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2012年08月

ビシュケクの夜の祭り – Bishkek, Kyrgyzstan

泊まらせてもらっている部屋はWifiもとんでいる。マンションは一か月に8万円ほどの賃料だというが、部屋は5部屋あり、それぞれが広々として、お手洗いもシャワーも2か所ずつある。ビシュケクの平均月収は4、500ドルというから大変に贅沢だ。

朝食は、朝日の入るリビングルームで、スクランブルエッグにナン、それに紅茶にコーヒー。いつものバターにお母さんのいちごジャム。

晴れ渡る空の下、家を出ると、広場にはスーツ姿の新郎と純白のウェディングドレスを着た新婦が、友人や親せきに囲まれている。

そして、すぐそばの道ばたには、そこで亡くなったのであろう人に向けた花束が捧げられている。

噴水があちらこちらに噴き上がる広場を抜け、迷彩服にブルーのベレー帽をかぶった軍人とすれ違いながら、食事をする場所を探しに行く。

洒落た雰囲気のレストランの向かいにある、地元のふうのシンプルな食堂に入る。

トマトスープに小さな水餃子を入れたチュチュヴァラに、玉葱やセロリに肉などの炒め物と麺をこちらもまたトマト風味のスープに入れたラグマン、それにナンと緑茶を合わせてオーダーする。食堂内は、それほど客がおらず、静かなままだ。

この辺りは、24時間営業の店も少なくない。コーラのロゴを表にはったファーストフード店が並び、キルギス料理を味わえる店よりも目立っている。

Betaスーパーに入って、ラスクやコーラのボトル、それにヨーグルトなどを買い求める。水パイプからはじまり、スーパーはずらりと品物が揃っていて、申し分ない。

歴史博物館の前の国旗には変わらずに守衛がついていて、その前の噴水はイルミネーションとともに豪華ショーが行われていて、地元の人々がたくさん集まっている。大きなステレオからライブさながらの音楽が爆音で流れてくる。

煌々とライトをつけた車両が人を乗せ、飛べない鳥はしっぽに飾りをつけられ、写真撮影用にぐるぐる回っている。ウサギやくじゃくもいて、その横に人々はずらりと並び、シャッターが切られるのを笑顔で待つ。 

懸垂機の周りに男性たちが集まり、号令もなく、ただ淡々と次から次へともの静かに懸垂機にぶら下がっていく。

そばのムエタイと書かれた機械にもまた男性たちが並び、自らの力を計測していく。

薄暗い通路に幾台ものテレビが並ぶところではそれぞれにカラオケが行われていて、その大体がテクノ系。隣のテレビに向かう人のカラオケの音など気にすることなく、踊りはしゃいでいるものだから、辺りはわいわいがやがやと騒がしい。

綿あめにポップコーンにおもちゃ。

夜になると気温は下がり、秋の訪れを感じさせる。のんびりとした祭りの雰囲気のメイン通りから一本横に入ると、暗い場所もあるので、用心しながら歩く。

暗い道ばたで、中華料理屋は灯りを放ち続けている。

家に帰ってくると、弟さんが友だちと車に腰掛け、お酒を飲んでいた。わたしたちも家でウイスキーとペプシを合わせて飲む。
夜遅くまで家の外ではバンバンと花火のあがる音がし続けた。

つかの間のピクニック – Bishkek, Kyrgyzstan

今朝もぶ厚くて丸いパンにいちごジャムとバター、それにリプトンの緑茶をあわせていただく。

昨日はカザフスタンの大統領もキルギスタンに来ていて、大使館が忙しく、閉まっていたので、今朝再度カザフスタンのビザを取得しに大使館に行く。

ここ3日休みだったという大使館前は人ごみでごったがえし、ビザ申請者で混乱している。申請用紙さえ取るに行くのに長蛇の列を並ばないといけない。

扉がひと時開いては数人入り、またじっと待つ。申請者の間で自主的に仕切りはじめた女性もいて、多くの人がその女性に従う。それでも中には、そのルールをやぶろうとする人がいて、周りの人々がそれを抑制する。

