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2012年08月

砂漠を歩き、お茶を飲み、人々の暮らしをかいまみる。 – Gas Crater / Derweze / Konye-Urgench, Turkmenistan

朝に起きてテントから出てみると、ちょうど朝日の上がるころだった。

うっすらと太陽に照らされる砂漠の中に、引き裂かれるように真っ暗な穴がぱっくりとあいている。穴に近付いてみると、昨日のおっかない姿の真っ赤な色合いが薄れ、それでも炎は燃え続けている。こうして40年間もガスを燃やし、二酸化炭素を排出し続けているのだ。暑さのために蜃気楼ができて、砂漠はゆらぎ、穴の淵にはひしゃげた鉄の塊が放置されている。ぐるりぐるりと螺旋を描く綱がだらりとその穴に垂れ下がっている。

暑くならないうちにチャイハネに戻ろうと、その方角だと思われる方向に向かって歩き始める。

昨晩は暗くて見えなかったが、砂漠にはぽつりぽつりと草が生えていて、小さな動物も歩きまわり、ちょこりとした足跡を砂の上に残し、ぽこぽこと砂に穴を作っている。二つの丘を越え、線路を越えて歩いていく。そのうちにいよいよ太陽はあがってきて砂漠は酷暑に見舞われ始める。

想像に任せた方角に歩いて行ったら、ふいにチャイハネが見えた。こうして2時間半ほど歩いて、無事にチャイハネに戻ってきた。明るいうちに歩いた今朝は、行く先の景色も見えて時間の流れが短く感じたものの、昨晩あったガスクレーターという目印がなかったので、じぐざぐに歩いてきてしまったようだった。

チャイハネに入り、ファンタ・オレンジとスプライトをオーダーして席に着き、砂糖のついたお菓子や、いただいた日本のお菓子などをつまむ。とにかく水が手に入る場所にいるというのはありがたい。同じようにチャイハネで休んでいたトルクメニスタンの男性が、大きなメロンを絨毯の上でざくりと切って、どうぞと差し出してくれた。

今日はこれから北の町、クフナ・ウルゲンチまで向かう。公共交通手段はないので、炎天下の中、ヒッチハイクを試みる。しばらくすると、仕事でクフナ・ウルゲンチ近くまで荷物を運ぶというバンが停まった。乗せていってくれるというが、バンは運ぶための袋が満載なので足は袋の上に放り出して、なんとか座りこむ。車内は埃だらけだ。

こうして発車したバンは、3分ほど走ったところで、きゅきゅっと停車した。なにごとかと思えば、運転手のおじさんは、チャイハネで食事をする、と言った。

静かなチャイハネの室内の蝿とりシートには、蝿がたっぷりついている。おじさんは、チャイやコーヒーをごちそうしてくれた。暑い砂漠の昼間に飲む温かい飲み物は、汗を吹き出させる。おじさんは、手持ちのタオルをくるくるとまわしてわたしたちを涼ませてくれた。現大統領がトップにのっている新聞を広げて、大統領は良いかと、そこにいた人々に尋ねると、3人揃って静かにうなづいた。

バンに戻ってからも冷たい水をいただいたりしながら、北へと進んでいく。ただ乾き続けた砂漠に、そのうちに徐々に緑が増えていき、牛が草を食むのが見え、川が流れていく。

検問を2度ほど受け、穴がところどころあく道を5時間ほど走って、バンは、積み込んでいた荷物を降ろしに一軒の民家に停まった。おばあさんが家の外に座っていて、一家はわたしたちにもチャイをどうぞと勧めてくれた。石造りに絨毯の敷かれた家の中にも通された。テレビが置かれたその居間には赤ちゃんが眠っている。

荷物を全て降ろし終えて、再びバンは走り出す。クフナ・ウルゲンチは古代ホレズムの都であり、大交易都市として栄えていた。道のわきにトレベク・ハニム廟、そして草むらの中にクトルグ・ティムール・ミナレットがしゅっとそびえたち、屋根のとがったイル・アルスラン廟、が建っているのが見える。

