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イスラム教とゾロアスター教の街から聞こえる言葉 – Yazd, Iran

朝食に棗や木苺のドライフルーツ、ゆで卵にコーヒーやパンを宿の中庭でいただていると、ケルマーンシャーという町で医者をしているというイラン人男性に話しかけられた。英語がほとんどできないが、気さくにペルシア語で話しかけてくれる。

今日は地元からヤズドまで訪ねてきているので断食はしなくて良いが、明日地元に帰った後は飲食はしないと口に手をあてて示した。そして、イランのアリ・ハメネイはダメだ。日本は良い、とまた手と表情で伝えてくる。

昼のヤズドは、砂漠都市らしく、からりと暑い。

イランで最も高いメナ―レをもつマスジェデ・ジャーメを昨晩に続いて訪ねる。二本のメナ―レがにょっきりと天に向かって伸びている。礼拝用の敷物の上にコーランと石が置かれているが、人気はない。中庭には地下のガナートに続く階段が伸びている。

ラマダン中は日中に飲み物を飲めないので、そんな中を歩く人はあまりなく、住宅街の迷路のような旧市街にいたっては、まるでひっそりとして物音ひとつしない。ただひたすらに乾いた茶色の家が続き、時折広場に出るくらいだ。ある広場には、ぽつりと山車のような木造のナフルが置かれている。そんな中でもパンを引き延ばして窯にぺとりとくっつけて焼く男性がいて、黒いチャドルを着た女性がふいに現れる。

街の中のところどころにバードギールという風採り塔が立ち、ひんやりと暗い貯水池アーブ・アンバールへと続く階段がある。

旧市街には、土色の住居やアレクサンダーの牢獄や十二エマーム霊廟がある。築200年近い邸宅を改装したというファハダーン・ホテルを訪ねてみる。家族用と来客用の玄関が二つに分かれ、中庭もそれに合わせて分けられている。玄関の扉には、左右で違うノッカーが取り付けられて、これは客が男女どちらであるかを示すためだといい、低音で鳴るほうが男性、高音で鳴るほうが女性の来客であることを示した。

矢を入れる容器やカレンダー、卵入れにミシンなどのアンティークの調度品が部屋や廊下のあちらこちらに置かれている。台所は、女性が他の人の目に触れないようにするため、地下に設けられている。天井にいくつかあるドームに赤や緑、青といったカラフルな色が並ぶのは蚊よけだといい、その色をみた蚊は、くらくらとしてしまうのだそう。

地下にはかつて山の水を流したガナートがある。階段を下っていくと、水路があり、飲み水に使っていた。上に革からできたバケツがちょこりとぶらさがっている。かつてはそのバケツでガナートの水を汲み上げ、地上にもっていき、洗濯などに利用していた。

風採り塔のバードギールもある。かつてはその下に水を溜め、塔から入ってきた風がその下の水にあたり冷たい風として部屋に吹き込んでいたのだそう。

その後、迷路のような旧市街をくねくねと歩き、聖廟に立ち寄ったりしながら、大きな通りに出る。商店でマンゴージュースを買い求めて、ぐびぐびと飲み、そこから、ゾロアスター教寺院であるアーテシュキャデまでヒッチハイクをして行くことにする。

バスを貸切状態でヒッチハイクした後、ベヘシュティー広場で降ろしてもらい、別の車をヒッチハイクする。

乗せてくれた男性は、テヘラン大学で公共経営について学んでいるという男性だった。彼は、わたしたちを寺院まで送ってくれた果てに、そのチケットまで買って手に持たせてくれた。
そして言う。

「イランの国民を、政府と切り離してとらえてほしい。世界が、ニュースの中でみるようなイランは、問題だらけの政府のイメージであって、国民は良い人々だということをどうか周りの人に伝えてほしい。」

公共経営を専攻する男性は、イランが今最悪の状況にあることを心から嘆いていた。そして、国を変えたいと願っていた。アリ・ハメネイは、問題だ。国を変えたいが、政治家になることは、そちら側の勢力に加担することになるので、望むところではない、と言う。嘘をつかないと政治家にはなれないんです、と言った。それでもイランを変えたいと、その男性は続けた。

