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仮面をつける街 – Bandar Abbas, Iran

朝の4時にバンダル・アッバースに着きバスを降りるとまだ日も出ていないというのにむわりと暑い。タクシーの客引きが集まり、わいわいがやがやとやる。そのうちの一人と目的地であるミナーブまでの値段交渉を終え、タクシーに乗り込んで向かう。

この辺りは、肌の色が濃い人々が多い。かつてイランがポルトガルに占領されていたときに奴隷として連れてこられたアフリカ系の子孫がいたりするのだという。そして暑い日射しのために、ただ肌の色が濃くなっているだけだという人もいる。

運転手は携帯を片手に眺めながら、眠気をふりはらうように120キロほどの高速で運転するので、おっかないこと甚だしい。それでも無事にミナーブに到着しお礼を言って車を出ると、交渉したときの10倍の価格を告げてきた。応じられないと言うと、ポケットから鍵を取り出しすごんできて、警察を呼ぶと言い、携帯で110にかける。10分ほどすると緑のラインの入ったパトカーに二人の警察官が乗ってやってきた。運転手がペルシャ語で事情を説明する。

警察官二人は英語ができないので、英語のできる人に電話をかけて通訳をしてもらう。パトカーに乗って警察署まで来てくださいというので、それに従う。冷房の効いた警察署に、穏やかそうな警察官が3人。椅子に腰かけた一般男性が2人いる。

運転手の身元確認が行われたあたりから、運転手がわたしたちにとにかく金を払えと更にいきりたってくる。3分ほど運転手の身元を確認した後で、警察官が合意した金額だけを支払えば良いです、とわたしたちにジェスチャーで告げた。運転手は拳をかざして顔の前に寄せてきて、それを警察官が止める。

朝からひともんちゃく。

パトカーで元の場所まで戻してもらったので、目的地であったミナーブの市場に向かうことにする。途中商店に立ち寄り、お気に入りのカナダ・ドライ、オレンジ味の大きなペットボトルを買い求めてぐびぐびと飲む。とにもかくにも暑い。スーダンと同じくらいに気温があがっていく。ただ砂埃が少ないのがまだ救いだ。

ミナーブの市場は米、野菜や果物、魚や服、動物の市場などに分かれている。木曜日に行われるこの市場には、仮面をつけた女性たちが集まってくる。棗やぶどう、さくらんぼにじゃがいもやトマトに魚が売られていく。

この仮面には、イスラム教として身を隠す意味と、暑い日射しから眼や顔を守るという意味があるのだという。赤やえんじ、金色といった布に刺繍が施されたマスクを目につけている。市場で販売している女性の多くが仮面を身につけ、買い物客の女性のほとんど仮面をしていないのは、販売者のほうが日光の下にいる時間が長いからだ。

いかにも神秘的な装いだが、実際に話してみると、おばちゃんふうの親しげな声が聞こえてきたりする。

動物市場を探していると、英語の先生だという男性に、ちょうど肉を買いに行くから車で連れて行きますと言ってもらった。市場には、山羊や羊、それに牛が売られている。

雌山羊は一頭180万リアル(18万トマーン、約90ドル)、雄山羊は一頭350万リアル(35万トマーン)。雌牛は200万リアル(20万トマーン)。雌牛は繁殖のため、そのミルクのため、それに物々交換のために売られていくのだという。そんなわけで、動物市場には、肉屋や農家、それにブリーダーや物々交換したい人々がやってくる。

肉が店で売られるときには、山羊や羊はキロあたり1万5千リアル(1500トマーン)、牛は1万2千リアル(1200トマーン)あたりで売られている。山羊や羊は値段が高いので、牛肉をより食べるのだという。

ラマダンについてはテヘランよりミナーブのほうが規則がゆるいそうで、確かに市場の片隅でわりと堂々と飲みものが飲まれている。それでもラマダン中は市場はいつもより人気が少なく、駐車スペースも見つけやすいほどだと言う。断食をする人々はこの暑い中に市場に来れば水を飲まざるをえないので、それを避けるために市場に出向かないのだという。

案内をしてもらった先生は、公立中学や高校、それに「才能ある男子のための学校」や家庭で英語を教えている。イランの学校は男女完全に分かれているといい、男の先生は男性の学校でしか教えられない。

公立学校では政府の厳しい目が特に光る。先生自身はオンラインで購入したアメリカ映画のDVDなども観て英語を勉強しているといい、ロストやGame of Thronesなどの米国シリーズなども熟知している。ただ、授業で使う映画は知っている映画のほんの一部で、恋愛ものではない無難なものを利用すると言った。

イランでは女性のコーラスグループはいるが、単独歌手は国内にはいないのだという。政府として、男性は女性の声を聴くべきではないというのがその理由だといい、先生はまた少し肩をすくめた。ただ、多くの人々は、国外に飛び出て歌うイラン女性シンガーの歌をダウンロードして聴いているのだも言った。

市場を一通り回った後、先生はご自宅にわたしたちを招いてくれた。先生は、英文学を学ぶ大学生の奥さんと、お母さんと3人で暮らしている。絨毯の敷かれた広いいくつかの部屋はきちんと整えられている。靴を脱いでお邪魔をする。