18時半ころにクフナ・ウルゲンチの町に到着した。ここは、きんきんきらきら、ごみのない首都アシュガバットとは違って、普通の人々が普通に暮らしている町だった。子どもたちは裸で泥水の中で遊び、女の子は水を汲んだバケツを運んでいく。

民家の外には瓜が売られ、親子が敷き物をしいて、のんびりと夕暮れを楽しんでいる。その横を山羊が横切っていく。

町には宿が1、2軒しかない。宿泊することにした町の中心に比較的近い宿からも、最寄りのレストランはタクシーに乗っていくほどの距離があるらしい。どの辺りにいこうかと探していると、乗せて行ってくれるという車があった。その若い男性二人は、こちらがカメラを向けていないのに、写真は撮らないでくださいね、と言った。

地元の料理が食べられるというレストランで降ろしてもらう。店内には、カーテンで仕切られてテレビが備え付けられた絨毯の個室が二部屋ある。60歳の誕生日を迎えたという男性が他の男性に祝ってもらっていた。

店の客と店員に、韓国から百年以上も前にトルクメニスタンに移住をしてきた家族がいた。日本と韓国は緊密な関係だけれど、中国と日本は関係があまり良くないのでしょう、と言った。

ひき肉に玉ねぎ、それにきゅうりとトマトがのったピリ辛の麺、ラグマンをオーダーする。麺を食べるのが久しぶりなうえ、味つけの具合がとてもアジアふうで、日本に近づいてきているのだということをここでもまた実感する。

隣の店がアイスクリーム屋だったので、食後に立ち寄ってアイスクリームをほおばる。砂糖の甘い味のするゆるいアイスクリームが、小さなコーンにのっている。

町は首都とは違い、夜になればすっかり暗い。ところどころにぽつりぽつりと灯のついた商店があるくらいだ。灯りもときどき暗くなってはまた明るくなり、ときにはぷつりと電気が消えるほどに不安定だ。

タクシーをつかまえて、真っ暗なNejameddin Kubra廟に立ち寄って、宿へと帰る。

きんきら街のバザールと、めらめらガスクレーター – Ashgabat / Derweze / Gas Crater, Turkmenistan

朝に起きてテレビをつけると、民族衣装を着た女性がナレーションをして、絨毯の織り方を説明している。

タルクーチカ・バザールへバスに乗っていく。街から少し離れれば、人々の住むマンションが立ち並び、世帯比で計算すると世界一の普及率ともいわれるパラボラアンテナがマンションの上にずらりと並んでいる。

市場の入口にも大統領が笑顔で手を振り上げた合成写真が掲げられている。

朝ごはんは食堂に入り、かりっと焼き上げられた挽肉とたまねぎの入ったサモサとチャイをオーダーする。まわりのトルクメニスタン人客たちもサモサを注文している人々が多いが、飲み物はチャイだったり、コーラや炭酸レモネードだったりする。

市場は広大で、いくつかの建物に分かれ、カラフルなイスラム帽や布地にスカーフ、緑のジャケットにお腹を自分でゴムでくくるどでかいズボンや、かつらに毛皮、トルクメニスタンノートやロシア語の古書などがずらりと並ぶ。動物市場はこの時間、数頭だけがぽつりと売買されていくだけだ。

どうやらかつてあった市場が建て替えでずいぶんときれいになっているのだが、その分活気が奪われているかのようだ。

宿に戻って、トルクメニスタンの見どころの一つと言われるガスクレーターへ向かうことにする。愛想のない向かいの商店に相変わらずお世話になり、もっちりとした砂糖がけのクッキーと、それからキンキンに冷えたヨーグルトを買い求める。大きな入れものに入ったヨーグルトがあまりに美味しいものだから、思わずもう一つ平らげる。そのうちに、昼休みだからもう営業は終わりです、と携帯電話を片手にジェスチャーで言われる。時計を見れば、表示されている昼休みの時間までまだ15分ほどある。

バスに乗ってGundogarバザールへ行き、乗り合いタクシーを探す。乗客が埋まるまで1時間半ほど待って16時ころにようやく出発となる。

乾いた赤い土の上に、草で網目のように仕切りをつくった畑があちらこちらに広がっていて、そこを耕す人がいる。あちらこちらでらくだや山羊がゆったりと歩き回り、ある時には道を横切るので、車はそれでストップする。検問を通り、進んでいく。

