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2012年07月

トルコのトラブゾンでとるイランビザ – Trabzon / Border with Georgia, Turkey

朝に目を覚ますと、左手の黒海に朝日が反射している。

しばらくすると、サービスエリアに停まり、休憩に入る。トルコ長距離バスの休憩時間はなかなかに長い、そして乗客ほとんどが降りる。深夜だろうが、早朝だろうが、ほとんどが降りて休憩をしにいく。その間にきれいなバスが更に洗浄されたりする。

乗客みなさんがお戻りになれば、今度はお水のサービス。トルコのバスは南米並みに快適なのだ。

黒海に沿うようにバスは進んでいく。海岸にはベンチが並び、町が見えてくる。船を漕ぐ人がいる。黒海という名前から想像していたのとは違って、きれいに青く澄んだ海だ。

そのうちにビスケットとコーヒーが配られる。トラブゾンに近づくころには、出発時に満席だったバスもすっかりがらりとしている。こうして予定より2時間半ほど遅れた10時半前、黒海沿いの街トラブゾンの街へと到着する。

トラブゾンに来た大きな目的は、イランビザを取得することだ。イランビザというと、どうにも厄介なイメージ。

でもトラブゾンだと同日に取得できると聞いて、遠路はるばるやって来たのである。バスを降りたバスターミナルからUlsoy社のセルヴィスに乗り換え、街の中心にあるメイダン公園付近のUlsoy社オフィスまで向かう。乗客はわたしたちだけだ。

トルコのバス会社はその快適さとともに、鞄を保管してくれるというとてもありがたいサービスを提供してくれている。これは、大きな鞄をいつもえっちらおっちらとカメのように運ぶわたしたちにとって、とってもありがたいこと。こうしてここでもまずはUlsoy社オフィスに荷物を置かせていただき、まずはイラン領事館へと向かう。街の柱に、ヨーロピアン・ユース・オリンピック・フェスティバル、トラブゾン2011と書かれた絵が鮮やかに描かれている。

その途中で、ビザ申請のための写真を撮りに写真屋へと入る。イランは、厳格なイスラム教国であり、トラブゾンのイラン領事館でビザを申請する際には髪や胸元をくるりとスカーフで巻いた写真を提出しなければならないのである。

領事館付近の写真屋は慣れているふうで、イランビザね、はいはい大丈夫といったぐあいで、レンタル用のスカーフも奥からもってきて、頭にかぶせ、くるりと胸元で巻いてくれる。こうして本格的なスタジオでぱしゃぱしゃと数枚写真を撮り、そのあとMacで光の具合なんかも調整してくれてそのまま印刷ボタンをぽちりと押せば、できあがり、である。

ぱぱぱとつくってもらった写真を手に、そばのイラン領事館へ向かう。重い鉄の扉をかしゃりと開けると、手荷物はそこに置いたまま中に入ってくださいと、扉のところを指さしながら言われる。既にビザ申請に来ていた二人の旅行者がいた。

二枚の紙を渡され、それを記入するように言われる。基本的な情報に父親の名前、職業、日本の住所、今まで訪ねた国、訪問目的、入国と出国ゲート、入国予定日、イランで訪ねる予定の個人や団体名、イランでの滞在費を誰が支払うか、所持金の金額、イランに来たことがあるか、ビザ申請が今まで拒否されたことがあるか、一緒に旅行をしている人の名前と関係、など。

今まで訪ねた国、という質問には、どきりとさせられる。でも「トルコなど」と書けばそれで良いらしい。どう答えるべきか戸惑う質問について領事館員に尋ねると、ああ、その項目はとばしちゃっていいですよ、とジェスチャーで教えてくれる。思いのほか、ゆるい。

それぞれの質問に答え、先ほどの写真を2枚、パスポートとともに手渡す。すると、左の親指の指紋をここに押してください、とジェスチャーをされる。ぽんと押す。次、左の人差し指、中指、薬指、小指。じゃ、次は右手の親指、人差し指、中指、薬指、小指。

