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グルジアの石造り教会と、出会った神父 – Tbilisi / Mtskheta, Georgia

朝5時ころにコーヒーが配られ、目が覚める。窓の外は霧に包まれた森だった。緑が深くて濃く、川がゆたりゆたりと流れている。そこに屋根のとんがった煉瓦づくりの古びた趣のある家が点々としていて、時折可愛らしい教会がひょっこりと佇んでいるのだから、グルジア人が自分たちをヨーロッパ人だと定義するのもなるほどとうなづけてしまう。

パトカーがずらりと列をつくるところがあり、その前方にはぐにゃりと壊れた車が横たわっていた。

首都トビリシに入ると、高層ビルががぜん増え、今までの田舎の風景とは違ったようすをみせる。山の上に観覧車があり、工事現場ではオレンジ色のジャケットを着た人々が建物を作っている。トビリシ最大のクラブの広告が貼り出され、近代的なデザインの橋や建築物、それにマクドナルドも現れる。その合間には石づくりの歴史ある教会や城塞がうまく融けあって点在している。

グルジアは宿の数がさほど多くないが、民家に泊まることもできる。トビリシで名の知られたネリ・ダリさんの家に泊まらせてもらうことにする。到着すると、テーブルに紅茶とバケットにバターが置かれ、どうぞ食べてください、とジェスチャーで伝えられる。バターの容器やナイフなどが、アンティークふうでとてもかわいらしい。それでもネリ・ダリさんにとってはあくまで普段使いのものなのだろう。聞くところによると、この一家には子どもが捕まったり、亡くなったりと悲しい出来事もおきているようで、ソファで女性がしくしくと泣いていた。

今日は紀元前3世紀から5世紀に古代イベリア王国の都で、4世紀からグルジア正教の総本山であったムツヘタの街へ行くことにする。宿の近くで窯で焼いた長く伸びたパン、プーリーが売られている。やや塩けがきいていて、もっちりとしている。

最寄りの地下鉄の駅、ステーション・スクエアから、ムツヘタ行きのバスが出ているディドゥベ駅前のターミナルへ向かう。地下深く掘られた地下鉄のホームまで、大変な速さで動くエスカレーターにぴょんと飛び乗り下っていく。

電車の中できちんとした服を着た若い女性が、容器をもって膝まづいた。頭を下げたまま十字をきる。そしてそのうちにすくっと立ちあがり、容器に入ったお金を勘定する。その様子を見ていた近くの中年の女性が口を出して、辺りが嘲笑った。

ディドゥベ駅から乗ったムツヘタ行きのバス内でも、教会が近づくと十字をきる人々、友だちと話しながらところどころで十字をきる人々がいる。バスに揺られること30分ほどでムツヘタに到着する。

11世紀に建てられ、聖ニノも周辺に住んでいたというサムタヴロ教会を訪ねる。人々は柱にキスをして額をつけて中に入るものだから、その辺りが黒ずんでいる。重厚な石造りの教会内では、黒い服を着た修道女が箒で床を掃いたり、絵画を布で拭いたりしている。ろうそくがともされ、ろうの香りに包まれている。

近くに建つ、かつてのグルジア正教の総本山、スヴェティ・ツホヴェり大聖堂も訪ねる。大聖堂の壁にはかつての色鮮やかさを想わせる絵が描かれ、崩れかけた壁からは、建物が二重のつくりになっていたのが見てとれる。ちょうどそこでは結婚式が行われていた。

教会を出ると司祭が首にぶらさげた金色の十字架にキスをしていた。そして信者の頭に手を置く。するとその司祭に、日本人ですか、と話しかけられた。日本から輸入したトヨタのエスティマについているモニターの表示が全て日本語なものだから、それを英語に変えてほしい、と言う。

こうしてトヨタ車に乗りこんで、わんやわんやとやった後、司祭はわたしたちを丘の上にたつ教会、ジュヴァリ大聖堂まで車で送りますと言う。白髪に長い髭、黒い聖職衣に首からは金色の十字架、といかにも厳粛な司祭かと思いきや、がんがんと車を飛ばし、クラクションをぶーぶーと鳴らして丘の上まで駆け抜ける。