シングルエントリービザが60ドル、ダブルエントリーが90ドル、マルチプルエントリーになると200ドルと表示がしてある。続いて、「日本とトルコの国籍保有者、そして16歳以下の子どもは、あらゆるビザ取得の料金は無料」とある。

待つこと2時間ほど。業務終了時間の12時きっかりで、もう閉館だと追い払われることも覚悟していたのに、ゆるゆると業務を続けてくれる。そして、あれほどのカオスぶりがうそだったのかのように、定刻の12時ころには多くの人が諦めて帰り、数人だけが残っていた。こうして、12時を過ぎて、とたんにがらんとなった大使館で、カザフスタンのビザの申請を済ませた。ここの警備だって、今までの大使館と比べると、どうにもゆるい。

申請を終えると、友だちと弟が車に迎えに来てくれ、ビシュケクから30キロほど離れたアラ・アルチャ自然公園に向かう。いちごヨーグルトのパックを飲み、ドーナツをほおばる。

到着した海抜1300メートルという山の入口は肌寒いくらいで、パーカーをはおる。久しぶりに空気が澄んでいて、ひんやりとしていて、思いきり吸いこむ。ビシュケクに秋の香りをかすかに感じる。

山小屋は、先がとがっていて、冬は寒いのだろうと想像する。木には、白い布がくくりつけられている。

てくてくと山を歩き始めると、ほどなくして、お昼を食べようということになる。持ってきた厚い布を石の上に置いて、食べものを広げる。チキン一羽をそのまま薄い皮で巻いて揚げたもの、パンや焼き菓子、それにきゅうりといちごをヨーグルトと共に食べる。

途中ぱらぱらと雨が降ってきて、寒いということになる。

食べ終わって歩き始めようといったところで、弟くんが、その日気がのらずに断った結婚式の参加者たちが、わたしたちのいる山に来たのを発見する。弟くんはそんなわけですたこらと逃げなければならないことになった。

わたしたちも、先に進むことをやめて、弟くんと一緒に町へと帰ることにする。つかの間のビシュケク郊外ピクニックはこうして終わりを告げた。

山のふもとに設置されていたユルタでは、これから結婚式の宴会が行われると言う。キルギス人の新婦にフランス人の新郎だそうで、フランスからの招待客が集まっている。アコーディオンが軽快な音楽を流し、歌がのせられる。

夜は、家でパンやきゅうり、すいかにお茶などをほおばっていると、中国で洋服を買ってカザフスタンで売っている従兄弟さんが酔っ払った友だちを連れて帰って来た。二人はウルムチで共に中国語を習っていたという。

facebookやロシアや旧ソ連圏で流行っているソーシャルネットワークのOdnoklassnikiのサイトにアップしてある写真などを見せてくれる。

Jamesonのウイスキーにペプシを注いでぐびぐびといく。アメリカも日本も大好きだ、NARUTO、東芝、と友だちは繰り返し、嬉しそうにきゃきゃとはしゃぎながら、夜は更けていく。

これからイスク・クル湖に行くと言って酔っ払いながら嵐のように来て、嵐のように去って行った。

かつて、北京で知り合ったキルギス人の友人が、現在アフガニスタンのカブールで働いていることを知る。壁の中に守られて、インド人やエジプト人たちと働いているのだという。

ビシュケクのぜいたく時間 – Bishkek, Kyrgyzstan

朝に起きると、いつもは料理をしないという弟さんが、目玉焼きを作ってくれ、パンにバターとお母さんのつくったといういちごジャムをたっぷりとつけ、それにチャイを合わせる。

弟さんは伯母さんの経営する会社で働いているといい、時間に自由がきくというので、出社前に次に訪ねるカザフスタンビザをとるために必要な写真の撮影などに付き合ってくれる。

写真はKonikaのDigital Photo Expressのブースで撮ってもらう。室内に入って促されるままに座席に着けば、すぐにデジカメでパシャリと1枚撮影される。それをPhotoshopで手慣れたふうに修正して、髪の毛をあれやこれやいじったら、プリントのボタンをぽちりで完成。その速さに呆然としていると、3分で写真ができます、と言う。