はい、そしたら裏面の左手親指、次左手の人差し指から小指まで揃えてここにぽんとね。
それから右手の親指と残りの指ね。

おかげで指先は真っ赤に変わっていく。

なにやら手ごわいイラン領事館を想像していたものの、指紋をとるときは、若干恐縮しているようすですらあって、最後にはありがとうございます、とお礼まで言われる。あとは指定銀行で60ユーロを振り込んできてくれれば15時には受け取れます、と銀行の名前と口座番号、料金が書かれた細長い紙を手渡される。

その紙を手に、メイダン公園からマクドナルドのわきをまっすぐに歩いていった銀行が並ぶ中のTurkiye is Bankasi銀行に入る。この銀行を探すのもなかなかに一苦労で、メイダン公園に面している別のTurkiye is Bankasi銀行に入って場所を聞くと、イランビザね、はいはい、別の場所です、と指で示してくれる。

ようやくたどり着いた銀行の窓口もはいはいイランビザね、といった具合であっという間に振込手続きが完了する。

メイダン公園には太陽の光がふりそそぎ、のんびりと人々はそこに腰かけている。公園に面したレストラン、ムラトに入り、イワシ、ハムスィのフライをいただく。しっかりと揚げられたイワシにレモンをかけていただくが、やや塩からい。添えられた生たまねぎも焼いたペッパーも、バケットやトマトを口に思わず運んでしまう辛さだ。

ビザの受け取りが可能な15時を過ぎてまた領事館へと戻り、呼び鈴を鳴らす。かちりと解錠音が鳴る。重い扉を開けて中へと入ると、振込レシートの提示を求められ、入口のところで待っててください、と言われる。

銀行のレシートを出すと、すぐに奥からビザの貼られたパスポートが返却された。ほっかむりをつけた画質のよくない白黒写真が載っている。スムーズな手続きだ。イランビザ取得は他の国の旅行者にとってもうれしいようで、フランス人の自転車でイランまで行くという旅人も、取得を隣で喜んでいる。

近くの商店でカシスジュースを買い求めてそれを飲みながら、トラブゾンの街と黒海が眺められる丘、ボズテペを上がってみることにする。途中には民家があり、子どもたちはハローハローとボールを持ちながら声をかけてくる。

トラブゾンで有名な大きなパンがあちらこちらで売られ、女性たちはパンを買っていく。スカーフを巻いた女性たちは、一緒に写真を撮ってください、と列をつくって肩をくみ、右手にはピースをつくってみせる。道を聞く男性たちはにこりと笑顔で行き先を指し示してくれる。おじさんたちはいたるところにあるチャイ屋の店先でのんびりとチャイを飲み、おしゃべりをしている。

白い壁に赤い屋根。モスクのミナレットがところどころに高くそびえ、黒海という名前の淡い色の海には船が浮かんでいる。そして空には飛行機が飛んでいく。

人々は丘の上に並べられたアイスクリーム屋のパラソルの下で、Semaverという蛇口のついた容器に入った紅茶を飲んだり、水たばこを楽しんだりしている。

トルコ料理は種類もたくさんあるうえ、郷土料理も豊かなものだから、いろいろと手を出しているうちに、トルコ最後の日の今日にいたってもまだ有名なシシ・ケバブを食べていなかったという事態になっていた。シシ・ケバブを食べるべく、そそくさと丘を下りてメイダン公園に面した洒落たレストラン、Ozgur Sefに入ってオーダーする。炭火でじっくりと焼き上げられたケバブは香ばしい。それにそっと薄いピタがのせられ、レタスやトマト、それにパンがついている。店の人も陽気だ。

イランビザもとれたので、今夜のバスでグルジアのトビリシまで向かうことにする。トルコのメトロ社が直行便を出していた。メイダン公園近くのメトロ社オフィス前からセルヴィスに乗りターミナルへ、そこからバスに乗り換える。黒海には太陽が沈んでいく。

グルジアは、どうもガラが悪いらしいと聞いていた。人の優しい国が続いていたので、どきどきだ。

快適バス国のトルコの会社でもグルジア行きとなると、一体どんなバスがやってくるのだろうか。ターミナルでバスを待っていると、定刻の20時を15分ほど過ぎたころ、トビリシ行きはこちらです、と声がかかった。ターミナルから出て幹線道路の脇を指さし、「あと2分でバスが来ます。」と言う。

