Top > ブログ

2012年04月

リビングストンの家族とボツワナからザンビアまで。 – Border with Botswana / Livingstone, Zambia

イミグレーションのそばで、穏やかな笑みをたたえた女性とその息子に話しかけられる。ザンビア、リビングストン在住の二人で、ボツワナにいるもう一人息子に会いに行っていたのだという。彼はボツワナで神父を務めている。

これからリビングストンの自宅に帰るので、良かったら一緒に行きましょう、と言う。

ボツワナイミグレーションからやや歩いたところにあるフェリー乗り場から、フェリーに乗って対岸にあるザンビアのイミグレーションオフィスへと向かう。乗り場にはコンテナをのせた大型トラックが何台も並んでいる。

色鮮やかな布をまとい、布に大きな荷物をまとめて背中にしょった女性たちが続々とフェリーに乗っていく。頭に荷物をのせた女性もいる。車もフェリーに乗っていく。

フェリーは10分ほどで対岸につく。ザンビア側のイミグレーション・オフィスに行き、記入するよう求められた用紙を書いて提示する。

青と白のストライプシャツを着て腰にダボリとパンツをはいた両替商の男性が顔を近づけて甘い声でつぶやく。「ザンビアへようこそ、ここはキリスト教の国です。」

さきほどのお母さんと息子は、この人たちから両替をすると、お金を盗られるからリビングストンで両替したほうが良い、と言う。

国境からリビングストンまでのバスは18時までないというので、さきほどのお母さんと息子とタクシーをシェアしてリビングストンまで向かうことにする。彼らは家ではニャンジャ語を話し、英語もまたネイティブだ。

運転手は30分ほどのリビングストンまでの平らな道をもくもくと運転する。やがてリビングストンの街に到着する。お母さんと息子の家には大家族が家の外に迎えに出ていた。

宿を無事にとり、近くのスーパー、Shopriteへ買い出しに行く。南アフリカのスーパーと、ほとんど変わらない品ぞろえだ。南アフリカのビールもザンビアビールのMosiビールと同じくらいの数が置かれている。

スーパーに併設していた銀行でボツワナのプーラをザンビア・クワチャへ両替をしようとすると、受け付けていないという。そしてその銀行員の男性は、レジに並んでいたぶ厚い札束を持った男性を指差し、「あの男性から両替をするとよい」と言う。男性はその札束を手慣れたようすですっと靴下の中に入れて、去っていった。

道を歩いていれば、いろいろと話しかけられる。どこにいくのですか、無料で探してあげますよ、といった具合だ。

夕食は、野菜カレーのパスタにチーズをかけ、ザンビアビール、Mosiビールとトーストしたパンを合わせる。

ザンビアビール、Mosiビールは、その国柄を表しているかのように、ワイルドで尖った味がした。同じテーブルには、リビングストン出身で、国境のフェリーで働いているという男の子が座っていた。

あっという間のボツワナ縦断 – Francistown / Kasane / Border with Zambia, Botswana

日の出に空が赤くなってから1時間半ほど経った8時前、バスはフランシスタウンに到着する。直角の硬い座席に、天井からビニール袋がいくつもぶらさがっているバスの中で、乗客たちはみな笑顔で元気だ。水色のバスの前方には、ナイキのロゴが白いペンキで描かれている。

ここから、ザンビアとの国境であるカサネまで向かいたい。

バスを降りた場所から、カサネ行き乗り合いバンが出ているターミナルまで少し離れているというので、タクシーに乗って向かう。タクシー運転手はカサネ行きバンの乗り場までタクシーをつけてくれた。

「これがカサネに行くから、これに乗ったら良い。」指差されたバンにそのまま乗り込む。窓の外ではスナックや果物を売る女性たちがいる。満席になるまで30分ほど待ち、バンはぎゅうぎゅう詰めで出発する。

フランシスタウンの町にはSPARのスーパーもあり、中華系レストランもある。

バスは牛が草を食む平らな大地を走り続ける。ボツワナはダイヤモンドの生産地として、南部アフリカの中で最も豊かな国ともいわれている。それでもUNAIDSやWHOの報告によると、人口の約24%がHIV感染者なのだという。それは人口比率にも影響を与え始め、大きな脅威となっている。

パンにチーズをのせてかじったりしている内に、バンは14時半前にはザンビアとの国境、Kazungulaへと到着する。目の前がすぐにイミグレーション・オフィスだ。中に入って、出国のための書類を記入して差し出す。ボツワナに入国した際の書類と同じものだ。それさえ差し出せば、わずか2日のボツワナの出国手続きが完了してしまう。