後ろの座席に座っている、ウズベキスタンのおじさん三人は、車が停まると走って商店に行ってウォッカを買い込み、そのうちにべろべろに酔っ払いはじめ、始終がはがはと笑って上機嫌、手拍子をしながら踊りだす。てっぷりとしたまんまるのお腹をシャツから出して、ウォッカで濡れた手でお腹をさする。運転手だって、顔を後ろに向けて話しながら運転しだすものだから、おっかない。コカコーラの空きペットボトルだって、窓の外にひょいと投げ捨てる。

道はアスファルトで覆われているが、がたりごとりと車は揺れる。ウォッカやひまわりの種、スナックにパンやらをもらい、それをもぐもぐとする。

途中、運転手の男性が車を停めて、ガスクレーターの一つに立ち寄ってくれる。そこは大きな穴に水が溜まっている場所だ。

今日の最終目的地であるガスクレーターは、火の燃え盛るところ。それは車の通る道にあるチャイハネを起点に砂漠の中を2時間ほど歩いたところにある。

20時になって車はようやくチャイハネに到着する。もう日が落ち始めている。チャイハネに荷物を置かせてもらい、東北東といわれるその方向へと進んでいくことにする。歩き始めるころにはもう日の沈んでいた砂漠は、あとは徐々に暗くなるばかりだ。でも、日のあるうちは暑すぎて歩けないので、日の落ちてから歩くのが丁度良い。

砂漠の中を歩くのだから、方向を失うことだってあるので、車の轍と時計の方位磁針を頼りにヘッドライトをつけて、進んでいく。てくてくと歩いていると、暗闇の中で、窓に光を点々とつけた列車ががたりごとりと通り過ぎ、空には星がすっと流れていく。

更に歩いていくと、向こうのほうに、赤いぼんやりとした光がうっすらと見えてくる。ガスクレーターが空を赤く染めているのだ。ぼんやりとしたその明かりを頼りにそちらのほうへと足を進める。足元はヘッドライトで照らす程度だ。

水を一人4リットルほど持ってきてはいるものの、今夜ガスクレーターの近くで眠り、明日チャイハネに帰るまで、水を手に入れられるところはない。大切に水を飲みながら、時折クッキーをほおばり黙々と歩く。極力喉が乾かないように、と考えるほどに、喉が渇いていく。

歩き続けて2時間ほど、3つ目の丘をあがると、暗闇の中に、オレンジ色に明るく燃える光が突然に目の前に現れる。まるで地獄絵のようで、思わず声をあげる。ごーと音をたてるその大きな穴にめらりめらりと光る炎に向かって、綱が垂れ下がっている。真ん中にはタイヤが落ちている。

このガスクレーター、旧ソ連時代の1971年、ガスを発掘しようと作業をしていたら、そこが陥没してしまい、ガスが漏れ出した。有毒なガスをそのまま放つわけにはいかず、火を放つことで二酸化炭素にして排出しているのだという。こうして火が燃え続け、二酸化炭素を放出し続けること約40年。この火を止めるには、トルクメニスタンの国家予算の半分ほどを使わなければならないとも聞いたことがあり、なかなか止められないのだ。

そんなわけで、乾いた砂漠のど真ん中で止められずに赤く無残に燃え続けるガスクレーターが、あの白と金の建物に噴水が街中に溢れる首都と同じ国に存在する。2011年、この国の経済成長率は世界第三位。

そのうちに月がクレーターの向こうからひょっこりと上がってきて、赤く色を染めている。山も赤く、空も赤い。さきほどの水の溜まったクレーターには周りにロープが張ってあったが、このガスクレーターにはロープも何もない。落ちたら命がないだけだ。近づくと、熱い。風が吹きつければ、その熱風に思わず引きさがる。空気ももわりとしている。

今晩はクレーターからやや距離を離したところにテントを張って眠ることにする。商店で買ってきた、お米の缶詰にパンをほおばる。お米の缶詰には、茶碗に白米がのった写真が描かれていて、思わず手にとったものだったが、ねちょりとした米粒にオイリーなツナが混ぜ合わさった缶だった。喉が渇かない食事で、良い。

