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島の事件 – Chengdu / Nanjing, China

【14日午前6時18分頃から20分頃にかけて、沖縄県石垣市の尖閣諸島・大正島の北北東約22キロの領海内に、中国の公船「海監51」と「海監66」が相次いで侵入したのを海上保安庁の巡視船が確認した。】

朝に起きて、チャーリーさん家に別れを告げる。南京へ向かうのだ。今日も成都はうっすらと曇っていて、気温はちょうど良い。

「昨日も同僚と話をしていたんだけど、きちんと調べてみるとやっぱり釣魚島(尖閣諸島)は、日本のものだよ、間違いない。少なくともアメリカ人としてはその見解だよ。だからがんばって。」そう言った。

朝は10時からビザのピックアップができるはずなので、天府広場の近く、入出国サービスセンターに向かう。チャーリーさんの家から地下鉄の駅までてくてくと歩く。人々は朝から元気に動いている。途中、商店に立ち寄り、列車の中で食べるものを買い求める。

チャーリーさんの家から最寄りの倪家橋駅に到着し、荷物検査を済ませて改札を入る。

昨年できたという1路に、今週か来週にもできるという2路。真新しい地下鉄には、トレーニングされているふうの職員が、仕事をこなしている。

天府広場駅で下車をし、15分ほど前に入出国サービスセンターに到着したら、既に事務所は開いていた。
どきどきとして順番を待つ。なにしろ制限されていた成都から別の街への旅行をしてしまって空港で問題になったのだから、今日ビザが取得できないとなったら、また大変だ。日本人は15日間までビザが免除されているものの、その15日目が今日なのだから、ビザは今日取得しなければならない。

3階まで行くと、受付の女性とは顔馴染みになっていた。どうぞとばかりに中に入って順番を少しだけ待つ。預かっていたレシートを提出すると、担当者は並べられたクリアポーチの中からわたしたちのパスポートを取り出して、テーブルに置く。そしてパソコンを眺めて、支払いを済ませるように告げる。

そして、中国各担当者からのビザ取得「合意」のチェックの入った紙にサインをするよう求められる。そこにサインをすれば、ビザの貼られたパスポートが返却された。こうして、わたしたちがビザ取得中に九賽溝に行ってしまったことは問題にならず、ビザを取得することができた。

再び天府広場からメトロに乗り、成都北駅まで向かう。再び荷物検査。水も特に問題にはならない。ただ大きな鞄のほうに入っていた物体が引っ掛かり、再度X線の機械に荷物を通すように求められる。

何が引っ掛かったのかその物体がわたしたちにも分からない。とにもかくにも指示に従う。それでもまだその物体が気がかりのようで、荷物を開封するようにと言うが、それでもわたしたちの大きな鞄を前にして、開封意欲が失せたようで、用紙に名前と電話番号を書けば良いという。

隣のおばさんも、鞄に入れていたアーミーナイフが引っ掛かり、名前と電話番号を記入する。

こうして真新しい地下鉄に再び乗り、成都北駅で下車をし、商店で食べものを買い足し、駅へと入る。まずはパスポートと列車のチケットを見せて、その奥のX線による荷物検査へと進む。それが終われば、今度は人による荷物検査。

それを過ぎれば、あとは待ち合い室で列車を待つばかりだ。中国は食事、特に熱湯に命をかけているようすすらあって、待ち合い室には商店だけではなく、熱湯の蛇口がとりつけられている。人々は、そこで熱湯を水筒に入れたり、あるいはカップラーメンに入れて、食事を始める。

発車1時間ほど前から改札が開いて、人々は長い列をつくって、進む。成都までの無座チケットとは違って、わたしたちが今回手にしているのは硬臥のチケット。1週間ほど前に予約をしたので手に入れることのできた貴重なチケット。無座の混沌ぶりとは違って、なんとものんびりとしている。

それぞれのコンパートメントに扉はなく、3段ベッドが2列並んでいる。

列車はほぼ定刻の12時ころにがたりと進み始めた。明るい遊園地に新しい家々もあるが、たいていは畑が広がっている。人々は畑を耕し、ときおり煙をあげて、古びた家が点在し、あひるが歩いているのどかな風景だ。ここには緑が溢れている。

風景を眺めながら、パンをほおばり、お茶を飲んだ後は、一番上の段のベッドによじのぼり、眠りにつく。

目が覚めたときにはすでに夜だった。7時間ほど寝てしまったようだった。脚を伸ばせるベッドの旅はとても快適だ。列車は既にずいぶんと進んでいた。綺麗な顔立ちなのに、眉間にしわを寄せた不機嫌そうな若い添乗員が、また不機嫌そうに仕事をしている。

こうして夜の10時ころにのそのそと起きだし、買ってきた、甘い八宝粥の缶を開ける。中国列車の旅で、カップラーメンと並んで中国人に人気のメニューである。

黒い空に、煙突から出た煙が白い線を描いている。