ボツワナ-ザンビア国境情報

ボツワナのハバロネから、ザンビアのリビングストンへ抜けるルートです。

ボツワナのハバロネのバスターミナルから、フランシスタウン行きのバスに乗る。
(※INTERCAPE社のバスは、ハバロネの中心地のガソリンスタンドに着きます。
バスターミナルまでタクシーで所要15分。P40.00)
(※ジンバブエ行きのバスも、フランシスタウンを通過するので、途中で降ろしてもらえます。
P100.00)

フランシスタウンのバスターミナルから、カサネKASANE行きのミニバスに乗る。6時間P105.00
(※ジンバブエ行きのバスの場合、フランシスタウンのバスターミナルではなく、近くの大きな道路沿いに降ろされるので、そこからタクシーでバスターミナルへ行きます。約10分。P20.00)

カサネKASANE行きのミニバスは、ザンビアとの国境に寄るので、下車。

ボツワナ側で、出国手続き。出国カード・パスポート提出。無料。
歩いて行くと、国境の川を渡るフェリー乗り場に着くので、フェリーに乗車。ZKW2,000orP4.00

ザンビア側国境にて、入国手続。入国カード・パスポート提出。
ビザ代の支払い US$25.00

国境から、リビングストンまで乗合タクシーに乗車。
所要1時間。P100.00。
(※ZKWがなかったので、Pで支払い。)

◎両替
 国境に両替屋がたむろしています。

真っ暗なターミナルで、動かないバス – Border with South Africa / Gaborone, Botswana

南アフリカの出国を終えると、そのままてくてくと言われる方向へと歩き、途中にある両替店で両替を済ませる。硬貨は両替できないと言われ、どうしたものかと思っていたら、窓口にいたハボロネ出身だという男性が紙幣へとかえてくれた。

暗い国境の中で明かりを灯している建物を目安に、ボツワナ側のイミグレーション・オフィスの方向へと歩いていく。

さきほどバスの車両番号なども合わせて記入をしておいた書類とパスポートを差し出せば、スムーズに入国となる。オフィスを出れば、バスがそこで待ちかまえているので、それに乗車をすれば良いだけだ。

派手な飾り付けをしたモーテルや、明るいショッピングモールを過ぎていくと、20時20分ころに、ボツワナの首都ハボロネの中心地、ザ・モールの前にバスは停まる。

首都の中心地とはいえ、辺りは暗い。中心地から少し離れたところにあったショッピングモールのほうが輝いていた。

暗い中心地に立ち、さてどこに宿をとろうかと思う。バス会社の女性は「強盗にあうから、タクシーを捕まえていってくださいね」と忠告をくれる。

タクシー運転手の男性たちと話をしていたら、次の目的地であったフランシスタウンを経由して、ジンバブエへ行く夜行バスがまだあることが分かった。

このままフランシスタウンへと向かうため、ジンバブエ出身だというタクシー運転手の男性にお願いをして、バスターミナルへと走ってもらう。

彼には5人子どもがいて、そのうちの2人はもう結婚しているという。かつてジンバブエの経済は破綻し、通貨は使えなくなったけれど、今は米ドルや南アフリカランド、ボツワナプラが流通していて状況は良くなりつつあります。奥さんと3人の子どもをジンバブエに置いてきているんです、だからジンバブエが恋しくて、休みがあるごとに帰るんです、と言う。それから、キリスト教の国なのでジンバブエは良くなります、とつけ加えた。

こうしてぽつりぽつりと橙色の灯りをつけただけの薄暗い夜のバスターミナルへと到着する。既に屋台は閉まり、閑散としている中に、ジンバブエ行きのバスだけが3台停まっている。そのうちの2台は大型バスで快適そうなつくりであったものの、2台とも満席だという。

そこでまだ座席のあったミニバスへと乗り込む。木と鉄でできた固い椅子の座席はまっすぐに90度の角度を保っている。バスの中では聞き知らぬ言葉が飛び交っている。

21時半に出発するといっていたバスは、バッテリーが故障しているようで、何度もブルンブルンとがんばっている。快適そうな2台のバスは、ターミナルを出て行った。

真っ暗な中、みな静かに待つ。ようやくバスターミナルを出発したころには、もうすぐ夜中の1時になろうとしていた。特に歓声があがるのでもなく、みなまた静かに揺られていく。

人気もなく町には信号機が明かりをつけているだけだ。家々の並ぶ道を通り過ぎれば、もう首都ハボロネの街は途切れる。

南アフリカの大都会からボツワナ国境まで。 – Pretoria / Johannesburg / Border with Botswana, South Africa

