Top > ブログ

2012年07月

郵便物とビザとイスラム教とバザールとごはん。 – Istanbul, Turkey

朝はパンにチョコレートペーストをぬって、軽くいただく。

土曜日は郵便局が閉まるということで今日のうちに郵便物を出しにいくことにして、趣のある佇まいの中央郵便局に向かう。国際郵便を扱う中央郵便局といえども、英語ができる職員はほとんどいない。

そんなわけでいくつかの窓口をいったりきたりしながら、なんとか無事に荷物を送り終える。

予想以上に時間のかかった配送作業で、12時までに到着しなければならないウズベキスタン領事館までの時間がぎりぎりとなった。1週間待ったウズベキスタンビザが今日から受け取れるということで、窓口の開いている12時までに領事館へ行きたい。

急いでスィルケジ駅からトラムに乗り込み、カバタシュ駅へ、そこからバスに乗り継いで、Istinyeにある領事館へ向かう。街中は渋滞し、バスはなかなかに進まなかったものの、海岸沿いの道に到着し、日本庭園を過ぎるころにはスムーズに動き出した。

ウズベキスタンビザの受け取りには3時間待つこともあると聞いていて、格闘さえ予想していた。

Istinyeのバス停に到着し、急いで階段を駆け上がり、ぜいぜいと息をきらしながら11時45分に無事に領事館に到着する。

受付の男性に鉄の扉を開けてもらい、中に入りビザセクションの窓口に向かう。ビザを受け取りに来たと窓の中にいた担当職員に伝えると、ウズベキスタンへの入国予定日を尋ねられる。その間、口癖のように「はやく、はやく。日本人はいつも遅い。はやく、はやく。」と急かされる。入国予定日を告げて、ビザ代金を支払うと、担当職員はまた窓をぴしゃりと閉める。

1分ほど経ったところで、扉ががちゃりと開き、ビザの貼られたパスポートが差し出され、笑顔で手を振られた。こうしてウズベキスタンビザはものの1分も経たないうちに無事に取り終えた。

領事館のあるIstinyeには、ボートが数隻停泊し、海は澄んで泳ぐ魚が見えるほどだ。そこからイスタンブールの街の中心まで、明るい海沿いをバスは走っていく。海辺には洒落たカフェやレストランなどが続いて、途切れることがない。

昼食に、チェンべルリタシュ駅からほど近い、黒海風ピデの専門店だというギョズデに入り、ラフマジュンを注文する。挽肉がのった、かりっと香ばしい生地に、添えられたレタスを刻んだのを入れてレモンを絞り、くるりと巻いて大口をあけてほおばる。ついでに、飲むヨーグルト、アイランをぐびりと飲む。

食後に近くのバーガーキングでアイスクリームを買い求めてほおばりながら、グランドバザールに向かう。バザールというと、混沌とした活気あふれるようすを思い浮かべるが、そこは思いのほか新しく整然としていた。天井には青や赤のかわいらしい模様が描かれていたり、あるいは煉瓦をしきつめたドーム式になっているが、店は新しく、店員もしつこいというほどのものではない。

貴金属やアクセサリー、布、ランプや水たばこ、影絵芝居カラジョズの人形、青い目のお守り、ナザール・ボンジュウや骨董品などが所狭しと並べられている。

キュルクチュレル門から傾いたキオスク、オールドバザールを通って老舗カフェと見て、オリュチュレル門からバザールを抜ける。

金角湾を見下ろす高台に建つ、1557年完成のスュレイマニエ・ジャーミーを訪ねる。ドームやミナーレを、神学校や霊廟、寺子屋、病院、かつての救貧院や隊商宿が囲み、近くには付属のハマムもある。ちょうど礼拝の時間で、人々は脇に並ぶ水道に一斉に腰かけ、手足を清める。そして、細かな装飾の施されたドームの下で礼拝を行う。その声にはこぶしもビブラートもきいている。

そこからエジプシャンバザールの近くを抜けて歩いていく。この辺りまでやってくると、ようやく活気溢れる市民の市場、といった具合になってくる。海辺や新市街、グランバザールの洗練されたイスタンブールとはまた違う表情をもっていた。

さらにその活気あるエリアを抜けて、ヌルオスマスエ通りに入ると、今度は一転して高級陶器、高級貴金属店といったきらきらエリアに突入し、そしてそこにはスターバックス。そのうちにアヤソフィアやブルーモスクが見えてくる。

1559年に建てられ、1989年に国の基金によって教育機関としての活動を始めたジャフェルアー神学校に出向く。中庭のテラスを囲むように、小さな部屋が並んでいる。

ここでエブル(マーブリング)、イスラム書道や陶芸、楽器の演奏などの教室も行われているが、今は夏休み中でテラスのカフェはのんびりとしている。それでも職員がどうぞ中に入ってくださいと部屋の扉を開けてくれた。イスラム書道は、アラビア文字と絵画を融合させたふうのつくりのものが多い。陶芸の部屋には手ろくろがあり、赤や緑、青や黄色、緑、白や黒に銀といった釉薬、そばには電気窯が置かれている。