建物の入口正面には、ゾロアスター教の善の神、アフラ・マズダの像があり、寺院内では、火が灯され続けていて、煙の香りがする。軍人やイスラム教徒もその場所を訪ねてやってくる。

隣の建物では、外壁のアフラ・マズダの像が作り途中にある。中では、ゾロアスター教徒の白シャツに黒チョッキを着た男性や、白や緑の服装を着た女性の像などが展示され、聖典アヴェスターからの引用が掲げられていた。

前のベンチに腰かけていたイスラム教徒一家が、隣のベンチに座っていたわたしたちににんじんアイスクリームをどうぞと瓶ごと差し出す。にんじんはイランではスイーツにもよく使われ、にんじんジュース、にんじんアイスクリーム、にんじんジャムなどは定番なのだ。

そこからまたヒッチハイクをしてアミール・チャグマーグ広場まで戻る。ちょうど良い街の規模とイラン人の優しさで、またすぐに一台の車が停まってくれる。バザールには、金色のジュエリーがきらきらと売られている。それでも日没が近づいてくると、店はバタバタと扉を閉め始める。

かつて英語の先生で、退職をしてからは奥さんに仕えているという男性から話かけられた。イラン・イラク戦争では兵隊として戦地に赴き、イラクに捕えられ5年間拘束されていたという。それでもイスラム教徒として旅行者を厚くおもてなしするのがイラン人です、と言った。

ヤズドにはゾロアスター教徒も多数住んでいて、イスラム教徒であるその先生も、ゾロアスター教徒の先生とともに授業を組んで教えていて、良い仲間なんです、と言った。マスジェデ・ジャーメの近くにはユダヤ人地区もあります。国籍も宗教も関係ないんです、と外国人を自宅に招いたりして観光協会から注意を受けたこともあるという先生はそう言った。

緑のタイを首につけた男性がそばを歩いていく。ムハンマドの子孫であるセイイェドだといった。

バザールを抜けて、ユネスコからも表彰されたという、伝統的建築を改装したメフル・ホテルを訪ねる。ここも他ホテルと同様に中庭を囲むように部屋が並び、半地下にも部屋をもつ。そして公的なスペースと私的なスペースは分かれていて、まるで迷路のように入り組んでいた。

外に出ると、ふっくらとふくらんできた月の下で絨毯を敷き、ホテルの前で祈りを捧げる従業員がいた。

既にバザールの扉は閉まり、ひっそりとしていたものの、その中のモスクからは発砲の白い容器を手にした人々が続々と出てきている。ラマダン中、日没8時ころの祈りを終えると、モスクがこうして人々に無料で弁当を提供しているのである。多くの人々が待ちきれないかのように殺到し、時にどなり合い、あるいはモスクの周りの地べたに座り込んで、ご飯をかきこんでいる。

わたしたちも列に並んで弁当をいただき、アミール・チャグマーグのタキーイェの前の芝生に座ってそれをいただくことにする。シンプルなピラフの上にパンがのっている。周りでは、バーナーを持ってきて家族でピクニックをするかのように夜を楽しんでいる人々がいる。目の前には、高さ8.5メートルあるというナフルが置かれている。

イランには軍といっても、共和国軍とイスラム革命防衛軍という2種類の軍があるのだそう。今日は街に軍人の姿がよく目につく。

タキーイェの下をくぐったところに美味しいアーブ・グーシュトを食べさせてくれる店があるとお勧めをもらったので、訪ねてみる。羊肉やじゃがいも、豆の入ったスープの入った壺がお盆にのって絨毯の席に置かれる。絨毯にビニールを敷き、壺に入ったスープを銀の器に出して、共に出された重みのある銀の棒でそれをすりつぶし、ナンをちぎってそれに入れていただく。ナンはスープを吸いあげる。生たまねぎをかじりながら、ほおばる。

日の暮れたヤズドは、昼よりも人通りが増える。マスジェデ・ハズィーレには、白や黒のターバンを頭にのせた聖職者たちが続々と入っていく。

夜はエスファハーンに向かう。タクシーに乗ってターミナルへ向かい、チケットを買う。VIP車ということで、横は3列の座席でゆったりとしている。リクライニングも完ぺきだ。定刻の12時を30分ほど過ぎて出発し、冷たく凍ったいちごジュースにココナッツクッキーやバナナウエハースの入ったお菓子箱が配られる。