テントで眠っている間も、クレーターは無駄に燃え続けている。

金と白と噴水とライトアップの街 – Ashgabat, Turkmenistan

朝に目が覚めてしばらくすると、テントの外から、おはよう、と声がする。テントから顔を出すと、昨晩とは別の音楽会社の男性が、どうぞと甘いコーヒーを出してくれる。煙草も勧められる。そして別れぎわ、なんどもウェルカム・トゥ・トルクメニスタンと言い、そしてわたしたちはなんども、ありがとう、と言う。

今夜のチェックインをするために、再びSyyahatホテルを訪ねる。すると今度は宿泊客から、飲んでいたコーラをどうぞと勧められ、大きなボトルをそのまま置いていった。トルクメニスタン・コカコーラ・ボトラーズ 2007 The Coca-Cola Companyのコーラ。

トルクメニスタンの多くの人々は、口を揃えてこの街にラマダンは関係ない、と言う。旧ソ連時代にイスラム教は弾圧されていて、地域からイスラム教色はずいぶんと薄らいでしまった。それでも、ラマダンを実行している人々はまだいるらしい。

ホテルのロビーにいる一人の少年は、表情を一つも変えず、隣のソファに座っている。こんにちは、と声をかけても、口をへの字に閉じたまま目線をこちらにちらりとやるだけだ。その少年と再度ホテルの外で会うと、先ほどとは別人かのようにいきいきと積極的に笑顔で話しかけてきた。同じ人間とは思えないほどだ。

街の中心に向かうために、真新しいバスに乗っていると、ロシア系の隣の青年が英語で話しかけてきた。英語を話せる人はここではとても珍しい。かつては中国に行ったこともあり、中国にはさまざまな国の人がいて、とても刺激的だったと言った。英語を磨いていつかは米国へ行きたいと静かに話す。そして、アフリカは貧しいんでしょう、興味があります、と加えた。

わたしたちが食事をする場所を探していると言うと、仕事に向かう途中であったその青年は、出勤時間を遅らせてわたしたちをお勧めの食堂へ連れて行きます、と言う。コンピューター修理の小さな会社で働く彼の月給は230ドル程度だというが、トルクメニスタンの物価は安いから足りているし、家族のために使うことだってできている。田舎のほうは子だくさんで6人から8人くらい子どもがいます。街で走る車はどれも新しそうに見えるけれど、大体中古車ですよとその青年は言った。

人々の間では、2018年までに政府がこの街の建物を白い高層ビルに建てかえるという話が行き交っているという。人々の住む古い建物を壊し、政府はお金を払って国民を移転させる。政府がお金持ちなのですね、と青年に言うと、青年は、そんなようなものです、と言葉を濁した。その青年は郊外に住んでいるが、移転をすると今飼っている羊を飼えなくなるから引っ越したくありません、と言う。

連れてきてもらった先は、トルクメニスタン印刷センターの職員食堂だった。それでもその建物に入った途端に、さきほどまで饒舌に話をしていた青年がなにやらもぞもぞとしだした。そして、もう仕事に行くので失礼しますといった具合で、そそくさと逃げるように出て行ってしまった。

食堂には気さくなおばさんたちがいて、幾人かの人々が食事をしている。確かにそこにはラマダンはないようだった。青年がお勧めだといっていたプロフを注文する。ご飯の上にのったチキンは柔らかく、油をまとった人参やご飯とともにとてもボリュームがある。それを添えられたパンとともにいただく。ラマダン中のイランから抜けだしたことを実感する。

インディペンデンス広場はとにかく金のドームに白い建物、ずらりと並ぶ白と金の街灯、それにじゃぶじゃぶと湧き出る噴水に囲まれ、きらりきらりとごみ一つ落ちていない。歩いている人もなく、人々のいる気配がない。

歩く人のほとんどないそんな場所でも、街を綺麗にするために働く人々はいる。清潔にすぎるバス停や噴水を更にごしごしと磨く人、道路の一つのタイルをかがんで修復する人、草花に水をやる人、仕事はそれぞれだ。とにもかくにも暑いので、人々は目だけを出したマスクをかぶったりしている。

