG 3.00)
11.カルツーム行きのミニバスに乗車。
(※所要8時間。SDG 50.00)
※国境を越えるてスーダンに入ると、急に暑くなりました。
◎両替
エチオピア側、メテマに両替商がいます。
0.2 ETB = 1.0 SDG にて両替。
(※ETBを5で割ってました。)
2012/05/23 23:48 |
カテゴリー:Ethiopia, Sudan, ささやかな、旅のじょうほう
エチオピア通貨からスーダン通貨へ銀行で両替する場合は、アディスアベバの一部銀行でできるとかなんとか、なにやら複雑そうなのである。
でも国境では両替商がいるから大丈夫と大使館の人やら旅行会社の人たちが言っていた。
今日も朝の5時過ぎにはターミナルへ着くように向かう。
バスをつかまえ、茶けた山を眺めながら進んでいると、Shihediという町でふいに降ろされる。どうやら、たどり着きたかった国境の町、Metemaまでは行かないバスに乗ってしまったらしい。
それでも、国境の街までのバンを運転手が交渉してくれ、スムーズに乗り換えが済んだ。
わたしたちがバンに乗り込むと、車掌の男性が、座っていた乗客に対してわたしたちに席を譲るように指し示す。
わたしたちがいいですいいです、といくら遠慮しても、座りなさいと言って、他の乗客を別の座り心地の良くない座席へと移動させた。
隣に座った男性は、Metemaの町で輸出入の仕事をしているという。エチオピアからエリトリアまでコーヒーやソルガムを輸出するのに、両国の関係の悪さから、一度スーダンを経由して間接的に輸出するのだという。それから、中国からも商品を輸入する仕事もあると言った。
バンを降りると、イミグレーションまでトゥクトゥクに乗っていく。トゥクトゥクの運転手の知り合いに両替商がいると言うので、話を聞く。
掘立小屋の中にどかりと座った男性がいる。
両替商の男性は言う。スーダンは自由がないから、ぼくはエチオピアのほうが好きです。スーダンに入ったら、警察に用心してください。お金を要求されたら、お金はもっていない、お金がなくて腹がへっているのだと言ったほうが良い、気をつけて、と言う。
両替を終えてからも、あちらこちらの両替商関連の仲間らしき集団が現れて、次は荷物検査が必要ですからこちらへどうぞと親切に誘ってくる。
荷物検査は、私服を着て時間をもてあましているような若い男性たちが、興味もなさそうに簡易の木材でできた小屋で行っている。
こうしてようやくすぐそばのイミグレーション・オフィスに入り、出国手続きとなる。冷房の効いた部屋に座る男性によって、写真を撮影され、右手と左手の指紋をとり、職業を尋ねられたら、出国となる。
2012/05/23 23:30 |
カテゴリー:Ethiopia
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