グルジア行きとなると、ターミナルからも外れている。

それでもしばらくすると、いつもどおりの真新しいふうメルセデス・ベンツ製バスがやってきた。車体にはMETROと大きく書かれ「We are the best」とうたっている。すばらしい。心おどらせながらバスに乗りこみ、指定された席を探すと、そこには一人の女性が座っていた。添乗員がわたしたちのチケットを見て、座っていた女性と大きな声で、グルジア語の言い合いを始めた。なかなかにこわい。座席に座ってみると、リクライニングが壊れている。

それでも今までと同じように座席には各自にモニターがつき、冷房だって無事についている。

少しでもバスが停車すると、グルジア出身と思われるおじさんがさささと降りて、大きなパンを土産にと買っていく。

23時半ころにグルジアとの国境に到着する。乗客はみな手慣れたふうにどどどと降りて行く。ちょうど同じ時間に到着したバス会社が他にもあり、イミグレーション・オフィスの前には行列ができていて、そのほとんどがグルジア出身ふうの男性たちだ。

おじさんたちは陽気で明るく話しかけてくるが、若者男子たちはどうにもガラが悪そうだ。肩を揺らして歩き、ちらりとこちらに視線を投げかけてまたふいとよそを向く。

トルコのイミグレーション・オフィスではウェルカムと笑顔で声をかけられ、いくぶん気持ちが和む。そして何も聞かれないまま出国スタンプがぽんと押される。

さらに奥に入っていくとトルコの大きな国旗がゆらりゆらりとはためいている。近くにはDuty Freeやレストラン、アウトレットなどが入った施設があり、そこを抜けるとパスポートチェックが一度ある。

こうして快適トルコを離れることになる。

トルコの古民家と職人 – Ankara / Safranbolu, Turkey

ターミナルに到着したネヴシェヒル社のバスは、夜中の1時にアンカラに向けて出発する。ほどなくすると夜中であっても蝶ネクタイの男性添乗員によって、コーヒーやバナナケーキが配られる。

朝の5時半には朝日に照らされたアンカラの街へ到着した。アンカラという街は、トルコの首都であり、古い歴史を備えつつ近代都市として発展してきたにもかかわらず、トルコの人たちにことごとく嫌われてしまう街だった。

あの街は何もない、あの街は良くない、あの街は一番嫌いだ。なんで行くの。アンカラなんかに行く時間があったら、他の場所に時間を使った方が良い。

ツーリスト・インフォメーションのお兄さんまでそう言う始末だから、おとなしく乗り換えだけにして、そのままサフランボルの町へ向かうことにする。

定刻の6時を10分ほど過ぎてターミナルを出発したメトロ社のバスは、霧に包まれたいくつかの高層ビルや住宅街、ジャーミーに建築現場や工場などを眺めながら、進んでいく。コーヒーや水パックのサービスがありつつ9時過ぎにはサフランボルのターミナルへと到着する。そこからメトロ社のシャトルバスがサフランボルの中心、クランキョイまで連れて行ってくれる。

この街は、Safran Tatなど、砂糖やデンプンにナッツを加えてつくるロクムというお菓子の名店が並んでいる。ピスタチオ、ローストピスタチオ、ヘーゼルナッツ、サフランとピスタチオ。もっちりとしていて、ヘーゼルナッツ、サフランとピスタチオあたりはとても美味しい。

ローカルバスに乗ってサフランボルの旧市街へと坂を下っていく。バスの到着したチャルシュ広場には、丸いいくつものドームに赤い煉瓦が重ねられたジンジ・ハマムがあって、街自体が明るい。

かつてトルコでは夏の家、冬の家とが分けていて、夏の家のほうが、家や庭、共に大きかったのだという。旧市街に残っているのは冬の家だ。

そんな町の一角に、1645年に建てられた隊商宿、ジンジ・ハンがある。中庭を囲むように小部屋が並び、背丈の低い扉がとりつけられている。隊商宿は当時も尊い存在であり、かがんでお辞儀をする格好で部屋に入るよう、扉の背丈が低くおさえられているという。ラクダは1階の大広間にまとめて泊まっていたのだそう。

古い民家のカイマカムラル・エヴィは、19世紀に建てられたというわれている。白い壁に、木の屋根や窓がアクセントを加え、ニ階部分がせり出している。中には、かつて使われていた時計や馬蹄、ランプ、壺や刀や銃が展示されている。