辺りにはもちろん商店もなく、強い日差しの下、ひたすらに喉がカラカラになる。しかも一つ一つの建物が巨大なものだから、いったいいつ次の商店に巡り合えるのか、分からない。人気のない白と金の大きな建物に近づく。どれもミラーガラスになっているが、顔を近づけてそっと中を覗き込むと、意外にもこちらに笑いかけてくる護衛の男性がいた。水をください、とジェスチャーで頼んでみると、分かったというふうに水をもってきてくれた。

かつて中立のアーチの立っていたところに、小さな金色のニヤゾフ像が立ち、後ろには騎士像がある。アーチは郊外へと移転してしまった。その像のそばの芝生に腰かけ、ようやく見つけた小さな屋台で売られていたファンタ・オレンジを買い求めて、ごくごくと飲む。

現大統領ベルディムハメドフ氏の写真掲げられた門をくぐると、その向こうには誰もいないWorld of Fairytalesという名の広大な遊園地が広がり、しんとした敷地には大きな観覧車にビッグサンダーマウンテンさながらの岩山、ローラーコースターなどがある。5000万ドルをかけて2006年に作られたこの遊園地はほとんど営業されることはないという。

移転した中立のアーチまでどう行こうかと考えていると、近くの建設現場を仕切っていた建築会社の社長が、トヨタ車で送っていってくれると言った。そして冷えた水のボトルをわたしたちに差し出す。日本のJICAやその他公的機関とも仕事をしているようで、名刺を広げて見せてくれる。

アーチまでの道のりには、やはり真新しくてぴかぴか、天井には金の模様をあしらい、国旗をたてた白い建物がずらりと並んでいる。その男性は、僕はあの建物の一つに住んでいます、と指さした。57メートルの高さを持つ大きな国旗のわきを通り、アーチへ到着する。

アーチは、永世中立国であるトルクメニスタンを象徴している。政府機関で働く男性は、トルクメニスタンは全ての国と仲が良いんです、米国とももちろん、と誇らしげに言っていた。

アーチもまた、白の近未来的なふんいきで、黒に金でモチーフがあしらわれ、そのトップにはニヤゾフ氏がきらきらんと金色に輝きながら両手を広げている。アーチの前では軍人が行進し、護衛の男性が直立不動、その横には草花を手入れする男性が座り、あるいは寝そべっている。

真っ白なバスに乗って、真っ白な建物の並ぶ道を進み、街の中心まで戻ってくる。インディペンデンス広場から少し外れたところで降りると、ようやく一般の人々が歩いているのが見えてくる。胸元に刺繍をあしらった民族衣装を着た女性もいれば、ミニスカート、高いヒールのサンダルにサングラスの女の子も携帯を片手に闊歩していく。

ブリティッシュ・パブもあって、中に入ればサムソン・モバイルの広告に囲まれたディスコやビートルズの壁紙を貼ったパブ、それにカジノもある。工事中のクレーンがにょきにょきと立つエリアもあり、イランにはなかった米国大使館もある。

Magtymguly劇場の裏には、右手をあげたレーニン像がたち、そのまた近くには、1970年代にアシュガバットに住み作品を作ったロシアの美術家、Ernst Neizvestnyのトルクメニスタン共産党のアーカイブと題された彫刻作品の建物がででんと現れる。
     
再びバスに乗って、夕暮れのGirelgeの近くで降りる。白に金色の非現実的モニュメントのその辺りには、かつて畑であったような土地が広がる。新しく建てられている工事中のモニュメントの前にも、お決まりの噴水がつくられている。

トルクメニスタン独立モニュメントへと歩いていくと、そのうちに日が沈み、やがてライトアップが始まった。ライトは、水色に青やら黄色、紫にピンク、赤と次々と変わっていく。アザーンの音はトルクメニスタンでまだ一度も聞いていない。その代わりに噴水の音が周りを包んでいる。それほど噴水がじゃーじゃーとあちらこちらにあって、しかもそれがきちんと機能していて、それを保つ人々もいるのだった。ここでは高架にだってライトがついて、その色を変えていくのである。

