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2012年09月

黄龍での駆け足散歩と飛行機に乗れなかった日 – Huanglong / Chengdu, China

今回宿泊をした新九寨ホテルというのも、また安宿続きだった私たちをじっくりと癒してくれた。

朝食は、ソーセージや炒めものにお粥や豆、各種パンに、鮮やか過ぎるほどのジャム、ジュースにコーヒー。それにザーサイや卵など。最後にはゴマクッキーや砂糖菓子。

昨日、交渉をしておいたタクシー運転手が7時45分には迎えに来てくれて、それに乗って、黄龍へと向かう。山々は霧がかかっている。

重厚な石造りの家にはまんじが描かれ、塔には色とりどりの旗がかかげられ、はためいている。途中の雪山梁でタクシーを一度降りる。ここは、黄龍へと向かう最高地点に位置していて、4007メートルと書かれている。空気が薄く、頭がふわりとする。慎重に下っていく。車も人も多い。

山間をタクシーは走り抜け、九寨溝から2時間半ほどで、黄龍のチケット売り場へと到着する。そこから、ロープーウェイに乗り込んで、300メートルほどを一息に上がり、標高3500メートル地点へと降り立つ。

3500メートル付近はより一層肌寒く、上着を着る。これほどの標高に、父親よりも母親のほうが心配だったものの、母親はぴんぴんとしていて、どちらかといえば父親のほうが応えている。

途中に空気を吸える場所がいくつかあり、そこに腰をかける。細い透明の管を鼻の穴につっこみ、枕のような袋に入った酸素を押し出して鼻に入れていく。効果のほどはわからず、きゃきゃとはしゃぐばかりである。

高山植物からなる緑深い山の中を、てくてくと歩く。露が木の葉にかかり、きらりと光っている。平坦な道が得意で、さきほどまでぴんぴんと歩いていた母親の足が、一番の目的地である五彩池への数段の登り階段を前に、足が止まる。高度は得意でも、上がり坂が苦手なのである。

んびりと歩いたつもりはないものの、そんなこんなで五彩池到着までに2時間ほどかかる。今日はこれからまたタクシーに乗って空港に行き、成都に戻る飛行機に乗らなければならない。先を急ぐ前に、クッキーなどでお腹を満たしつつ、あとは一気に下り坂を急ぐことにする。タクシーの運転手と待ち合わせをしている麓まで、1時間で下らなければならない。

ところどころの寺で止まることもほとんどなく、多くの観光客をかき分け、どんどんと下がる。途中、雨が降ってきたので、傘をさしながら歩く。山の天気はよく変わるのである。

こうして待ち合わせより15分ほども遅れて、ようやく運転手と合流。途中、電話をかけようにも電話がなく、出口で携帯電話をお借りして、運転手に急いで電話。心優しいドライバーで、きちんと待っていてくれた。朝より機嫌がよさそうだ。

雨の降る中、タクシーは空港へと急ぐ。なかなかにタクシーは飛ばし、わたしたちの身体は右へ左へと揺れる。こうして、時間十分に空港へと到着し、やれやれと、コーヒーとクッキーで一息つく。

さて、落ち着いたところで、搭乗手続きに入る。パスポートは、ビザ延長のために成都に置いてきているので、行きと同じようにパスポートのコピーを提示する。

そして、成都空港と同じように、公安担当を訪ねるように伝えられる。同じように、訪ねる。

すると、公安担当が、パスポートのコピーでは搭乗はできない、と言う。国際免許証を見せても、ダメなものはダメだと言う。

そこから長い交渉が始まった。空港職員は言う。パスポートのコピーでは搭乗させられない。

ビザ延長の際には、他の都市に行ってはいけないという決まりがあったと思うから、オリジナルパスポートをビザ延長のために預けているとも言えずに、とにかく成都のホテルに置いてきた、と言い続ける。