夕暮れの金角湾のガラタ橋からは、先ほど訪ねたスュレイマニエ・ジャーミーやトプカプ宮殿がよく見えた。やがて太陽は西のジャーミーのほうへと赤く色を変えながら沈んでいく。ガラタ橋では変わらずに人々が釣竿を垂らし、目の前のサバサンド屋形船はぐらりぐらりと揺れながら、サバを焼いている。そして空にはたくさんのカモメが飛んでいる。

夜は、再びスィルケジ駅にほど近いロカンタでいただくことにする。ロカンタ、バルカンで、鶏肉とトマトの煮込み、タウック・ソテに、キョフテとジャガイモの煮込み、イズミル・キョフテをオーダーする。エキメッキがついてきて、手持ちの水にレモンを絞って入れる。昼は大賑わいのロカンタエリアも、夜はあまり客がいない。ちらりほらりと客が入っているだけだ。

大きな街イスタンブールの一日 – Istanbul, Turkey

朝目が覚めると、大都会イスタンブールに入ってきていた。そしてパムッカレ社お得意の、ネスカフェコーヒーにチョコレートクッキー、レモンのビスケットにチョコのパンケーキが配られる。

8時にターミナルに到着すると、そのままパムッカレ社のミニバンに乗り換えて街の中心へと送ってもらう。朝の街は渋滞し、ミニバンはゆっくりと進んでいく。

ミニバンが到着したユスフパシャ駅から宿のあるチェンべルリタシュ駅までトラムに乗っていくことにする。ちょうど朝のラッシュ時にあたっていて、トラムにもぎゅうぎゅうと人が乗っていく。

今回取った宿は、イスラム宗教上の理由から、ドミトリーであっても男女の部屋は分けられている。チェックインをする際には、ここはイスラム教徒の国なので、洗濯物を干すときにはその辺りを考慮に入れてください、と言われる。トルコのバスでは、見知らぬ男女が隣り合わないように配慮がされているとも聞く。

政教分離の国トルコ、特に大都会のイスタンブールでは、イスラム教が街の表に見えづらい。それでも、こうした規則は守られ、宿にいれば爆音のアザーンが重なり合って鳴り響くのが聞こえてくる。

昼食は、スィルケジ駅の周りにある何軒かのロカンタのうち、客引きも熱心だったエティシュというロカンタに入る。マッシュルームのトマト煮込み、マンタル・ソテに、おすすめだという、チキンにじゃがいも、にんじん、ホワイトソースとチーズをかけた壺焼きサライ・ケバブを頼み、バケット、エキメッキとともにいただく。食後にはトルコティーがテーブルに出される。

大きな街に来ると用事が増えるもので、今日も日本への小包郵送の準備をしたり、スーパーマーケットや大型薬局で買い物をしたりする。

やがて街は夕日に照らされ、ブルーモスクがライトアップされる。

夜は、宿の近くのマカルナ・サラユという店で、店名にもなっているトルコパスタ、マカルナをオーダーする。数種類のパスタから、きのこやチーズ、それにビーフやトマトのパスタを盛ってもらう。他のロカンタにもあるように、この店もエキメッキの容器から各自それぞれ好きなぶんをトレイにのせていただく。

夜の12時を過ぎてもずっと遅くまでまだトラムの走る音が聞こえる。

そして、南アフリカからはじめて、マラリアエリアを抜けても1ヵ月間は飲み続けてきたマラリアの薬が、ようやく終わった。

遺跡とエーゲ海とキャバレー – Aydin / Selcuk / Efes / Kusadasi / Selcuk, Turkey

カシュからエフェスへ向かう経由地Aydinには、夜中の3時半ころに着いてしまった。薄暗いバスターミナルには、遠くにマクドナルドのMの灯りが見え、あとは幾人かのおじさんと、若い兄弟がいるばかりだ。うとうとと眠る間に、Aydinから最終目的地エフェス遺跡に近いセルチュクまでの始発バスが走る7時が近づいた。

バスを待つ間に、カフェから出てきたおじさんがチャイをどうぞと、チューリップの形をしたチャイグラスを角砂糖をのせた小皿に置いて、差し出してくれた。

7時にAydinを出たミニバスは1時間ほどでセルチュクに到着する。そこからミニバスに乗り換える。パンにバターをつけてほおばったりしながら10分もすればエフェス遺跡に到着する。

エフェス遺跡は古代ギリシャ人の町で、かつては港湾都市だったところだ。イスタンブールからほど近いこともあってか、遺跡は観光客でいっぱいだった。団体旅行客もひっきりなしだ。