この国は人々に無料で提供できるほど豊かなガスに恵まれ、そして人気のない夜の噴水もまた勢いよく噴き上げ続け、街灯は星のようにきらきらと輝き続ける。芝生の上で食事を楽しむ数人がぽつりといる。

地下道が煌々と明かりをつけていた。下っていくと、ごみ一つ落ちていない、しん、とした地下道が伸びている。隅のほうで、掃除を終えたらしい一人の女性が、布を敷いてひっそりと食事をしていた。その他に、この地下道を通る人はいない。

この街で物乞いは見かけていない。

バスに乗って、昼に通ったインディペンデンス広場の近くを通る。噴水一つ一つに、色がころころと変わっていくイルミネーションが灯されている。

夜は宿でテレビを見ながら、ホテルの売店で買った冷えたトルクメニスタンビールZip5に、向かいの商店で買ったタイのサーディントマト缶、それにパンを合わせていただく。ビールは、独特の匂いに、一口目はなにやら豆のような味がした。

テレビからはロシアの人形劇が流れてくる。

きんぴか首都のテント泊 – Ashgabat, Turkmenistan

イランからトルクメニスタンへのゲートを過ぎると、今度はトルクメニスタンの迷彩服を着た担当男性が再びパスポート、と言う。

ニヤゾフ前大統領は、見栄えが良くないという理由で国民に金歯を禁じていたと聞いていたが、担当男性のうち一人は金歯だ。

イランから抜け出れば、女性旅行者のほとんどが頭にかぶっていたヒジャブを取り払っている。倣ってヒジャブを取ると、イミグレーションの担当官が、マーントーも脱いで問題ないというので、脱いでみる。

頭のヒジャブも身体のマーントーもなくなり、情報規制も厳しくて盗聴も行われることがあるというトルクメニスタンに入国するにもかかわらず、なにやら自由な気分になってくる。

トルクメニスタンのイミグレーション・オフィスの建物には、現大統領ベルディムハメドフ氏の肖像が描かれている。

オフィス内にはカラフルな水玉の生地の胸元に刺繍があしらわれたワンピースを着たトルクメニスタンの女性が多くいた。そして、キルギスで教鞭をとるイラン人先生集団もこれからトルクメニスタンに入国する手続きをとっている。

まずは銀行で入国税を支払い、その領収書をもって、イミグレーションの窓口へと向かう。入国カードを書く必要もない。指紋をとられる人もいるが、日本人はとられない。担当者の男性はちらりとこちらを向くだけで、あとはパソコンを眺め、入国スタンプをボンと押した。

その後さらに進むと税関担当の女性が立っている。パスポートを渡すとロシア語ばかりの用紙にごにょごにょと勝手に記入をしてくれ、手続き完了となる。

緩衝地帯専用タクシーは、トルクメニスタン女性たちがイランから持ち込んだカーペットやら布団、シーツなどでめいいっぱいになっている。もはや女性たち以上に人々の乗れるスペースなど見当たらないが、ふくよかなおばちゃんが、膝の上に乗りなさいと身体ごと引っ張って膝の上に誘う。こうして、わたしたちは、一人はカーペットの上にまたがり、一人はおばちゃんの膝の上に座って、アシュガバットの街へと向かう。

乾いた山々が連なる中をぐんぐんと進む。途中、その山々の向こうに高層ビルの建つ大きな街が見えてきた。あれがアシュガバットだと、トルクメニスタン女性たちは指をさす。

30分ほどふくよかな膝に座ったところで、チェックポイントがあり、乗り合いタクシーを降りて窓口にパスポートを見せる。隣に居合わせた男性が、わたしたちが日本人だと分かると、スズキ、とつぶやいた。

ここからアシュガバットまでどうして行こうかと、てくてくと大きな幹線道路を歩き始める。すると、一台のバンが通りかかり、街に向かう途中まで乗せて行ってくれるという。「ハミ瓜、西瓜」と中国語で笑いながら連発し、スーパーでも売ってるから買うと良いと言う。そして下車するときには、前に停まっていたバスに乗ってテッケ・バザールまで行くと良いと硬貨を手に握らせてくれた。

