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コニャックのくらくらと、大虐殺メモリアルと、アルメニアの夜 – Yerevan, Armenia

朝は宿の近くのパン屋で食事をいただく。できたてあつあつのハチャプリはさくっとしたパイにもっちりとしたチーズがはさまっていて、コーヒーはどろりとしている。

路上では市場が開かれ、さくらんぼやらアプリコットや木イチゴ、チーズやじゃがいも、とうもろこしになすやペッパーなどが所狭しと売られている。

アルメニアはコニャックが有名らしいというので、今日は朝からコニャックを飲みに行く。まずは、お勧めをしてもらったブルーモスク前のGrand Candyというスイーツ店で、アイスコーヒーとチョコレートケーキを買い求めていただく。アイスコーヒーはとても久しぶりで、甘いケーキとよく合う。

どでんと構えられたエレバンブランデー社の敷地内には白ぶどうが植えられ、樽の置かれた部屋に入ると、良い香りがする。

ここのブランド、アララトは、ロシアや旧ソ連諸国以外にも中国や日本など25カ国に輸出をされている。平和になったら開かれるという樽や、1902年の樽、個人所有の樽などがずらりと並んでいる。それぞれの樽には総重量、樽の重量、コニャックの実量が白い文字で書かれている。

見学を終えると、試飲室に入る。テーブルには三脚のグラスにそれぞれ3年もの、10年もの、20年もののコニャックがたっぷりと注がれている。三杯が幸福で、四杯になると狂気。

グラスをそれぞれゆっくりと回して、色や透明度などを見ながらいただく。3年ものはまだアルコールの香りがつんとするものの、20年ものになると色も深みを増し、もたりとして樽の香りが漂う。それをアルメニアのチョコレートとともにいただく。アルメニアの人たちはチョコレートの他にドライ・ピーチを合わせることも多いのだそう。

同じテーブルにイラン人のグループ、隣のテーブルにベルギー人のグループがいる。イランでは法律でアルコールを禁止されていて、表向きイラン人はお酒を飲んだことがないことになっている。秘密で飲んでいるけどね、と茶目っけのある顔をして言う。対してお酒に強いベルギー人は、コニャック瓶を土産物にとどっさりと買い込んでいく。

こうして確実に頭はふわふわとしていく。

それでも、ここから近くの大虐殺メモリアルまで、歩いていく。途中、女性二人が話しかけてきて、日本語の冊子をこちらに見せる。そこには私はエホバの証人です、と書かれていた。

大虐殺メモリアルでは、オスマン帝国領土内で起きたアルメニア人の強制移住、虐殺についてを語っている。暗いメモリアル内に、十字に切られた窓から外の光が差しこんでくる。

アルメニアのキリスト教徒に対するトルコ人の残虐性について、とか、アルメニア人大虐殺とトルコの暴虐行為といったタイトルの本が展示されている。そして、首を吊るされたアルメニアの医師たちや砂漠に佇む痩せた孤児、黒海に沈められたアルメニア人の写真やトルコ人によって破壊された教会の十字の破片などが並ぶ。それに、大虐殺前の1914年のアルメニア人と1922年のアルメニア人の人口を比較するパネルが掲げられている。

近くには先の尖ったモニュメントと、中央に火の灯され、花が捧げられているモニュメントがある。祖父母の時代にアルメニアからフランスに移住をしたという男性に話しかけられた。

アルメニア人にとってトルコの虐殺は未だ記憶に新しいのだという。トルコは偽りの教育をしていると言った。その男性は少しアルメニア語を話せると言うが、子どもはもう話すことができない。自分の世代で途切れたのだと言った。

そこでエチオピアでも出会った韓国人親子の旅行者に遭遇し、ビールをごちそうするよとバスに乗って町の中心に向かう。ビールや塩けのあるヨーグルトジュース、それにミートパイやらバターののったヒンカリ、フライドポテトなどがテーブルに広げられる。

韓国のお父さんは、次世代は韓国と日本がひっぱっていくのだと力説していた。他人の気持ちを推し量り、人のために自分の時間を惜しまず働く韓国人と日本人ならそれができると、ビールジョッキを何杯もぐびぐびとしながら、語り続けた。

宿への帰りにスーパーマーケットに立ち寄る。ザリガニやアララトなども売られる中、再びgrand candyのアイスコーヒーを買い求めてそれを飲みながら、歩く。今日は水かけ祭りもないので、シャワー屋の帰りもゆっくりと歩きながら、今度はgrand candyのチョコレートナッツのアイスをほおばる。

夜は昨日出会った、国連機関でボランティアをしているローラさんと、ローラさんのお友だちで、イランに住む離散アルメニア人の研究をされている日本人の方とお会いする。アルメニアを含むコーカサス地方では男児を好む傾向にあって、女児を妊娠したと分かると中絶をするケースも少なくないといい、ローラさんはその研究をしている。

共和国広場の前では噴水ショーが行われて、地元の人たちで賑わっていて、道にはニセモノミッキー、ミニーのカップルも歩いている。アルメニア人は見栄っ張りだから、失業率高さも感じさせないきれいな格好をしているとも聞く。

近くのカフェに入って、Kotayakビールやざくろアイスティー、アルメニアコーヒーを飲んでピスタチオをつまむ。アルメニアコーヒーはトルココーヒーと変わらないというが、トルコとの関係が良くないために、ここではアルメニアコーヒーと呼ぶべきらしい。

ここにきてグルジアよりもアルメニアではアジア人蔑視が激しいのだと知るようになった。ミニバスの中で、日本人を見たアルメニアの若い男性たちがくすくすと笑い始めた。教育水準の高い人々は、そうしたことが少ないという。旧ソ連時代はアルメニアにも中央アジアの人々がまだ多くいたが、今は日本人でアルメニア在住が5人しかいないということからも分かるように、アジア人を見ることが珍しいようで、こうしてくすくすと笑われたりすることもあるらしい。

それでも二人にとてもお世話になって、ほんの少しのアルメニアのナイトライフを垣間見る。