道ばたのあちらこちらにパイロット姿のロゴの描かれた樽が置かれている。大麦を発酵させたショロという飲み物で、しゅわしゅわと舌に刺激があって、発酵飲料の不思議な味が口に広がる。

今日は、ビシュケクを少しまわってみることにする。

まずは、オシュ・バザールを訪ねてみる。日本とさして変わらない、大きすぎないサイズのじゃがいもやにんじん、朝鮮のお惣菜や焼きのりに醤油などが売られていて、ぷんとアジアの香りがしてくる。それにアプリコットやレーズンなどのドライフルーツにクッキーなどのスイーツも売られている。

プロフを炊くのに適しているという赤いオズギョン米などの米や、ビニール袋に入れられたスパイスがずらりと並んでいる。ナンにもたくさんの種類があって、店員ははけで時折その上に油を塗って光沢を作りだしている。ナンやお菓子のセットを買っていくことにする。

海賊版のDVD各種や、Manga、Bushido、Fujiにスシ、Samurai、GeishaやNinja、Zen、酒にCopybookなどといった文字が絵とともに表紙に書かれたノートも売られている。チョコレートののったタルトをほおばりながら、歩く。

バザールを出て、チュイ大通りを東のほうへと歩いていくと、本屋が見えてくる。中に入ると、スターリンが表紙の本もあれば、日本語の教科書や参考書も置かれている。

旧ソ連の名残のように、銅像が街のあちらこちらに置かれている。キルギスのシンボル、マナス王の像ももちろんあって、馬に乗って剣を手にしているが、身体には鳩がたくさんとまっている。映画館やひなびた雰囲気の動物学博物館などを通り、先へと進む。

今日は、カザフスタン、キルギス、トルコの大統領やアゼルバイジャンの総理大臣が、サミットのためにこのビシュケクにやってきていた。

ビシュケクを訪ねる人の間で知られているといういちごタルトを買い求める。見た目にとろりとしたいちごがのっかっていて、期待を膨らませて口に運ぶものの、いちごも中に入ったカスタードも大して味はしない。タルト生地の味がふんわりと口に広がる。

てくてくと進んだところにある大統領府の前には、護衛官が見当たらない。他の国ではこんな場所で写真を1枚でも撮ろうものならどこからかタタタと警察が近寄ってくる場所もあるものだが、ここにはそんな護衛官が見当たらない。そのうちにゆるゆると走っていく細身の護衛官らしき人が後から現れたくらいだ。

でも、その隣の歴史博物館の前の国旗には、ぴしりと動かない警備官が二人。そこには、いると思っていた自由の女神像は消えていて、マナス像がかわりに立っている。後から聞いたところによると、自由の女神が手にしていたユルタのトップ部分は、女性が持つのはおかしいという理由から、像が撤去されたのだという。

それでも、そんな博物館のわきの池には、子どもたちが泳いでいるものだから、なんともゆるい雰囲気だ。

その前にここに立っていたというレーニン像も博物館の後ろに移動されている。右手をぐいっと伸ばしながら、胸を張っている。

緑豊かな公園には、仕事用の制服を着たまま卓球をする人々や、カラオケで唄いあげる人々、キスを交わす若いカップルもいる。

道ばたには、無機質なグレーのジュース製造機があり、肌の焼けたおじさんがジュースをつくって、売っている。青リンゴジュースをオーダーする。細い管からしゅわーと青リンゴのジュースが出てきて、それを、使いまわしているようなグラスに注ぐ。見た目は緑色に輝いているが、飲んでみると、ほとんど青リンゴの味はしない。ただ水の炭酸にわずかな甘みが足されているくらいだ。

ツム百貨店は1階に携帯屋が並び、その上の階にも化粧品やら洋服、民芸品などが売られている。ソ連時代と人は変わっていないと言う人もいれば、その時代は仕事がないといって困ることがなかったという人もいる。

今週の土曜日に友だちの従姉妹の結婚式があるというので、今日はその前パーティ。お母さんは朝から晩まで料理を作り、友だちはそのお手伝い。次から次へと親戚の人々が家にやってきて、ご飯を食べて行く。