自由席かつ満席で出発したIntercape社のバスは、途中真夜中のヨハネスブルグに立ち寄り、どっと乗客が下車をする。

プレトリアに到着した早朝4時半はまだ外は暗く、思いのほか寒い。ボツワナ、ハボロネ行きの国際バスの発車13時15分までまだ時間がある。辺りの治安も良くないというので、セキュリティの人々が駐在している部屋へお邪魔する。

セキュリティの人々は、昨日の17時から今朝の5時まで交代制で働いているといい、もうそろそろ勤務時間も終わるころだ。ジャケットを着込んだまま、のりのりと踊りだしたりする。

日のあがってきた7時ころ、プレトリアの街へと繰り出してみることにする。アパルトヘイト時代は白人専用だったという煉瓦造りの駅に立ち寄り、ポール・クルーガー通りを北へとあがっていく。

商店やそれに併設された簡易食堂、インターネットカフェや家具屋、電気屋などが軒をつらねている。そこを人々がおしゃべりをしながら歩いていく。

32もの鐘をもつという時計台をつけた市庁舎の前を過ぎ、ボーア戦争中には戦争病院としてイギリス軍に徴用された裁判所のあるチャーチ・スクエアまで歩く。

各社新聞紙がびっしりと道に並べて売られている。

道ばたではところどころ段ボールを囲ったところにフライパンをいくつか並べて、パンを揚げて売る女性たちがいる。

チャーチ・スクエアにほど近い段ボールのお店で、Fetkoekという名のその揚げパンと、わきの容器に入っていたソーセージの輪切りを合わせて注文する。Fetkoekは外はかりっと、中はもっちりとして、ほんわりと甘い。

Wifiのつながるところを探していると、インターネットカフェの男性が、マクドナルドが良いと教えてくれた。

南アフリカ首都のマクドナルドは、マクドナルドといえども、そこはかとなくルールがゆるそうな雰囲気である。店員は踊りはじめそうな勢いだ。あたたかいコーヒーを注文する。このマクドナルドは24時間オープン、1時間Wifi無料というやる気にあふれた店舗である。

バスの時間が近づいてきたので、ポール・クルーガー通りを歩き、ターミナルへと戻る。途中、プレトリアでよく見かける、商店とレストランが併設されていた店舗でJOKERS PIEと名付けられた、紙袋に入ったパイを買い求める。店には中華系の女性と黒人の女性が働いている。

バスには一度パスポートを見せてから乗車する。先ほど買った、胡椒のきいたペッパーステーキとミートパイをほおばる。

首都、プレトリアの街を出るとすぐその郊外にはロレアル、ソニー、ホンダ、ジョンソン・アンド・ジョンソン、携帯電話会社vodacom社などの工場が立ち並ぶ。その風景を眺めながら40分もすると、ヨハネスブルグの街に入る。

一度ヨハネスブルグのダウンタウンにあるバスターミナルを経由して、ボツワナに向かうのである。

ヨハネスブルグには恐れをなして、さっさと通り過ぎようかと思っていたら、なぜか離れてはまた戻り、これで4回目だ。

いよいよ最も治安が悪いと言われるダウンタウンにバスは入っていく。「100メートル歩けば2回強盗にあう」とも言われてしまうほどの、ヨハネスブルグ、ダウンタウン。

その道には、人々が歩き、車が走っている。高いビル、凶悪犯罪が多発しているというメトロの駅、落書きされた壁、Hillbrowと書かれた標識、立ち並ぶ倉庫。

アイスクリームを友だちと歩きながら食べる女の子、青い制服を着た小学生の子どもたち、マットを頭にのせて歩いている男性、がれきを運ぶトラック、ファストフードを提供する店、中国料理屋。

人々が、そこで生活をしている。

到着したバスのターミナルではバス会社の職員男女が抱き合っている。しばらくじっとバスが停まり、数人の乗客を乗せ、半分ほどの座席が埋まったバスは、また発車をする。

大きな鉄道を渡り、高層ビル街に入る。FNB銀行やコカコーラ、CHIVAS社などの看板をつけたビルを過ぎると、やがて高級住宅の並ぶ郊外地区、それから草の生える大地へと移り変わっていく。

バス添乗員の女性は、プラスチックの箱からスナックと飲み物をがさごそと取り出し、トレイの上に乗せて、さして興味もなさそうに車内を売り歩く。

夕日が沈み、ボツワナ入国用の用紙がバスの中で配られ、19時半にはイミグレーションオフィスへと到着する。

携帯電話で話しながら出国待ちをする人がいるほど、スムーズに出国手続きが終わる。