ジュヴァリ大聖堂はグルジア初期の教会建築を代表する6世紀の教会で、中はさほど大きくない。石造りのドーム型の天井の窓から光が射しこんでいる。木の十字架がたてられ、人々はろうそくに火を灯す。丘の上からは、川や山に森、ムツヘタの新旧の街が見渡せる。この大聖堂はコミュニスト時代には閉ざされていたんです、と司祭が言った。

丘からまた豪快な速度で町まで送ってもらった後、ファンタを飲みながら、アンティオキア教会にも足を運ぶ。ここもこじんまりとした教会で、背後の丘にはジュヴァリ大聖堂が建っている。周辺の石畳の道には新郎新婦や馬車が通っていく。ウェディングパーティーの若い参列者たちは、高いヒールにミニスカート、背中の開いたセクシードレスを身にまとう。

その後、神父さんはわたしたちをトビリシにほど近いご自宅に招いてくれた。車を運転しながら、街に並ぶ無機質なビルを指して、コミュニスト時代の建物で、美しくない、と言う。今のほうが良い時代です、と繰り返した。今のグルジアでは、年齢の高い人々はロシア語が話せるが、若い人はあまり話せないという。

神父はパンを買ったり、ヨーグルトを隣の家で買ったりしながら自宅に向かう。ヨーグルトはその家で作った自然のものだという。静かな田舎が好きだから、8年前に丘の上の古民家を購入し、改装をしたのだそう。舗装道から1キロほど砂利道を入る。趣味の無線のアンテナも立てていて、うれしそうだ。

家に到着すると、奥さんが出迎えてくれた。1972年生まれの奥さんがいて、神父さんは1958年生まれ、13歳差のカップルで、教会で出会ったのだと言う。庭でいちじくやアプリコット、ブラックベリーをもぎとり、かじる。とてもジューシー。神父さんと奥さんはベジタリアンだという。砂糖も摂らない。代わりにコーヒーにははちみつを入れる。

丘の下にはトビリシの街が広がっている。神父は、一週間は教会に出向き、一週間は家で仕事をしている。教会には10時ころから17時ころまでいるが、その時間は特に決まっていない。

室内では飼い犬のロンダが走り回る。メロンに桃にバナナ、いちじく、アプリコット、それに奥さんが作ったきのこやビーツを料理してくれたものにオリーブやパンなどが山盛りになってテーブルに並べられる。それに、神父たちは食べませんが、どうぞとチョコレートのお菓子も手渡される。最後には天然素材のヨーグルトやコーヒー。

1978年から2年間、入隊が国民の義務になっていて、神父も軍隊としてシベリアに行っていたという。1988年から神父を務め、今に至る。

食事でお腹がいっぱいになったころ、こだわりの音響機器で音楽を聞こうと隣の部屋に移動する。東芝のパソコン、ヤマハの機材にCerwin-vegaのスピーカー。

Bee GeesのSaturday Night Fever、イギリスのトレメローズやProcol Harum、F.R. DavidのDon’t Come Easy、ビートルズのライブ、Shania Twainが真っ赤な口紅でヒョウ柄を着たThat Don’t Impress Me Muchのミュージックビデオなどを次から次へと流す。特にギリシャの音楽が好きだといいDemis Roussosは繰り返し流れる。 ソファが震えるほどの音響だ。しかも周りに家がないので、爆音で聞くことができるのである。

アルメニアに行ったら、グルジアはスパイの国で、アルメニアの領土を奪ったのだと言ってくるだろう、とインターネットも駆使する神父は言った。

すっかりと夜も更け、トビリシの街が丘のふもとできらきらとしている。23時ころになって神父は車で送ります、とトビリシ駅まで送ってくれた。

ガラが悪いと思っていたグルジアが、違って見えた。