バスはHyundai製の真新しい白いバスだ。バス停も、街の中にいたっては、豪華なつくりになっている。乗客の女性たちも、スカーフをかぶる人、かぶらない人それぞれで、時に金髪の女性もいて、窓の外には露出の高い服を着た男女が手をつないで歩いている。

広場に向かう中、そのほとんどが新しくてぴかぴか、きんきんきらきらの金色に真っ白な壁、輝かしいばかりの建物の数々に興奮ばかりだ。

Syyahatホテルに入ってチェックインをしようとしていると、従業員のおじちゃんが、本場米国のコーラを持ってきてくれ、パンもどうぞと現大統領の写真がでかでかと一面に載っている新聞紙の上にのせてくれる。それでも、レセプションに座っている美女は、口角のあがらないまま、予想外の部屋代金を口にする。再開発でかつて旅人たちの泊まっていた民泊などがことごとく壊されて、今は質のわりに高いホテルしかなさそうなのだ。

既に夜も遅くなっていたので、今夜はホテルの近くでテントを張ることにする。近くに開いていた商店でビーフの缶詰にもっちりとつまった食パンを買い求める。商店では、身体のラインのでる服を着たワンピースを着た女性が、ビールサーバーから生ビールを注いでいる。道には、まだ若者や男女のカップルも手をつないで歩いていく。

ホテルの近くで灯りをともしていた音楽会社のそばにテントを張る。そばに交番があるようで、警察もあちらこちらから通り過ぎて行くが、なにも声をかけられない。テントの中で休んでいると、音楽会社の男性がこんばんは、と言う。そして、チャイでもいかがですか、と温かくて甘いジンジャーティーを持ってきてくれる。最後におやすみなさい、と言われてテントの中で眠りにつく。

イラン-トルクメニスタン国境情報

イランのマシュハドから、陸路でトルクメニスタンのアシュガバードに抜けるルートです。

1.マシュハドのShahed ride station(http://www.mashhadterminal.ir)から、グーチャンGhuchan行きのバスが出ている。(所要2時間、IRR 22,000-.※荷物代として、一人 IRR 5,000-.取られるようです。)
2.バスはグーチャンのバスターミナルに到着するので、そこからフェレスティン広場Maydan-e Ferestin行きのタクシーに乗る。(所要15分 IRR 10,000-.)
3.フェレスティン広場から、バジギランBajgiran行きの乗合タクシーに乗る。
(所要1時間 IRR 35,000-.)
4.イラン側のイミグレーションオフィスに到着。パスポートを提出。
 (※特に問題がなければ15分もあれば終わると思いますが、私達の場合、イラン側のイミグレーションのシステムの調子が悪かったのと、私達の前に、40人の団体がいたおかげで、3時間程かかりました。)
5.徒歩でトルクメニスタン側イミグレーションオフィスへ。(※すぐ近くです。)
6.建物に入って、左側のBANKで一人USD 11.00 を支払い、領収書を受け取る。
7.正面の窓口でパスポートと上記領収書を提出。
8.荷物をX線検査に通す。
9.滞在日数、行き先、所持金について質問がある。
10.建物を出たところに、緩衝地帯を抜ける乗合のバンがある。(所要30分。TMT 20.00又は USD 15.00)
11.緩衝地帯を抜けると、パスポートチェックポイントがあり、そこからタクシーに乗れる。
  (※乗合だと、一人 USD 5.00くらいになるようです。)
   又は
   車で10分又は徒歩30分くらい行った所に、テケバザールTEKKE BAZAAR行きの16番バスの乗り場があるの、そこまでヒッチハイク又は徒歩で行く。(所要30分。 TMT 0.20)
12.SYYAHAT HOTELまでは、テケバザールから21番バス。(所要10分。 TMT 0.20)

※国境を越えた後、パスポートチェックポイントまでの乗合バンは、高いので、ヒッチハイクできる車があれば、試してみた方がいいと思います。

◎両替
 イラン側国境に、個人の両替屋がいるようです。