タクシーに乗って成都に戻るか、バスで戻るしかない。バスは、今日は、もうない。

明日、日本帰国へのフライトを抑えている親には成都に今夜中に戻ってもらわなければならないので、とにもかくにも先に行ってもらうことにする。

そうしているうちに、日本語が話せるという男性が、興味津津の様子で、助けますがと言ってきた。こちらは必死なものなので、鼻高々風の助けは不要だと言った。

親がせっかく日本から来てくれて、今夜が中国最後の晩なのだ。
成都に戻ったら、火鍋を食べようとさきほどまで盛り上がっていたのだ。
親は休暇をとって、はるばるここまでやってきてくれたのだ。
成都からはパスポートコピーで搭乗できたのに。

交渉は続く。入れ替わり立ち替わり、様々な職員がやってくる。日本語が話せるという通訳者に電話がつながり、また鼻高々風に助けます、と言う。

こういう交渉時は、ほどほどに言葉が通じない方が良いのだ。

どうにかなるかもしれないというかすかな望みを頼りに、交渉を諦めなかった。途中、父親が霧のためフライトの離陸時間が遅れているということを言いに、関門を乗り越えて、戻ってきた。

落ち着け、次のフライトをつかまえれば良い、解決方法を見つけるから安心してください、優しくも期待を持たせるような言い回しを見せた警察官たちにほんの少しの希望を見出しても、いくつかの部署に電話をして交渉している様子があっても、それは最後まで結局だめなままだった。

霧のためか1時間ほど遅れてフライトは出発したものの、乗り過ごしてしまった。

こうして、私たちはタクシーをつかまえて、成都に戻ることにする。
最後には、今までノーと言い続けた警察官たちが、わたしたちにいくらかの紙幣を寄せ集めて、持たせてくれた。そして、ぜひまた中国に来てくださいね、と言った。

公安の友だちだというタクシー運転手まで手配をしてくれた。

タクシーは暗い夜道を飛ばしていく。松藩といった古都を抜けながら、しんとしたタクシーは東へと急ぐ。 
途中に車がつまっているところがあれば、さささとUターンをして引き返し、また別の小道から先へと進む。まっすぐに前を見たタクシーは迷いなく、走る。

そんな強気の運転手が、成都の街に入ってきたとたんに、どうにも自信のないような運転を見せた。

工事中で進入禁止の道があちらこちらにあり、運転手は根をあげて、わたしたちに降りるように言った。そして、自分はこれから戻らないといけないから大変なんだ、成都の道はよく分からない、ここで降りて成都のタクシーをつかまえなさい、と言って降ろされた。

やれやれ。

まあ、いい。とにもかくにも成都まで戻ってこれたのだ。こうして、別のタクシーに乗り換えて、親の泊るケンピンスキーホテルへ。

出発したのが19時半、ケンピンスキーに到着したのは夜の1時半をまわっていた。それでも、とにかく戻ってこれたのだ。

紅茶を淹れて、日本のお菓子やらいちじくやらをつまみながら、シャワーを浴び、ほんの少しだけ横になって、朝を待つ。

九寨溝へ飛ぶ – Chengdu / Jiuzhaigou, China

朝は、親の宿泊しているケンピンスキーホテルで一緒に食事をする。

お粥に豆や漬物などをのせたものや、揚げ物、炒めもの、スープに、餡の入ったパンなどをいただく。

親は朝食セット付のツアーを日本で手配していたものの、どうやらその朝食分がついていないプランとしてホテルに伝わっていたようで、ひと悶着する。

タクシーに乗り、空港に向かい、AIR CHINAのカウンターに並ぶ。綺麗な空港だ。今日から、一泊で九寨溝、黄龍に向かう。エコノミーシートが一杯になっていたといって、ラグジュアリーシートに通された。移動時間はあっという間だけれど、ずっと大きな荷物を抱えながらバスや列車や船で移動をしてきた身としては、格別な時間なのだ。盗まれる心配も、しなくて良い。

