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夜の砂漠 – Hami / Dun Huang, China

朝も工人市場に出向いていくと、昨晩数軒の屋台が並んでいただけの雰囲気とは変わって、活気に溢れていた。そして、ウイグル族料理を出すウイグル人の多かった夜から、とたんに漢族の人々が増え、呼び込みをしている。

ハミ名物の大棗に、すいかや瓜、じゃがいもやトマトに鴨の卵、肉の塊に牛乳。市場の一角で揚げられていた揚げパン、油条をかじりながら、食堂に入って豆腐脳という豆腐や野菜の入ったスープをすする。まだ肌寒い朝に温かな湯気がたち、外から明るい日差しが差し込んでくる。典型的な中国の朝食だ。

今日はハミから敦煌へと向かうため、支度を整えてバスに乗って長距離バスターミナルへと向かう。

ここでもターミナルへ入るのにまず荷物検査をして入る。だいたいバスは遅れずに時間通りに運行していて、9時の発車を10分ほど遅れたばかりで出発する。

ただひたすらに乾いた大地にぽつりぽつりと固い緑の生える広大な大地を進んでいく。遠くのほうに山が見え、あるいは砂埃が渦を巻いて高くまであがる。時には瓜が道ばたで売られ、あるいはずらりとぶらさがって干されている。干し葡萄を口に放り込む。

途中にバスは故障して停まり、乗客一同降りて修理をしたものの、再び走りだしても一向にスピードが出ない。道のゆらぎと相まってバランスの崩れるバスに、乗客たちは自ら、左に身体を寄せてなどと叫び合う。

自転車に乗った、ちゃんとした装備をしたサイクラーたちが、耳につけたイヤホンから音楽を漏らしながら、バスを追い越していく。

薄紫色の花が渇いた土地にこんもりとして、葡萄が干され、人々は畑で作業をしている。

1時間ほどして、そのうちに乗り換えるためのバスがやってきた。

中央アジア辺りから数の増えてきた、扉なしのボットントイレが、この辺りでも牛耳っている。たいていトイレは見晴らしの良い砂漠の中か、穴がいくつか並んだトイレとなる。そんな中でも人々はだいたい人目をはばからずに携帯で話しをしたり、あるいは隣の人とゲームに勤しんだりしている。

16時半ころには敦煌のバスターミナルへと到着する。このバスターミナルも、かつて街の中心にあったところから、中心から少し離れた場所の新しい建物へと移動していた。敦煌はもう新疆ウイグル自治区を抜けた甘粛省にあって、町の看板にはウイグル語を見かけることはなく、漢字ばかりが並び、街でウイグル族を見かけることもぐっと減る。

のんびりと走るバスに乗って街の中心にあるカフェに向かった後、東西40キロ、南北20キロに広がるさらさらの砂漠の山、鳴沙山に近い宿まで送ってもらう。

19時半ころ、宿を出て歩き始める。辺りには山羊や牛が飼われ、草の香りがする。棗があちらこちらになっていて、もいでそれをつまみ、民家で売っていたまだ青い桃を買い求めてかじって歩く。通りには、鳴沙山で観光客を乗せ終えたラクダが連なって、バイクや自転車に引かれていく。やがて太陽は砂山の向こうに沈んでいく。

薄暗くなってから鳴沙山に登りはじめる。さらさらの砂の山にざくりざくりと一歩ずつ足を進める。砂山の峰まで登りつめてから、峰に沿って頂上へと向かう。足が埋まるものだから、なかなかに息が切れる。

右手には夕焼けの名残が見え、左にはまあるく白い月があがっている。ゆるやかな曲線を描いた砂山の合間に、三日月の形をした月牙泉がひたひたと湧き出ている。
 
砂山の峰に腰掛けてただ眺める。灯りのともる街のほうから時折音が聞こえてくるくらいだ。

ちょうどそこで知り合った上海在住の中国人の男の子二人と夕食をとりに敦煌の町の中心にある夜市へとタクシーで向かう。

夏の夜市は賑わっていて、店の外にはずらりとテーブルと椅子が並び、みな中華にビールをぐびぐびといっている。客の多い店に入り、羊肉や茸、豆腐皮、烤餅の串をてんこもりに、それにピリ辛の臊子麺をいただく。ビールは、甘粛省の黄河ビール。イスラム圏に入ってから、不思議とビールを飲みたいという欲望が失せていて、それがイスラム教で禁止されているからか、あるいは暑すぎることによるものかと思っていた。ビールよりも炭酸飲料が欲しくなる。

中国に入ってから再びビールがほしくなる。そして食事によく合うものだから、ついぐびぐびといってしまう。

中国のZhuangくんは、中国のパスポートではビザをとるのが難しい国があって、ときには第三国で取れないため中国にビザを取得しに戻らなければいけないときもある。だから世界旅行は難しいんです、日本のパスポートは強いから良いなあ、と言う。そして中国の共産党は嫌われているんです、と付け加えた。でも、この大きな中国は一党独裁じゃないと、ばらばらになる。50年後には中国は違うかたちになっていると思う、と言った。

そして、こう加える。中国沿岸部に住む漢族たちはウイグル族たちを危ない人たちだと思っていて、自分もその一人だった。でも、それはマスコミのせいだと分かったんです。ウイグルで何かが起きるとすぐに取り上げる。でも実際新疆の犯罪率はそんなに高くはないんです。

中国は本当に変な国、もうここは資本主義だよ、景気も良いから中国のどの場所に行ってもみんななんだか嬉しそう、と、中国各省に行ったことがあるというZhuangくんは言う。でも、どの場所に行っても同じ、それぞれの文化もなくなってしまうけどね、と淡々と加える。

日本で2年間日本語を勉強し、その後 大学へと進んで4年間、その後日本の企業で2年間働いたZhuangくんは、もう少しで日本のパスポートを申請できたという。日本のパスポートの強さを知っているものだから、日本国籍取得も考えたが、いずれ中国に戻ることを考えて、諦めた。今は上海の日本企業で働いている。

隣の席に座っていたカップルの男性も偶然に日本語を勉強していたという。でも、仕事で使う機会がないのだとその人がいうと、仕事で日本語を使うものの僕は日本語を勉強したことを後悔していますよ、と答えた。

12時半を回ってもまだ賑やかな夜市をあとに、再びタクシーに乗って宿へと帰る。