宗教会議が行われたという聖母マリア教会には柱がすくっと立ち、そのてっぺんの柱頭にはくっきりとした装飾が残されている。

2万4000人を収容でき、剣士と猛獣の闘いが行われていたという大劇場には日本人団体客がいて、その音響を試すためにふるさとが歌われた。トルコのギリシア・ローマ遺跡でふるさとが響く。そこからまっすぐに、街灯も灯されていたというアルカディアン通りが伸びている。

1万2000巻の書籍が所蔵されていたというケルスス図書館には、美徳、学問、運命、知恵を意味する4体の女性像が正面に佇み、あちらこちらに置かれた石のかけらには、壺や草、十字架や動物の形、そして文字などがくっきりと彫られて残っている。

図書館を過ぎると、上流階級の住宅区、床にモザイク画の残る娼館、古代公衆トイレにハドリアヌス神殿、スコラスティカの浴場、トラヤヌスの泉と、かつてそこに生活していた人々を想わせる遺跡が続いていく。

ヘラクレスの門には左右対になった彫刻が彫られ、女神ニケのレリーフもくっきりとその羽を伸ばしている。メミウスの碑、ドミティアヌス神殿、商取引に使われていた広場や市公会堂、音楽堂と、階段を上がっていく。

エフェス遺跡を出て、エーゲ海岸のリゾート地クシャダスへのバスが出ている大通りまで、農道をてくてくと歩いていく。暑い中幹線道路で待っていたバスに乗り込めば、30分もすると遺跡からエーゲ海沿岸の街へと到着する。

まずはショッピングモールに入った食堂、Coffee’s Cafeで昼食をいただくことにする。茄子をトマトと煮込んだムサカとバター風味のサーデ・ピラウに、挽き割り小麦のブルグル・ピラウ、甘すぎないヨーグルトに、パン、最後にはチャイが出てくる。ご夫婦らしき二人が仲良く切り盛りしている小さな店だ。

リゾート地らしく、クシャダスの町にはトルコ料理店やカフェ、マクドナルドにバーガーキング、それに土産物店が並ぶ。町の中心にある港からバスに乗り、10分ほどいったところにあるレディース・ビーチという名のビーチに向かう。

エーゲ海に面したレディース・ビーチという名のこのビーチは、かつて女性だけが入ったビーチだったらしい。今はもうその面影もなく、家族連れもカップルも友だち同士も、子どももお年寄りも、みなが照りつける日差しの中、海を楽しんでいる。海の水はひやりと冷たくて、気持ちが良い。

近くの商店でチョコレートアイスを買い求める。暑い国でアイスクリームがあるとなると、思わず手が伸びてしまう。

再びバスに乗って、要塞の建っているギュウェルジン島と町が陸路でつながっているのや、港に停泊している大型船を見ながら、町へと戻ってくる。港にはボーっと大きく汽笛がなる。ここからはギリシャに行く船も出ている。

そんな国際的で洗練されたエーゲ海リゾート地も、旧市街の路地に入れば、厚化粧を施したセクシー女性による、レトロなキャバレーのポスターやむきむき男性によるバーのポスターなどがあちらこちらに貼り出されている。

クシャダスからバスに乗って40分、セルチュクへと戻ってくる。電柱の上には、何匹ものシュバシコウが巣を作っている。道ばたには子猫があふれ、人々は寝そべったり、のんびりと座り込んだりしている。なにしろ、昼間は暑いのだ。

キリスト12使徒の一人ヨハネが晩年を過ごしたという聖ヨハネ教会まで歩き、遠くにセルチュク城を眺める。

セルチュクで有名な小さな肉の串刺し、チョプ・シシを食べに、トルガ・チョップ・シシという専門店に入る。牛肉の串焼きにレタスやトマト、たまねぎが同じ皿に盛られ、それにバケットが添えられている。どれもシンプルに炭火で焼かれていて、香ばしい。小皿にはこんもりとチリが入れられていて、それをわずかにかじりながら、いただく。最後にはアップルティーが運ばれてくる。

バスターミナルへ戻り、21時45分発のパムッカレ社夜行バスに乗り込む。パムッカレ社のバスに乗るのは3回目。車両の新旧やモニターの良しあしはあるものの、食事は同じで、チョコレートとバニラのアイスクリームにレモンのビスケット、それにチョコレートのパンケーキ、チョコレートクッキーに飲み物だ。

知らない間の出国と入国 – Kas, Turkey

30分ほどフェリーに揺られれば、カシュの町に戻ってきた。あとは港に近いNoel Baba Cafeでパスポートの返却を待つだけだ。返却されたパスポートには、知らぬ間にトルコとギリシャの入出国スタンプがぽんぽんと押されていた。

