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イランのバス会社おじさんのくねくねポーズ – Tehran / Bandar Abbas, Iran

まだ日のあがっていない4時半ころ、テヘランに着いたといわれ、眠けまなこのままにバスから降りる。今日これから向かうバンダル・アッバース行きバスは南バスターミナルから出発するので、到着した西ターミナルから移動しなければならない。         
                                
Meydan-e Azadi駅から地下鉄を乗り継いで7時半前には南ターミナルのあるTerminal-e Jonoob駅にたどり着く。既に日の出を迎えてしまっているラマダン中のカフェにも、工事中のようなビニールシートがかけられ、その中で人々が飲食を楽しんでいる。

予約をしていたバス発車までまだたっぷり時間があるものの、念のためカウンターに向かって、手ににぎったテヘラン10時半発のチケットを見せる。すると、バス会社の男性たちは10時半のバスはなくなった、8時半のバスしかない、とペルシア語でジェスチャーを交えながら言う。

予約をしたときには午前中1時間おきにバスが運行されていると聞いていた。それが今となっては8時半のバスを逃したら、明日までバスは無い、と言う。バス会社のモニターを見てみると、なるほど10時半発のバスにはわたしたち2席しか予約が埋まっていない。9時半のバスなどは、予約数がゼロとなっている。これではバスも運行されないはずだ。

バス会社の男性たちは、予約時と運行時間がぐちゃりと変更されているのを申し訳ないと思っているのか、あいまいにしか伝えないので、余計に事態が混乱する。そのうちに手を合わせて顔を傾け、身体をくねらせて、ごめんねえとポーズをとる。それは、まるで日本の課長さんポーズ。

バスターミナルでカフェにでも入ってゆっくりしようと思っていたものの、こうしてあたふたと出発することになった。ターミナルの商店で売られていたシュークリームと林檎ジュースを買い求め、バスに乗り込む。

すると座席には、凍ったパイナップルジュースと、ウエハースやチョコパイにビスケットなどの詰まったお菓子ボックスとがぽいと乱雑に置かれていた。

乾いた大地に山が連なり、あるときは大地が広がり、ぽつぽつと家が並ぶ。大きなモスクが現われ、いくつかの町を通り過ぎる。

イランのバスは休憩が少ないと聞いていた。13時半になってバスはArdestanという町で昼食休憩のためにはじめて一息つく。パンやパイナップルジュースをほおばっていると、食堂の店員の男性がどうぞとヨーグルトを差し出してくれた。

さらに乾いた大地を進んでいく。バスの中ではラマダンは存在しないかのように、皆お菓子やナッツをぼりぼり食べ、すいかの種を煎ったのや桃、果ては座席で大きなメロンを切り出して周りにふるまうほどだ。

ある女性がペルシア語で筆談をしてきた。「赤ちゃんはいますか。日本に行きたいけれど、行けません。」という意味らしい。

周りの人々とジェスチャーつきの会話を楽しんでいると、ふいにバスがざわざわとして、前列に席を移動していた女性はぴょんと元の席に戻り、添乗員が各自にシートベルトを着用するように告げる。なにかと思ったら警察の検問だった。どうにも規則の厳しい学校ふうだ。

その後も太陽に照らされたごつごつとした岩山が連なる道を大型トラックが幾台も走っていく。Yang Ming、 Hyundai、Evergreenと書かれたアジア勢の車も通り過ぎて行く。

日が暮れても、イランで人気の猿のパッケージのチーズ味のカールふうお菓子の袋をどっさりとふるまわれたり、ポテトチップスをもらったりする。みな、よく食べる。

そうこうしていると夕食の休憩場所に入る。レンズ豆を煮込みにフライドポテトをのせたホレシュテ・ゲイメ、それにサフランライスののったご飯を注文する。パンと、「コーラ味のソフトドリンク」と書かれたアゼルバイジャン製コーラがついてくる。併設されている部屋で祈りを捧げている人もいる。イラン人乗客はみな食べるのが早く、ぺろりと平らげ、短い休憩を済ませてバスは再び出発する。

すっかり暗いバスの車内でも、ペルシア語を理解しないわたしたちに、イラン人乗客たちが次から次へとペルシア語で流暢に話しかけてくる。理解できるのは、土地の名前とジャッキー・チェン、ブルース・リー、ツバサくらいなものだ。