台所や大広間、女性専用で男性が入れないサロンHaremや、男性専用のサロンで公的なスペースとして使われたSelamlik、趣向をこらした客室、家具を自在に動かせる新婦の部屋などが設けられている。大広間とハレムの間に設置された食器棚は回転するようにつくられ、女性がSelamlikにいる男性に食事を提供するのを見られないように工夫がこらされている。

フドゥルルックの丘までてくてくと歩いていくと、白い壁にオレンジ色の煉瓦の並ぶサフランボルの家々に木々の植わっているのが見渡せる。

Izzet Mehmet Pasaジャーミーはこじんまりとしたジャーミーながらも、美しい装飾がほどこされ、地元の男性が集まり、祈りを捧げている。そばにはDemirciler Carsisiという鍛冶屋職人の一画があり、ウイーンと火花を散らしながら、職人たちが火花を散らしている。

Yemeniciler Arastasiバザールは1661年からの歴史をもち、古い木造の家が残っている。ぶどうが天井からぶら下がり、その日陰に座って刺繍に励む女性たちや音楽を奏でる男性たちがいる。靴職人の男性もいて、牛とバファローの革を手で縫い合わせて靴をつくっている。

Koprulu Mehmet Pasaジャーミーにある日時計を眺めながら、ジンジ・ハマムへ戻り、サフランボルから11キロほど離れた小さな村、ヨリュク村に立ち寄ってみる。バスを降りても、そこには古い民家が並ぶばかりで誰ひとりとして歩いていない。静かにすぎる。ジャーミーには木造のミナレットがそえられて、ピンク色の花が咲いている。

道には歩く人もなく、地図もないので、てくてくと街を歩いてみる。すると一軒のカフェに少しの人が見えた。すぐ近くにはスィパーヒオウル・エヴィという古民家もあるというので立ち寄ってみる。天井や窓枠には、オレンジや緑、黄色の鮮やかな色で、草花や壺や時計、それにブドウやスイカなどの果物の絵が描かれている。装飾にはトルコの神秘主義教団、ベクターシュに影響されたものもあるという。

ヨリュクからサフランボルまでは、バスが1日に数本しかないということで、次の便をとりましょう、とスィパーヒオウル・エヴィの大将が携帯でバス会社に連絡を取り、バスにヨリュク村に立ち寄るように言う。こうしてひょっこりと古民家を見学させてもらって、再びサフランボルの街へと帰ることにする。

サフランボルの街に戻って、昼食をとりに郷土料理店、カドゥオウルに入る。サフランボルの名物料理だというクユ・ケバブをオーダーする。羊肉を地面にあいた穴でかりっと焼き上げる料理だ。ミルキーな羊肉に生のトマトとたまねぎ、それにペッパー、パンが添えられている。

150年前の家、もともと家であった建物を改装してブティックホテルに改装したというイムレン・ロクム・コナウを訪ねてみる。サフランボルはその古い街並みが世界遺産に登録されていて、外に冷房機を出すことはできない。だからうまく部屋の中におさめたつくりになっている。随所にかつての邸宅の装飾が残されている。

サフランボル付近の地域にはサフランの花が群生していたという。イムレン・ロクムの系列店で、そのサフランティーをオーダーする。味のしないその茶に、トルコに入ってから突然よく出現するようになった角砂糖を入れてかき混ぜる。

次の目的地トラブゾン行きバスのターミナルへは、クランキョイからバス会社がセルヴィスを出してくれるので、クランキョイまで、バスで向かう。      

まだ少しの時間があったので、スイーツ屋、Murat Pastanesiに入り、テル・カダイフをオーダーする。細い麺状の生地を焼き上げて、はちみつがたっぷりとかけられてる。だから喉が痛くなるほどに甘い。一つがわりあいに大きめなポーションに分けられているのに、それがよく出る。甘いものがみな大好きなのだ。

Ulusoy社のセルヴィスに乗ってターミナルへ、そこから大きなバスに乗り換えてトラブゾンに向かう。発車するとまもなく水が配られる。そしてコーヒーにチョコパンケーキ。いつだってトルコのバスは快適だ。