お母さんお手製のベリージュースから始まり、たまねぎを混ぜ込んだパンに、揚げパン、餃子のようなパン、すいか、羊肉の出汁が効いた麺の入ったスープ、それにご飯に羊肉の炒め物、中国から持ち帰ったという香り高い緑茶。

レストランで出てくるようなレベルだと親戚の人たちも口を揃える。

ウズベキスタンに近いキルギスの南の人々はご飯をよく食べているが、北のほうの人々は麺をよく食べるのだという。

蒙古班はキルギス人にもできると言い、わたしたちを仲間だと言った。そして、初代大統領が来日した際に、日本と兄弟だと語ったことに日本は喜び、多くの資金をキルギスに捧げたという話を聞く。

そして、ビジネスや国を変えたいという気概のあるキルギスの若者は、現在欧州のようになろうとしているグルジアに学びにいくという。

お母さんの家からはアザーンは聞こえないが、それでも時間をみてお母さんは五回祈りを捧げている。

ヒジャブを身につける女性と身につけない女性では、同じイスラム教徒でも考え方が違うのだと言う。ヒジャブを身にまとう女性は、身にまとわないとより暑い地獄へ落ちると考えている。

夜は、友だちの弟くんに誘われ、アップルミント味のシーシャを吸わせてもらう。友だちもみな好きで、集まって吸っていると言う。18歳から吸っているというから、吸い方も上手い。口で上手に煙の輪を作る。Google Translateの音声をAO機器につなげて会話をしながら、輪の作り方を教えてもらう。燻製チーズとナッツ、それにビールをごちそうになる。

パッケージは、15ソム。水たばこは2000ソム。

夜の2時半から友だちが来てサッカー観戦をするという。
キルギスのなんともぜいたく生活だ。

突然の寒さと、友だちとの再会 – Bishkek, Kyrgyzstan

朝の6時半ころ、窓からひんやりとした風が入ってきて、目覚める。外を見てみると、草原に馬が草を食み、その向こうの山には雪がかかっているのさえ見える。標高も3000メートル近い。ずっと暑い砂漠地帯が続いていた中、ここで突然に雪山が現れた。そのうちに目の前に太陽があがり、辺りはわずかに暖かくなっていく。

それからずっと車はビシュケクに向けて走りを進め、数回の検問を通った後、街へと入りかけていた。そこで、運転をしていた二人は突然に言い出す。わたしたちが伝えていた宿の場所が分からないから、ここで降りてあとは自分たちで行ってほしい。

今どこにいるかも分からないまま、それでも運転手の二人が宿を探してくれそうになかったので、車を降りる。まわりの人たちに尋ねながら、ローカルバスに乗り換えて、ハブ地点となっているオシュ・バザールに向かい、そこからまた別のバスへと乗り換える。

バスには日本人のような顔立ちの人もいれば、金髪に白い肌の人、黒髪にほりの深い顔立ち、それにモンゴルふうの顔立ちの人もいる。

アパートの一室を使った宿には、そこに住んでおられる日本人の女性もいた。日本人はキルギスへの短期入国にビザが必要ないことを知らない警察官もいるようで、警察官の尋問にあった際に提示ができるよう、ロシア語と日本語を併記した注意書きの紙を渡される。

少し落ち着いたところで、かつて北京で一緒に住んでいたキルギス人の友だちに電話をかけると、夕食を一緒にしようということになった。友だちは、整った顔立ちに丁寧なお化粧をしたたいへんな美人さんで、しかもとても魅力的な女性とあって、大きな車を運転する男友だちと一緒に迎えに来てくれた。

街の向こうに雪山を眺めて積もる話を交わしながら、ときどき食事をしにくるというおしゃれなレストランへと連れて行ってくれる。

生ビールにはじまり、ジューシーなシャシリク、ボルソという小さな四角いパンやナン、韮の入ったマンティ、小さなマンティの入ったトマト味のスープにサラダ、大麦焙煎発酵飲料の舌がぴりりとする見た目にコーヒーのようなマクスムなどが次から次へとテーブルに運ばれてくる。

イスラム教徒である友だちは、ラマダン中は断食を実行していたという。1年ほど前に観た米国映画の影響もあって、肉や魚などを摂るのを止めたといい、ラマダンも苦ではないのだと言った。この国では肉を摂らない外食はなかなかに難しい。

