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チベット世界から漢族世界へ – Xiahe / Lanzhou, China

朝は6時ほどからラブラン寺でお経を唱えるというので、まだ暗いうちに宿を出て、歩いていく。朝の早いうちから自転車で寺の辺りを飛ばしていく子どもたちがいて、タクシーに乗ってどこかへ向かう僧たちがいる。

広大な敷地を持つ寺の中にある薄暗いお堂の中に、紅色の袈裟を着た僧がいくつもの列を成して座っていた。いくつもの仏像が置かれ、手前にはヤクバターのキャンドルが灯りをともしている。

湯気のたつミルクティーを入れた金のポットを僧たちが別室から早足で運び出し、それに幾列かを成して座っている僧たちが口をつける。

低い声でお経が始まり、時折黄色いとさかをつけた僧が鐘を鳴らし、ひとしきり続くと、また途切れ、静けさに包まれる。聞こえてくるのは鳥の声だけだ。

黄色いとさかをつけた別の僧は、筒をぼんぼんと床に叩く。信者たちが願いを記した紙切れを放り投げていく。そのうちに供え物が運ばれてくる。供え物を置いた箱にはどくろが描かれている。

奥の小部屋でもまた祈りが捧げられ、金の仏像の前にはパンチェン・ラマの写真が掲げられている。外では松の木が焚かれ、煙をあげている。お堂には、その周囲を回る人々がいて、幾人かが入口の辺りで五体投地を繰り返している。

上着を重ねて着込んでいてもまだ寒くて手がかじかむ。そんな中を僧たちは裸足で木の板の上を歩いていく。片腕の袈裟を剥いで肌を出していることに、寒くないのかと尋ねられると、顔を出していても大丈夫なのだから大丈夫ですよと答えた。

冷たい風がびゅんびゅんと吹きつけ、前かがみで歩いていると、小さな建物の中にいたおじいさんが、立ち寄っていけば良いと薪をくべたストーブを指さす。やかんをストーブにのせて水を温め、煙草を勧める。おじいさんは、煙草をくゆらせ、米の粉とお椀に入ったバターを手でこねて団子を作り、口にほおばる。

医学学校に入ると、中には大きな金の仏像、それに壁には小さな仏像の絵がぎっしりと描かれていた。

山の上に鳥が飛んでいく。

朝食を取りに、寺の端に位置するノマド・レストランに入る。チベット・ミルクティーにツァンパ、それに揚げモモをオーダーする。ミルクティーはとても薄い。揚げモモはかりっと揚げられていて、中にはヤクの肉がつまっている。ツァンパは、大麦を丸めてドライチーズやバターと合わせて団子状にしたもので、甘いクッキーを再構築したようなものだ。

それから再び、マニコロを時計回りに寺を巡り回しながら、歩く。くるくると回すと、木と鉄の留め具の音が、からからきいきいと鳴る。マニ車を回す右手に手袋をはめ、左に数珠をもった人々が絶えることなく歩いていく。人々の頬は標高の高いこの土地の日差しの強さで赤く日に焼けている。毛を剃っている人もいれば、後ろ髪を二つに分け、細い三つあみを作っているおばあさんもいる。

倣ってマニ車を回していくものの、なかなかに重い。一つ一つ回していくのは結構な力がいる。触れるようにだけ回っていく人や、前の人がいるときは躊躇なくそのマニ車を飛ばしていく人もいて、さまざまだ。子連れで回る女性もいる。道の途中には、小さな子どもの僧が祈りを捧げる小さな箱がぽつぽつと並んでいる。
スプリンクラーに似たシュシュシュという音をたてる虫が草の中から聞こえてくる。

境内の中にある石壇には松の木が燃やされ、棗なども合わせて放られている。淵には火に振りかけるためのミルクが置かれている。

五体投地を繰り返して進んでいくおばあさんがいる。手にミトンをつけて、身体に括った杖を後ろにひきずりながら、ゆっくりと進んでいく。身体中が埃まみれだ。寺を囲む白い壁面はところどころにチベット語や模様が描かれている。幾度も触れられるその箇所は、黒ずんでいる。

チベット語のお経が彫られた木の板が2万点ほど保管されているBarkhangは、昼休みで閉まっていたが、そこにいた若い僧たちが、木の板を手に、携帯で撮影した内部の様子を見せながら説明をしてくれる。

そして、ある食堂に入った。蕨麻米飯という、バターと砂糖のたっぷり入ったご飯に蕨がのっているものをいただく。甘いお菓子のようで、蕨の味はもはやしない。それに牛肉の入った肉餅を、お茶を合わせていただきながらほおばる。店の店主は、どうぞゆっくりお茶でもしていってください、とわたしたちに柔らかい笑みを浮かべて言う。チベット族ですか、それとも漢族ですかと尋ねると、漢族です、となんだか申し訳なさそうに答えられた。そして、もともとこの土地に生まれたんです、と言い訳をするかのように言った。

そして、また蘭州へと戻るバスに乗り込む。

門を抜け、カラフルな旗が舞うストゥーパを抜けていく。しばらくすると、各建てものの入口に中国国旗の掲げられた地域がある。

わらの積まれている家があり、とうもろこし畑があり、庭で食事をとっている人がいたかと思えば、突然にクレーンののった工事中の大きな建物が何棟も現れる。そして、深い緑の中にやはり中国様式に無理やり月マークをのせたようなモスクがいくつも建っている。

馬をのせたトラックが通り過ぎていき、羊にバスは道をはばまれ、小さな町に立ち寄れば、解放軍医院と赤く大きな文字で書かれた病院がある。

そして、かつてはなかった臨夏からの高速道路にバスはのっかっていく。その後もモスクは続いていく。途中、ガードレールに衝突してぐねりと前方を破壊された乗用車の横をバスは通り過ぎていく。

18時半頃にはバスは蘭州南バスターミナルに戻ってくる。バスを降りたとたんに、中国らしいスパイスの匂いがぷんとただよってくる。そして、そこには漢字が溢れ、高層ビルが建ち並び、たくさんの車とバスが行き交う賑やかな街があった。ここはかつて、チベットだったという人もいる。

町のバスに乗って、町の中心へと向かう。ビジネスホテルと中国語で書かれた、それでものんびりとした家族経営の宿に荷物を置いて、近くの食堂街へ向かう。

多くの人々がビールを飲み、トランプなどのテーブルゲームで遊んでいる。新疆ムスリムの清真料理や四川料理といった食堂が並んでいる。商店で雪花というビール瓶を買い求めて、清真の羊肉の餃子をオーダーしてビールとともにいただく。隣の席に座った男性も酔ったふうに、唐辛子の入れものも持っていけ、大蒜も食べろ、と指し示す。生大蒜をかじりながら、ビールをちびちび、餃子をぱくぱくとしながら、蘭州の夜は更けていく。そして、最後には、お気に入りのナッツチョコレートアイスをほおばるのである。