バイクではしるカッパドキア – Kapadokya, Turkey

カッパドキアの上空に早朝多くの気球が飛ぶ。そのたくさんの気球を眺めに、朝6時前に宿を出て、丘の上に登る。

洞窟の宿が並ぶギョレメの街から遠くは岩峰ウチヒサルやテーブル・マウンテンを眼下に、赤や黄色、青色といったカラフルな気球がたくさん空に上がり始める。

トルコビールのエフェスやメルセデス・ベンツの気球にまじって「もっと世界を楽しもう H.I.S.」「心に届く旅 Direct to your heart 阪急交通社」「行きたい旅、見つかる。トラピックス」「旅。あなたにふさわしく Crystal Heart」と書かれた日本の気球があちらこちらに飛んでいく。

気球は時折丘に近づき、ゴーっと火を放ちながら、上下に移動して、岩の合間を器用にくぐっていく。そのうちに西のほうへと多くの気球がすすんでいき、ぽつりぽつりと気球が着陸し、徐々にふんわりした気球を細くしぼめて、最後にはぺたりと倒れる。

犬はときどきそれを眺めながら、最後には犬同士でじゃれあい始める。

宿に戻って朝食をいただく。ゆで卵にきゅうりやトマト、チーズとハム、オリーブにパンとジャム、それにミルクコーヒー。

今日はバイクをレンタルして、カッパドキアを回ることにする。ちょうどアプリコットの実がなる時期のようで、町のアプリコットの木の枝を振って、実を集める人々がいる。

ギョレメの街から、岩窟教会の集まるギョレメ屋外博物館や、ギョレメ・パノラマ、一枚岩の城塞が中心となったウチヒサルに向かう。岩にあいたあちらこちらの穴に鳩が巣をつくり、空をはばたいていく。

バイクを飛ばして北へ向かい、途中で色鮮やかな画が残るCavusin教会に立ち寄りつつ、窯業の街、アヴァノスに到着する。

川の中州には陶器が乱雑に置かれ、その周りを鳥がちょこちょこと歩いている。トルコの陶器の多くはこのアヴァノスでつくられるという。赤土はクズル川、白土はアヴァノス山から採れるのだそう。

Akcanという作家の男性は、赤土をくるりと手でまるめて、ろくろの上に置き、右足でぽんと下の円を蹴りながらそのろくろを回し、金属のこてや紐糸を使ってあっという間に一つの壺を作り上げてみせた。

工房には、こまかな細工をほどこした白土の陶器から、ヒッタイト時代に円の部分を片手にかけて王様にワインや水を注いでいたという容器までところせましと売られている。数軒並ぶ工房の中にはかつての地下都市を改装したものもあって、中は広くいくつもの部屋が中でつながっている。

昼食は、Bizim Evレストランでいただくことにする。アヴァノスの町でつくられた陶器に入れられたテスティ・ケバブをオーダーする。火の上に置かれた陶器の中にビーフが入れられた壺焼きケバブに、もっちりとしたパンやきちんと型どられたライスがついてきて、ひき肉などを包んだパイを揚げたものをボレキです、どうぞといって差し出された。

このレストランもおじいさまの代の地下都市を活用したワインセラーなどが備わり、適度の湿気のあるひんやりとした空間になっている。

再びバイクにまたがり、パシャパーに向かう。きのこのような岩がにょきにょきとあちらこちらに生えていて、あるきのこの中には教会さえ作られている。そばには柔らかい土が風に削られ、波のようにゆたっている。鳩やら鳥やらがぼーぼーと鳴き、蜂が飼われている。

ゼルヴェ屋外博物館、らくだの形をした岩を眺め、ユルギュップに到着する。ワイナリーもあり、ギョレメに比べると、どこか大人の洗練された静かな町だ。

さらに三姉妹の岩や岩峰オルタヒサルへとバイクを飛ばし、夕焼けを眺めにローズバレーへと向かう。太陽は橙色に姿を変え、大きくまんまるの赤い円になって山の向こうへと沈んでいく。岩は徐々にその色を落としていく。

帰りは道に迷いながらも21時過ぎにバイクを返却し、近くのサライ・ハルクのロカンタで夕食をいただくことにする。 カッパドキアの一部の店辺りから、ようやくトルコの田舎が垣間見え始める。   