九寨黄龍空港に到着をする。標高、3447m。やや空気が薄いと感じるも、まだ大丈夫だ。数台のタクシーと交渉をして、タクシーをチャーター、チベット族の集落を時折眺めつつ、今日宿泊をする新九寨ホテルに向かう。

ホテルに荷物を置き、明日の交通手段の手配などをしていたら、九寨溝の入り口に着くころには14時頃になっていた。閉館時間が18時という。九寨溝は広大で、その中をバスでくるくるとまわることになるものだから、あちらこちらで、今から入るのか、急いだ方が良いと言われる。

揚げパンをかじりながら、九寨溝のバスに乗りこみ、五彩池まで行った後、くるりと引き返して、パンダ池、諾日朗瀑布などを見て回る。

ところどころは中国の観光客の人々もとても多いものの、徐々に閉館時間が近づいてくると、いよいよバスは私たちだけになったりする。それでも、バスの運転手さんは、見たいところで言いなさい、バスを止めてあげるから、と言ってくれる。

おかげで、短い時間しか取れない中で、ぐるりと見たい箇所を廻ることができた。

素晴らしい世界遺産。

18時には九寨溝を出て、夕食の場所を探しに、タクシーに乗り、どこか良いお店を知らないかと尋ねてみる。そうして連れて行ってもらったお店は、チベット料理屋で、観光客が一様にチベットの布を首に巻き、宴会風に盛り上がっていたものの、もう少し静かなお店を、と歩いて探してみることにする。

だいたい九寨溝ほどの観光地にもなれば、もう少しレストランがあるものかと思っていたら、たいていホテルで食事をするからなのか、外食のできるようなレストランは、点々としていて、数も多くない。

普通の中華料理を食べたいと、成都飯店に入り、トマトと卵の炒め物、京醤肉絲、空心菜の炒め物、魚香茄子、それに白ご飯。こういった普通の食堂の普通の中華が美味しいのである。常温のビールしかなかったものだから、お茶とともに、それをいただく。

そのうちに、雨が降り出してきた。途中の売店で、雪花ビールを買い求めて、宿の部屋で親とゆっくりと話をする。気持ちが世界旅後に向けて動いていく。

たらふく食べ歩き – Chengdu, China

成都には、古びたマンションが残っていて、朝にはその1階で朝食を食べている住民たちがいる。宿に近い一画でもち米に牛肉の入ったものを葉でくるんだもの、それに包子を買い求めて、もぐもぐとする。

中国銀行に再度立ち寄った後、バスに乗って、文殊坊に行き、親と合流。多くの人たちの集まる老舗の宮廷糕点店に私たちも顔を寄せ、蜜豆ケーキ、ゴマのケーキ、ほのかにスパイスの香りのするケーキなどを買い求めて、ビニール袋に入れられたそれを食べる。

古本や古銭、骨董品などの並ぶ店のそばに、お茶屋もある。お茶をゆっくりいただこう。

古びた建物のテラスには、机と椅子が無造作に並べられ、地元の人たちがほぼ満席に詰めている。
年齢層は高く、圧倒的に男性が多い。 

瓢雪、竹叶青、花毛峰、菊花のお茶をオーダーする。

隣にはランニングシャツを着たおじさんが座り、茶葉がたっぷりと入った器の蓋をひょいひょいと動かして、そして器を少し斜めにかけて手で持ちながら、その隙間に口をつけてすする。飲み方の解らない私たちに、手慣れたようすでそれを見せる。

三毛猫が、バイクの上にちょこりとのっている。
母は、びゅんびゅんと通る自転車に驚き、カルチャーショックを受けている。

一服茶をした後、今度は陳麻婆豆腐へ。
一番のおススメらしい金牌麻婆豆腐を注文する。山椒粉で舌がじんじんとして心地よい。

セブンイレブンに立ち寄り、品揃えが日本のそれと似ていることを確認し、キャノンに立ち寄り、修理していたカメラを受け取り、今度は屋台の並ぶ綿里へ。

大きな筆やら砂糖細工、紙細工、笛なども並ぶが、私たちが手にしたのは、羊肉串や波絲糖。たくさん食べた後、ようやく観光らしく、諸葛孔明の祠堂である武侯祠へ。たくさんの中国人観光客がまわっている。