庭で採れたマンゴーと、奥さんの手作りのサーラード・オリヴィエをごちそうになる。イランではほとんど女性が台所にたち、男性が料理をするのはピクニックのときのバーベキューくらいだといった。サーラード・オリヴィエは、茹でた卵やじゃがいも、きゅうりや鶏肉、キャベツやにんじん、それにとうもろこしなどを入れたポテトサラダふう。それをレタスとともにタフトゥーンのパンに置いてライムを絞りくるりと巻いて口に放りこむ。とてもおいしい。

先生の家はラマダン、日の出から日没まで断食中だった。この1週間ほど親戚が家に集まっていて、奥さんは食事の準備で連日早朝まで忙しいのだという。午後8時の日没のアザーンがなると食べる食事をイフタール(朝食)と呼び、午前4時日の出前に食べる食事をスフールと呼ぶ。通常は朝のスフールの食事をするためにその30分ほど前に起きる。ここ最近は来客もあって、イフタールを食べて、お祈りをし、寝そべりながら朝までおしゃべりを楽しんだりしているという。

英語のBreakfastは、Fast(断食)をBreak(中断)するというところから来たのだと、英語の先生らしく、きれいな発音で教えてくれた。   

ラマダンは通常男の子は15歳、女の子は9歳から断食を始めるのだというが、それも個人に委ねられている。小さな村だとその開始時期をコミュニティが決めるところもあるといった。病気であれば、断食をする必要がない。宗教は個人的なものなのでラマダンをするもしないも自由だと先生は言った。断食はしなければいけないものではなく、するものだと言った。

こうして先生も奥さんも断食をしている。ただ、先生は今日日没前の夕方に歯医者に行く予定があり、血や唾を飲み込むことになる。それにもし飲み薬が出れば、水を飲まざるをえない。それは断食が断たれることを意味している。だから今日だけは断食を断つと言って、奥さんに先生の分の食器も出すように伝え、わたしたちと食事を始めた。

イランの伝統では、婚約前にデートをすることはほとんどない。もともといとこだっという奥さんとは、お互いの目の動きで恋に落ちたことを確認しあったという。先生は、デートもしないままに結婚を心に決めて、ある日突然に奥さんの家を訪ね、お母さんに、娘さんと話してよいですか、と承諾を得て結婚をしたのだそう。

公的な婚姻は役所でIDを見せて、ターバンを巻いた宗教的指導者により、手続きが行われる。結婚式は互いの家に親戚などを招いて食事をし、踊りが踊られる。アルコールは、出ない。

今は、イランでも子どもは1人か2人が一般的なのだそうで、先生たちもそれくらいの子どもがほしいと言った。

先生は、オシンやホンダケイスケ、それにパク・チソンを知っていた。現在スポーツ・マネジメントの方面に興味があるというが、サッカー・リーグのほとんどのチームのトップの人々は、たいていスポーツに興味がある人々ではなく、政治家なのだそう。それに、イランではどの分野でもそのトップになりたいのであれば、まずは政治家にならなければならないのだと苦い顔で言った。政治家になるにもアリ・ハメネイ師の嗜好が入る。

イスラム教の厳格なミナーブ付近では、服装の規定がテヘランよりも厳しいという。ただ、黒いチャドルを見ることの多いテヘランと比べると、淡い柄模様のチャドルを着る女性も少なくない。奥さんは、親戚の家に行くときやお祝いごとがあるとき、来客のあるときなどに着るというカラフルなチャドルを箪笥からひっぱってきて、着させてくれる。

そして、アザーンの「アッラーは偉大なり」「アリーがアッラーに続く方である事を私は誓います」といった句を聞かせてもらう。

先生の家ですっかりお世話になった後、暑いペルシア湾から離れ、今日はこのまま16時半発のIran Peyma社のバスに乗ってシーラーズへと向かう。
バンダル・アッバースは密輸港としても知られている。そんなこともあってか、バスが発車して3時間ほどすると、乗客一同バスから降りて荷物を緩やかにチェックされる。
いまだ熱風が身体にあたる。

そのうちに日没を意味するアザーンがなる。日の出、日没はテレビやラジオ、モスク、今ではSMSで知らせる方法もあるそうで、そのどれにもアクセスできない人々は特別なカレンダーを見て、時刻を知るのだという。

こうしてバスの中でもアザーンを聞き、するとバスは道端の棗などを売店に立ち寄り、添乗員たちが買い物に出向く。今まで飲み物を断っていた運転手もぐびぐびと飲み物を飲み始める。運転席付近はマンゴージュースにノンアルコールビール、それに水が注ぎまわされ、半ば宴会のようすだ。

わたしたちにもお茶を飲めと頻繁にチャイを勧められるので、スポンジケーキと合わせていただく。

夕食の休憩をとるころには22時半を過ぎていた。タレのついたひき肉のケバブ、チェロウ・キャバーベ・クービーデや焼きトマトやご飯のセットをオーダーする。それに野菜にライム、それに薄いパンがついてくる。

休憩時間が終わっても、バスが故障したようで修理が施されている。暑さはなかなかおさまらず、そのうちに強い風が吹き出した。