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明るい景色と暗い井戸の教会 – Yerevan / Khor Virap, Armenia

朝にアルメニアの有名コニャックブランド、エレバンブランデー社の明日の工場見学を予約しに行く。ノアの箱舟が流れついたとされているアララト山がてっぺんに雪をかぶってよく見える。

エレバン駅近くの地下道で、薄いパンを広げて、そこにもっちりとした鶏に香草をまぶして、きゅうりやトマトを切って置き、ソースをかけてまるめていただく。

今日はバスに乗って、ホル・ヴィラップ修道院まで向かう。バスは混雑を極めていて、席は空いておらず、床に座り込む。50分ほどで修道院の近くの分岐点に到着する。

アララト山が変わらずに雄大で、空は青く、ひまわりが咲き、菜の花には白い紋白蝶が舞い、おじさんが畑を耕している。畑には煙がもくもくとあがり、トラクターがのんびりと走っていく。

分岐点から遠くにみえる丘の上の修道院まで歩いていく。道なりには墓地があり、それぞれの墓に眠る人々が彫られた石が置かれている。お墓参りをしに来ていた家族があり、そばを通るわたしたちを手招きして、一緒に写真を撮りましょう、と言う。お墓に眠っているのは女性の旦那さんで、息子さんも来ていた。男性は、アルメニアとアゼルバイジャン間のカラバフ戦争で亡くなったのだと、声のトーンを変えないままに言った。

こうして歩いていくこと40分ほどで丘のふもとにたどり着く。

17世紀のスルプ・アストヴァツァツィン教会もまた小さな石造りの教会の中で、ドームにあいた窓から光が差し込み、シャンデリアの淡い光とともに教会内を照らしている。座席はなく、人々がろうそくを灯し、祈りを捧げていく。軒には白い鳩がとまっている。

ここには、アルサケス朝のトゥルダト3世が、聖人グリゴル・ルサヴォルチを危険視して10年以上も井戸に閉じ込めていたという伝説がある。地下に直角の階段を下がって入っていくと、そこはどんよりと湿気ていて薄暗い。

外に出れば、丘の上からは、あたかも明るくゆるやかな光景がはるか遠くまで広がっている。でもそこには伝説がひそんでいて、戦争で亡くなった人のお墓がある。

先ほどの井戸の中で知り合ったドイツ人のローラさんが雇っているタクシードライバーが、バス乗り場まで送ってくれるというのでお言葉に甘える。アプリコットをかじりながら、タクシーを飛ばしていると、間に合わないと思っていたエレバン行きバスに間に合った。帰りも満席のバスに揺られること40分でエレバンに戻ってくる。グルジアもアルメニアも国が小さいので、移動時間が短い。

エレバンのティグラン・メッツ通りの食堂に入って昼食をとることにする。ここのヒンカリは大小を選ぶことができる。ヒンカリにはバターがのせられていて、あつあつのヒンカリの上でバターがとけてからまりあう。あふれる肉汁はなく、ぷるりとしている。それに苦みのあるGyumriビールをいただく。ふんわりとしたパンが添えられて、ヒンカリの器にとけたバターとよく合う。

噴水の前は昨日とはうって変わって、水のバケツを持つ人はおらず、落ち着いて街を歩くことができる。St. Geigor Lusavoritchの近くで売られていたアプリコットと桃を500グラムずつ買い求めて、それをかじりながら街を歩く。暑い街中で人々はアイスクリームをかじり、テレビからは日本の原発反対運動の映像が流れてくる。

Northern通りにはアルマーニからバーバリー、クラークスといったブランドの店舗が並び、オープンテラスのカフェには人々が午後を楽しんでいる。この街には、そんな高級ブランド街もあれば、古びたつくりの民家やアパートの一室を貸し出す宿もある。

自由広場の前にはボテロやJaume Plensa、Barry Flanaganなどの彫刻がつらなり、その背後に巨大な階段状のモニュメント、カスカードがある。階段にはデートをする若者や、モデルふうのポーズをとって写真撮影をする人々がいる。

階段をのぼりきれば、エレバンの街を見渡すことができる。ところどころに共産時代ような角ばった建物が見え、白や茶色の新しい家も少なくない。向こうの丘には、スターリン像から置き換えられた母なるアルメニア像がたっている。

アルメニア人は国内には300万人程度しか住んでいないが、海外には800万人いると聞く。そして、またこの国の商売はマフィアが牛耳っているのだと幾人かの人々が話してくれた。

カスカードの上からバスに乗って宿に戻り、夜は商店でキリキア・ビールとチーズセット、パンにバナナを買ってきて、宿のテラスでいただく。宿の奥さんはもう薄暗くなっている庭で、ケーキをつくっていた。チョコレートのケーキを少しいただく。