それでも1時間ほどくるくるとしたら、今度は夕食を食べに銀杏川菜に向かう。
タクシーをつかまえようにも、どのタクシーもいっぱい。バスもなかなか来ない。三輪タクシーもどうも危ないように見えて、親には心配だ。タクシーをつかまえようと道端にたたずんでいると、電動バイクがびゅんびゅんと通り過ぎていく。

結局、タクシーはつかまらないまま、バスに乗り、そこから少し歩いて到着する。

銀杏川菜は、落ち着いた雰囲気のレストランで、日本語のメニューもあり、辛さの表示もある。ようやくここで一息つく。

ビールからはじまり、10年ものの紹興酒に蒜泥白肉 豚のバラ肉とにんにくソースの四川特製前菜、宮保鶏丁、松子栗米粒(松の実と栗の炒め物)、鐘水餃子、四川ワンタン、それにタンタン麺、最後にフルーツ。
どれも繊細な味がする。店内には欧米人や日本人、それに中国人の客も見る。

店を一歩外に出れば、またクラクションの止まぬ街に戻ってくる。親にとっては、この一つ一つのクラクションがどきどきなのだ。

手続きと親との再会 – Chengdu, China

中国の両替はだいたい銀行でするのだが、これが場所によっては長時間の作業になる。入口で番号札をとり、その番号が回ってくるまでじっと待つ。

ようやく両替を終えて、狭い路地の豆腐屋で豆腐揚げの切り売りを買い求めて、つまようじでそれを刺しながら、口に放り込む。

今日はこれから中国ビザの申請に行く。日本人は、中国滞在15日までビザが不要なのだが、滞在は15日間を過ぎるので、ビザの申請に行く必要がある。場所によってはビザが2日ほどで発行されるところもあれば、ここ成都のように一週間かかるところもある。

ビザの申請場所だと思っていたところが移っていたようで、別の場所まで歩いて行く。

百貨店にはユニクロも入り、カルティエもグッチも店舗を構える。道路には車や自転車にバイク、それに歩く人々が入り乱れている。

成都の立派な入出国サービスセンターは、午前中は12時まで窓口が開いているところ、11時50分ほどで滑り込んだら、13時以降に来てください、と眉間にしわを寄せた不機嫌そうな女性が言う。

そこで天府広場の近くを散歩する。毛沢東がそびえたち、広大な広場に生活感はないが、ひとたび奥に進んでいけば、また古びたマンションがあり、その一階に果物などの売られている商店、昼飯用に炒めものをボウルに入れて売る店などが並んでいる。

そのうちの1軒に入り、ジャージャー麺をオーダーする。ピリリと辛いスープに細い麺、それにとぷとぷとお酢をかけていただく。

13時を過ぎて、またセンターに戻り、宿から出してもらったゲストアライバルカードに、クレジットカードやパスポートのコピー、それに申請書を提出する。それで、しばらくパスポートは預けてしまう。

外に出ると、電動の自転車がそっと歩道から近付いてきて、驚く。北京ではかつてのように見られなくなった自転車が、ここでは元気に走っている。

空はどんよりと白く霞んでいる。

壊れかけているカメラを見てもらいに、キャノンの成都支店を訪ねる。中国に入るまでは、カメラやその他電化製品が壊れると、いかにも厄介なものだが、中国に入ればやれやれまずは一安心である。こんなに内陸に奥まった一都市にも、中央アジアの国になかったキャノンの店がある。日本語の話せるスタッフさえいるのである。

伊利牧場のミルクアイスをほおばりながら、人民公園まで歩く。

さきほどのビザ受付窓口の女性が前を歩いている。短髪にミニスカートでお洒落に闊歩している。わたしたちに気づいて、会話を交わす。そして、金曜の仕事帰り、彼女は百貨店の中へと入っていった。