近くの商店でアーモンドがのっかってバニラの入ったチョコレートアイスをほおばりながら、坂道をあがって宿に戻る。大きくてまるい月が、カシュの街の上にあがっている。

今日はこれから夜行バスに乗ってカシュからエフェスへの経由地点の町、Aydinに向かう。トルコはこうして夜行バスがあちらこちらに走っている。

パムッカレ社のバスが定時の21時45分に発車してすぐに水が配られる。バスの中でWi-fiを使うことだってできる。各自の座席についたモニターのカメラ機能を使えば、バスターミナルの様子が映し出されているのも見える。そしてまたチョコレートとバニラのアイスクリームに紅茶、それにチョコレートクッキーやレモンのビスケットが丁寧に配られながらバスは夜のトルコを走っていく。

澄んだ海にパステルカラーの家々、ギリシャ料理にビール – Meis Island, Greece

フェリーはいかにものんびりとした雰囲気で、時には赤ちゃんが脚でフェリーを操縦する。途中で船にギリシャの国旗を掲げて50分ほど進めば、ギリシャ領メイス島が近づいてくる。岸にはパステルカラーの四角い家がちょこりちょこりと並んでいる。

フェリーが到着すると、似つかわしくない迷彩服の軍人が銃をもって港にいる。船からは果物や野菜などが積み下ろされる。

そこから小さなボートに乗りついで、島の裏側にある青の洞窟に向かう。イタリアだけではなく、この小さな島にも青の洞窟が存在するのだという。ボートはぴょんぴょんと飛び跳ねながら勢いよく進んでいく。一緒に乗り込んだ赤ちゃんもぐったりとしている。

洞窟の入り口はとても狭い。水面が高いときにはボートが入れず泳いで入るときもあるくらいだ。今日もボートの床に寝ころがるように船長から指示がある。乗客一同ごろりと横になると、目の上すぐを岩肌が通っていく。「どこにも手を触れないでください」という合図とともに、船長はボートに勢いをつけてぐっと洞穴の中へと入る。

思わずつぶった目をそろりと開けてみると、頭上の岩に青い海を反射した光が映し出されていた。すくっと起きあがると、海は穴の向こうから差し込む明かりによって、深い青色に輝いていた。

今日は洞窟の中は潮が高くて泳げないというので、船長はその後すぐそばのセント・ジョージ島へと連れて行ってくれる。真っ白な教会がぽつりとたたずみ、ギリシャの国旗がたっているばかりの島だ。

島の周辺は、エメラルドグリーンから徐々に深い青色へと変わっていく。波はほとんどなく、海に入ると足の先やその下の海の底まで見ることができる。すいすいと泳いでいくと、藻が徐々に増え、足はすぐにつかなくなり、深みを増していくのが分かる。

1時間半ほどで船長が迎えに来て、メイス島へと戻る。小さなその島の海沿いにはいくつかの洒落たレストランが並んでいる。そのうちの一軒のレストラン、To Paragadiに入り、ギリシャふうムサカとフィッシュ・アンド・チップスをオーダーする。

ムサカは、トルコの煮汁に浸されたそれとは違って、なすやひき肉、じゃがいもやチーズ、ホワイトソースを重ねてオーブンで焼いたものだ。フィッシュ・アンド・チップスの皿にはトマトやきゅうりものっていて、添えてあったレモンをぎゅっと絞っていただく。スライスされたパンがバスケットに盛られ、久しぶりにオリーブオイルにつけて口に放り込む。どちらも、シンプルな味付けで素材の味が生かされている。

島に並ぶ家々は、クリーム色や薄いピンク、水色といった淡い色の壁面に、赤い扉や緑の窓が色を加えている。合間に咲く桃色や白の鮮やかな花がいっそう街を明るくする中、歩いて丘の上にある城の跡と教会を見に行く。猫がするりと歩いていく。

城の上からは、海の色が幾重にも重なり合い、小さな島がぽつりぽつりと点在している。その間をボートが行き交い、ウミガメがのっそりと泳いでいく。

この島の地面にも青い目のお守り、ナザール・ボンジュウが埋められている。その上を飛び跳ねるように歩いて、海沿いの時計のついた教会へと向かう。教会から鳴る鐘が町に響き渡る。

日帰りフェリーの帰りの便は16時発。その時間が近づいてくると、徐々に町は静かになっていく。それでも海岸のカフェのテラス席でビールを飲む人々はいて、それに倣ってRemezzoというカフェバーでアルファビールを買い求め、飲み歩きながらフェリー乗り場へと向かう。イスラム国ではなかなかこうはいかない。ビールは味がしっかりとしている。

こうして、つかの間のギリシャの小島訪問は終わりを告げる。澄んだ海にパステルカラーの家々、ギリシャ料理にビール。ギリシャという国の今を見るには、この小島の時間はあまりにのどかなふうに過ぎていった。