ややスパイシーな瓜の肉詰め、パトゥルジャン・ドルマスにマイルドなヨーグルトをかけていただく。それに、ピラフと花嫁のスープという名のエゾゲリン・チョルバスというスープにパン。絞ったレモンがよく合う。夜に案外と冷え込むカッパドキアで身体が温まる。

今夜はこれからサフランボルという町への経由地点、アンカラへ向かう。街の中心からいつもの通りにターミナルまでシャトルバスが出ている。犬が格闘しあっている。

ターミナルまでのわずかな距離の中で、手を消毒する消毒液が配られ、そして水パックが配られる。消毒液が配られるときはいつだってドボドボとボトルをひっくり返すものだから、服まで消毒されてしまうのである。

カッパドキアの地下都市と教会 – Kapadokya, Turkey

日も上がった6時ころ、Tuz Goluという塩湖に到着する。淡い水色の湖にはちらりほらりと人の歩くのが見える。山の岩肌には塩がついて雪のように見える。

塩湖のそばで立ち寄った休憩所で、おじさんの焼いていた、挽肉とチーズがはさまったあつあつのギョズレメを注文する。

バスに戻れば、今度はコーヒーとチョコレートパイが配られる。

8時半ころ、バスはカッパドキアへの基点となる町、ネヴシェヒルへと到着する。バスを降りると、ちょうど訪ねようと思っていたMUSKARA Tourism & Travel Agencyのおじさんが待ち構えていたので、オフィスにお邪魔をする。アップルティーやチャイをいただきながら、支度を整え、カッパドキアの南を周るグリーンツアーをお願いすることにした。

カッパドキアは、数億年前のエンジエス山の噴火で造られた地層が長年の風雨で浸食が進み、きのこのような岩やなめらかな岩肌が奇妙につらなる地帯。バンに乗りこんでギョレメの町を通りながら、ギョレメ・パノラマに行く。なめらかな白い岩肌に、茶色の岩がにょっきりと天を向いている。

そこから、デリンクユという地下都市へ移動する。さすがの観光地区カッパドキア、地下都市の入口にはずらりと行列ができている。そばの道には、結婚式を祝う近所の車がずらりと通り過ぎて行く。

ぐねりぐねりと地下に伸びるデリンクユの地下都市は、80メートルの深さに4キロメートルの長さで、その8階まで見学をすることができる。ここには、かつてアラブ人の迫害から逃れたキリスト教徒が生活していたといわれている。

地面に開いた穴からは、更に下の階が見える。ひんやりとした細い階段を頭を時折かがめながら、ぐんぐんと下がっていく。台所があり、天井には火のおこされた跡、食糧やワインの保管庫跡も残っている。敵が来たかを確認するために大きな石には穴が開けられ、井戸や上下階でコミュニケーションをとるためにも穴が開けられていて、有機的なつくりをしている。

その他にも、ミーティング・ホールや十字の形をした教会、リビング・ルーム、礼拝堂や教壇をそなえた教室、羊や山羊などの家畜スペースなどもあって、頭をかがめて進む細い道からぱっと大きなスペースがひらけている。

再びバンに乗りこんで、小麦やじゃがいもの植えられた畑や牛の歩く草地の合間を進み40分ほど、ウフララ渓谷に到着する。場所によっては高さ100メートルのところもあるという深い崖にはさまれて豊かな川が流れている。

岩を削るようなかたちで100以上の教会やいくつもの住居が残されている。アーチアルトゥ教会やユランル教会には、キリスト昇天の場面や殉教者と教父などが壁やドーム型の天井に鮮やかな色で描かれている。川沿いにはギョズレメをつくる女性たちがいて、川で泳ぐ子どもたちがいる。さらに先へ歩いていくと、川にそそりたつ岸壁にいくつもの穴のあいた住居跡が並ぶのが見えてくる。それらは、岩を削るための歩道をまずつくり、それから一つ一つ、高い岸壁を削り彫っていったのだという。

Belisirmaにたどり着いたところで、川沿いのAslanレストランで昼食となる。串刺しのチキン・シシに、レタスやトマト、それに野菜スープとパン、すいかがついている。