一方男の子の友だちもイスラム教徒であるが、ビールも飲むし、ラマダンは関係ない。シェイン・コスギ、ホンダケイスケを知っているとにこやかに言った。

キルギスの若者の夜は、とても洗練されていた。

既に宿の部屋もおさえてしまっていたものの、今夜から友だちの弟と従兄弟の住む家に泊まっていったら良いと言うので、夕食をいただいてから荷造りをしに宿に戻り、オーナーのおばあさんにご挨拶とお礼にお詫びを伝えて、移動をすることにする。

友だちは今は実家暮らしなので、弟と従兄弟の住む家賃8万円ほどという豪華マンションをわたしたちにあてがってくれたのだった。

2カ月前に越して来たばかりだと言い、リノベーションを施した家の中は新しいものそのもので、そのうえ週に1、2回、気の向いたときにお手伝いさんに電話をかけて掃除をしてもらったりしているというから、家はとても清潔に整えられている。Wifiもとんでいて、弟や従兄弟はパソコンにオーディオ機器をつなげてノリノリ音楽を聴きながらネットをしている。

夜が遅くなってからもチョコレートのアイスクリームにコカコーラを差し出してくれ、ビシュケクでの共同生活がはじまった。

イミグレーション窓口の男性と食事をして、送ってもらう。 – Border with Uzbekistan / Osh, Kyrgyzstan

キルギスのイミグレーションはやや薄暗く、列に並ぶ人もわずかしかいない。窓口の男性にパスポートを渡し、名前を読みあげられれば、ビザもないまま入国完了となる。

すっかりと日が落ちて外は暗い中、オシュまでの交通手段をどうしようかと考えていると、先ほどの入国管理の窓口に座っていた男性、ドスムラさんが、もう仕事が終わるからオシュの街まで送っていきますよと先ほどの業務時には見られなかったにこやかな笑顔で言う。

イミグレーションのお手洗いは、裏の建物奥深くにあって、ただ穴が開いただけのところだ。犬がわんわんと吠えさかりびくびくするが、誰の目にも届いていないような場所だ。

仕事を終えたドスムラさんは、僕の車はマツダ車なんです、と言って、日本人であるわたしたちを温かく歓迎した。ビートルズのLet it beに、トランクに積んだ子猫のにゃーにゃーが音頭をとりながら、風に吹かれて車は進む。

たった10分ほど走ったところで、ドスムラさんは車をきゅきゅっと停車して、ご飯でもどうですか、と言う。

ドスムラさんはイミグレーションで働き出して既に8年。きれいな奥さんとの間に娘さんが2人いる。携帯電話におさめられた写真を見せてもらう。ラマダン中も断食はしていないと言った。炭火で焼かれたジューシーなシャシリクに玉ねぎのスライス、それにパンとチャイをいただく。

多くのウズベキスタン人がキルギスへやってきて、多くのキルギス人が国境を越えてウズベキスタンへと向かう。ドスムラさんは、ウズベキスタンは悪い共和国で、ウズベキスタンの人たちは良くないと顔をしかめた。そして、カザフスタンは良いけれど、と付け加える。

しまいには、ごちそうをしてくれた。お腹もようやく良くなり、食べることのできた久しぶりの肉はやはり美味しい。

再びオシュの街に向けて車を走らせ、マナスの騎馬像では車を停めて写真を撮ってくると良いと言う。

こうして23時になるころにオシュの街へと到着した。今夜はこのままキルギスの首都、ビシュケクまで行ってしまいたい。オシュからビシュケクまではバスが通っていないので、タクシーで向かうことになる。ドスムラさんは、ビシュケクまで行ける車を探し、交渉まで付き合ってくれた。

すっかりとお世話になって、タクシーを見つけて乗り込み、ビシュケクへの夜を明かす移動を始める。運転手と助手席に座る友だちらしい二人が、交代で運転にあたる。

途中で車を停めると、一人がたたたと駆け足で商店に行き、炭酸水を買ってきてどうぞとわたしたちに差し出した。数回の検問を越えて、車は夜中のキルギスを風をきって北へと進んでいく。