マクドナルドにKFC、カリフール、スターバックス、セブン・イレブンと有名店があちらこちらにある。そうかと思えば、草むらに、チベット族の女性たちが、鮮やかなアクセサリーをつけて、寝そべりながら歓談をしている。洋服を着た人ごみの中に、チベットの袈裟を着た男性が颯爽と歩いて行く。

今日は、親が日本から成都を訪ねてきて、これから5日ほど一緒に旅をしていく。成都空港に到着するのが22:20位になるので、酸梅ジュースとミルクティーを抱えて、バスに乗って、迎えに行く。

夜の成都は、昼間とは違った姿をしていて、イルミネーションできらきらしている。Max Mara、ルイ・ヴィトン、それにプラダなどがずらりと並ぶ。

ここではマクドナルドよりKFCを見かけることが多い。空港にもKFCは明るく営業中で、人々を集めている。ピリ辛チキンバーガーをかじりながら親を待つ。

親がゲートから出てくる。約1年ぶりの再会は、なかなかに感慨深い。タクシーに乗って、親の泊まるホテルまで行く。日本からのお菓子がたっぷり。近くのコンビニまで牛乳を買いに行く。鞄は前に持っていないと危ないからね。

トイレとごみ箱の間から豪華食堂車へ – Lanzhou / Chengdu, China

朝に目覚めると、宝鶏で切り返しのあった列車は、逆方向に走っている。深い山間を列車は進み続ける。朝ごはんの時間は6時半から8時半、一時間ほど遅れて始まった朝ごはんサービスを「席無し」チケット保有者たちは食べていく。

わたしたちもソーセージやチョコレートのお菓子に棗をアニスティーと合わせてほおばる。

田舎のほうに行けば、昔ながらの畑の中に建つ石造りの家だって、見えてくる。いくつもの川を渡り、トンネルをくぐりながら、列車はがたりごとりと進んでいく。

わたしたちの知らないような駅にも、建設中のビルがあるかと思えば、古びた建物もまだ続く。

そのうちに、昨日から特別扱いで豪華食堂車に居座るわたしたちが、どうやら韓国人ではなく、日本人だということに添乗員たちは気付き始めたようだった。どこの国から来た?と入れ替わり立ち替わり聞かれる。今さら日本人だとも言えず、韓国人です、と言うしかない。

そのうち、昨日私たちを食堂車に導いてくれた添乗員女性も私たちが韓国人ではないことを既に悟ったようだった。それでも明るく変わらずに私たちを気遣い、声をかけてくる。

こうしてトイレとごみ箱の間に21時間立ちっぱなしという苦行だったはずの列車の移動が、豪華食堂車でゆったり過ごすという旅となって、14時に無事に成都駅にたどり着いた。有り難いこと、この上ない。

こうしてさほど疲れもなく大きな成都という街のの大きな成都駅に到着して、バスに乗り、目的の宿へ向かう。重い荷物を無事に部屋に置き、ご飯を食べに出る。

一歩路地を入れば、古びたマンションがずらりと建ち並んでいる。柳の木の下、カラフルな運動器具で身体を動かす人々、椅子に腰かけ、何をするでもなく、おしゃべりをする人々がいる。

一軒の四川料理屋、Pe Penxiang川菜館に入り、鶏肉とカシューナッツの炒め物、宮爆鶏肉に、ピータンとピーマンの涼菜、それにライスをオーダーする。ビールは他の都市のビールしか置いていなかったので、近くの商店で雪花ビールを買い求めてくる。

空芯菜、それにピリ辛の漬物をどうぞと持ってきてくれた。どうぞご遠慮なく、ご飯のおかわりもどんどん食べていってくださいね、とおかみさんも若い女の子も笑顔を見せる。最後には切り分けたスイカをどうぞといただく。

ここでは、国籍も聞かれない。