最後にスター・ウォーズの舞台にもなったという、Selime カテドラルに立ち寄る。岩が丸みを帯びて削られ、神学校や教会、カテドラルや監視塔がつくられている。この辺りの岩は柔らかいので、こうして削りやすいのだという。

ギョレメの洞窟ホテルに部屋をとる。洞窟の部屋はひんやりとしている。街には緑のライトアップがなされたジャーミーがある。そのすぐ近くにあるカッパドキア・ピデ・ハウス&レストランに入り、夕食をとる。サラミと卵ののったスジュクル・ユムルタル・ピデに、挽肉ののったクイマル・ピデ、それから思いのほか辛くはない唐辛子のペースト、アジュル・エズメにエフェス・ビールを合わせてぐびぐびとする。

観れなかったトルコ相撲をカフェで観戦する。 – Istanbul, Turkey

トルコの相撲、ヤール・ギュレシは世界無形遺産にも登録されている。その大会がエディルネの町の北側でちょうど今の時期に開催されているというので、行ってみようということになった。

現地の人でもこの大会を知らない人がいたり、マッチョな身体にオイルを塗って戦うのを見たいのは女の子だけだという人がいたり、そうかと思えば、その大会を見に国内から人々が集まり、この時期エディルネでは宿泊先を確保するのも難しくて路上で寝る人もいると言われたり。

とにもかくにも朝早くに起きてトラムとメトロを乗り継いで、エディルネ行きのバスが発車するターミナル、エセンレル・オトガルまで向かう。

するとバス会社の人は、コンピューターで確認もせずに言う。
「エディルネ行きはいっぱいです。」

今の時期のトルコは観光ハイシーズンで、特にイスタンブール発のバスは、取りづらい。そのうえ、週末。そのうえ、マッチョお兄さんたちの大会。いっぱいになるのも無理はない。

2時間後に発車するというバス会社も見つけたものの今日は夜行バスでカッパドキアに行く便をおさえてしまっている。マッチョお兄さんたちの戦いぶりを見たかったけれど、諦めるしかない。

とぼとぼと来た道を帰り、宿の近くの常に混雑している店、Semazenビュッフェ&レストランに入り、食事をとることにする。レタスにトマト、にんじんにフライドポテト、それに削ぎ落した回転牛肉をパンにはさんだYarim Et Donerをオーダーする。

それからまた近くのカフェ、FAROSに移動して、のんびりとすることにする。店内は涼しく、バーカウンターも横にあり、白いテーブルクロスが清潔にかけられたテーブルがセンスよく並んでいる。のりのり音楽が控えめにかけられている。

なぜか黒いアバヤをまとった女性客が多くいる。カジュアルな服を着た夫と子どもに囲まれて一人黒い布を全身に覆い、目だけを出した女性たち。食事をするときには、口元にあてられた長くて黒い布を下からぺろりとはがし、食べものを口に運ぶ。

illyのカップに淹れられた濃厚なマキアートに砂糖をたっぷりと入れてすすりながら、wifiをつなぐ。Youtubeでギュレシの試合を観戦する。草むらの上で筋肉むきむきの身体にオイルがたっぷりと塗られて褐色の肌はてかっている。その身体をぶつけ合い、戦うのである。

あつい。

18時半になったところで、カッパドキア行きSuha社のバスチケットを予約した代理店の前からシャトルバスに乗り込んで、バスターミナルへと向かう。ターミナルのSuha社カウンターの2階には待ち合い用のサロンがあって、紅茶や水が提供されている。

このバスもメルセデス・ベンツ製で各席の後ろにモニターがついている。ポチとボタンを押してみると、てかてかのてっぷりとしたおじさんが二人ギュレシを交わしているコメディー番組が流れている。

ブルーモスクを通り、アスランテペ・スタジアムを過ぎて行く。街のあちらこちらにミナレットがたち、イケアがそばにある。橋を渡り、高層ビル群を抜ける。Media Marktといった派手な建物を通り過ぎ、マリオットやカリフールを眺めつつ、バスは進んでいく。

やはりイスタンブールは大きいもので、なかなか街を抜けない。街角に小さな花火があがった。

いくつかターミナルに寄りながら乗客を増やしていき、22時ころにようやく乗客が出そろった。そしてコーヒーが配られる。